101.ノワールとお茶会と
呼称統一 読みやすいように全体修正 内容変更なし
商店通りは、普段より賑わいを見せていた。
以前、パトリシアさんが言っていた、賑わいの原因たる『偉い御方』というのが公爵様であると、今日ガル兄の所で知ったばかりだ。
その関係者であるノワールは、人の流れに独りで突撃をし、そのまま飲まれそうになっていた。それほど混雑している訳ではないのだが……まぁ、こういう場所は、歩きなれてないのだろう。
「こっちへ」
「え? あっ」
ノワールの手を掴み、少し端へと移動する。
幸いな事に、俺の側にいれば人は寄ってこない。むしろ皆、一定距離を空けて移動している。白いフクロウを見て、俺を見て、スゥーと避ける。
これは、フクロウが避けられているのか、俺が避けられているのか。
いや、今は彼女の事だ。
ノワールは人混みに驚いてか、きょとんとしている。
「大丈夫ですか?」
「ええ。いつもこうなの?」
「いいえ。今は”偉い御方”が町に来るので、賑わっているそうです」
ノワールは、納得した様子だ。関係者なのだからピンと来るのだろう。
そして彼女は人混みを見て、少し残念そうな顔をした。
「これじゃあ、露店巡りは無理ね」
「大丈夫ですよ。流れに乗ればいいだけですから」
人混みの中では、護衛はやり辛い。が、行くべきだろう。
彼女の望む体験が、そこにあるかは分からないが。
『ミュール様も、警戒お願いします』
「ええ。任せて」
ノワールの手を握ったまま、人の流れに乗って進む。警戒は厳に。
「どこか、店も見ていきますか?」
「ううん。露店に直行」
「なら広場へ。真っ直ぐで」
一度流れに乗れば、後は簡単だ。
歩き出してからも、俺の周りには誰も近付かない。
移動も護衛も、その方が良い。
その代わりに、俺の尊厳が削られている気もするが……安いものだろう。
露天商の並ぶ広場に着くと、俺はノワールの手を放す。
彼女は、飛び出すように俺から離れていく。
一つ一つ覗いては、次へと移動するノワール。実に楽しそうであった。
その姿は、記憶の中の母の姿と重なる。
子供の俺を連れての買い物では、自身の楽しみを満喫できなかっただろうに。
それでも記憶の中の母は、いつも笑っていた。
もしかして、シャーリーやアムも店巡りは好きなのだろうか?
いや、それは人によって違うよな。
今更な話、何を好んで何を嫌うかの話すら、彼女たちと、ほとんどしない。
自分の無関心さに、何だか頭が痛くなってくる。あぁ、これは後回しだ。
今は、ノワールの案内に集中しなければ。
「ねぇ、マルクちゃん。これ何? これは?」
子供の様にはしゃぐ姿が、少し眩しい。
俺も、もっと楽しもう。隣にいるのが仏頂面では、彼女もつまらないだろう。
後ろから眺めるのではなく、隣で楽しむべきだ。
「それはですね――」
「こんなに早くに戻ってきて、よかったの?」
「うん。十分堪能したからね。ハイ、お土産」
「あら、アップルパイ。お店に寄ったのは、コレの為ね」
ゲルト氏には、少々無理を言ってしまったのかもしれない。
ご本人は『構いませんよ』と穏やかに言っていたが、持ち帰りが出来るのか否かの確認は、先に取るべきだった。
露店巡りが終わった時、ノワールの口から女王の塔へと戻ると聞き、ならばと、猫の日向に寄って貰ったのだ。
ゲルト氏に相談すると、そこで出てきたのがアップルパイであった。
受け取った時から、香る、甘い誘惑に負けぬように努めるのが大変であったが、ミュール様の嬉しそうな顔を見れたので、満足だ。
さてと、ノワールも送り届けたし、邪魔者は帰るとしますか。
「それでは、ミュール様、ノワールさん。俺はそろそろ――」
「まだ、デートは終わってないよ。最後まで付き合いなさい」
ノワールが俺の言葉を遮り、そう言った。
また、猫のような口になっている。いや、いつからデートになったんだ?
「ええ。ここにきて、私のお茶を飲まずに帰るつもりですか? マルク」
ミュール様の追撃が飛ぶ。逃げることは叶わぬようだ。
「既に四人分、用意しております」
いつの間にか居た世話係の女性も、俺の行く手を遮った。
観念するしか無い。
「では、此度のお茶会、謹んで参加させて頂きます」
「何、その変な言い方。ほら、座りましょう」
ノワールが、俺を鼻で一笑いし、丸卓へと向かう。
既に椅子が四脚配置され、カップは、ミュール様の席に集めて置いたあった。
俺も席へと向かう。ミュール様の座る位置の正面だ。
着席の許可を待とうかと思ったが、そのまま席につくことにした。
俺と違い、ミュール様とノワールは、ふわりと着席する。
「≪自然の息吹≫よ」
ミュール様が四つのカップにお茶を注いでいく。
立ち昇るお茶の香りと共に、甘い匂いが流れてくる。
世話係の女性が、円形のアップルパイを切り分け、戻って来た匂いだ。彼女は、アップルパイを配り、そしてミュール様の淹れたお茶を配り、自らも席についた。
「さぁ、お茶会を始めましょう」
ミュール様が、優しく微笑む。
美味しいお茶に、甘いお菓子、三人の美女。
場違いなのは、俺だけだ。
それでも彼女たちは、気にもしないだろう。
鼻で自然の香りを吸い込み、お茶を口に含む。そして、体の内側からも香りを味わう。冷えと共に染み込む魔力。やはり、美味い。
ミュール様のお茶を飲むたびに、自分でもやってみたくなる。
「ノワール。今日はどうだった?」
「町の雰囲気も良かったし、マルクちゃんも悪くないしで、楽しかったよ。ってずっと見てたでしょ」
「ウフフ。フクロウで見た光景よりも、貴女の言葉が聞きたかったの」
二人の会話を聞きながら、俺はアップルパイをフォークで一口分、切り、口へと運ぶ。
うん、生地の香ばしさと食感も良いが、砂糖で甘く煮た薄切りリンゴが抜群だ。
この鼻をくすぐる香辛料は、何だろう?
この間、味わったような……あぁそうだ。サフランだ。
だが、もう一つの甘くて特徴的な香りは何だろうか?
まぁ美味しいのだから、別にいいか。
中身を知らねば、この甘さを堪能できない、なんて訳がない。
美味い物は美味いのだ。
「何よ、それ。まぁ、こんな一日滅多にないから……ありがとね、ミュール。あとついでに、マルクちゃんも、ありがと」
「どういたしまして」
「お役に立てて何よりです。あと、俺も楽しかったんで」
お茶を飲みながら俺の言葉を聞いたノワールは、口を上に曲げた。
また猫のようになっている。あれは、おふざけをする時の顔なのだろう。
「私とデート出来たんだから当然でしょ。マルクちゃんは幸せ者ね」
「ノワールとデート出来る人なんて、他にいませんからね。フフフ……」
「色も華もないデートコースでしたけどね」
ダンジョン、自宅、大衆食堂、露店巡り、お土産、帰宅。
改めて、不思議なデートコースだ。
そんなものしか提供出来なかった落ち度は、俺にあるのだが。
今後、誰かをデートに誘うときは、このデートコースは止めておこう。
「でも、楽しかったわよ」
「ええ。俺もです」
残念だが、ノワールにそっぽを向かれてしまった。
直前に見えた花開く笑顔は、今日一番の華だったのに。