100.ノワールとピュテルの町
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で、何故ここに来ているのだろうか? 町の案内のはずなのに。
彼女の要望ではあるが、自分の屋敷に戻るとは思わなかった。
「へぇ、ここがマルクちゃんの家か……思ったより広い」
「両親が建てた屋敷ですから。でも、ここに面白い物は無いですよ」
「いいのいいの。他人の家は、それだけで楽しいんだから」
「まぁどうぞ」
鍵を開け、ノワールを中へと招き入れる。
家にいる時でも鍵を閉めるのは、もはや習慣だ。
家に入ると、頭の上のフクロウが気になる。
どこかにぶつけないよう、気を付けるのが大変だ。
ノワールは、屋敷の中を一通り見て回るようだ。後ろから付いて行く。
自室も客室も、お構いなしで見て回る。
例外は母の自室だけだ。流石に罠付きの扉を開けるつもりはないらしい。
倉庫を見た時に、ノワールが反応したものがあった。
俺の作った魔道具だ。
事情は違うが、バルザックさんとゴンさんとは、目を付ける部分が違う。
「ねぇ? これは何?」
背負うベルト付きの小さい箱を持って、俺に見せた。あー、それは――
「空を飛ぶ魔道具ですよ。それを背負って魔力を通すと、中から羽根が展開されて――」
「飛べるの!」
「真上に飛んで、墜落します。いや、墜落しました」
「あぁ……がらくたなのね」
俺は、強く頷いた。失敗作でなければ、こんな所に放置したりはしない。
がらくたと知っても続く『これは?』攻撃に、一つずつ答えていく。
それは風の刃を利用した芝刈り機だと。足まで切るのでお蔵入りだ。
それは風を纏い、雨や雪を弾く傘だと。周囲の迷惑を考えなければ使える。
それは冷風機だと。部屋中水浸しになるから、倉庫で眠っている。
さらに次々と答えていく。
「全部、駄目じゃん」
「駄目だから倉庫にあるんですよ」
ノワールが大笑いしている。頭の中でミュール様も笑っている。
まあ他人の失敗作なんて、見る機会は無いだろうからな……さぞ面白かろう。
「そんな顔しないでよ。面白いは面白いけど、馬鹿にしてるとかじゃないからね。勘違いしないでよ」
「そうですよ。他人の試みというのが楽しいのであって、失敗が楽しいのではないのですから」
「わかりました……気を取り直してお茶にしましょう」
倉庫から出て鍵を掛ける。そしてノワールさんと共に台所へ。
カップ二つとティーポット。客人用の茶葉を用意してと。
「ミュール様なら、魔法でポンッでしょうけどね。≪水≫よ」
話しながら、ティーポットに茶葉を二匙。
そこに魔法で出した熱湯を注ぎ入れる。後は、ゆっくり待つだけだ。
「茶葉は食べないのですか?」
『それは、また今度で』
やはりミュール様は、冗談だと捉えていたみたいだ。
こちらは本気なのだが。
「こうやって待つのもいいねぇ」
「ええ。ゆったりです」
ノワールさんと俺、そして頭のフクロウ。
三人? で、ゆっくりと茶が出来るのを待つ。
しまった! 二人分しか作ってない。
『このフクロウって、お茶を――』
「飲みません」
あぁ。よかった。仲間外れは寂しいもんな。
茶を飲みながら、ノワールから散々な程、屋敷の殺風景さを追求された。
後片付けまで済ませ、俺達は屋敷を後にした。
次に向かうのは、食事だ。
行くべき場所はもちろん、大衆食堂『狼のまんぷく亭』だ。
店の前に着くと、フクロウが俺の頭の上から飛び立っていった。
ミュール様曰く、外を見張っています、とのこと。
頭が軽くなったが、何か物足りない気分になる。まぁいいか。早く入ろう。
入店すると、すぐにサンディと目が合った、そして――
「またマルクが女連れだよ! どうなってんのさ!」
「そういうんじゃないって、分かって言ってるだろ」
「うん。マルクだからね。今度のお客さんは?」
「友人の友人、かな? 町の案内中で、馴染みの美味い店に連れて行けっていうご注文」
「うちは、美味しいだけが取り柄だからね。ご注文は?」
サンディは眩しい笑顔で、ノワールに対して注文を聞く。
ノワールも、待ってましたと言わんばかりの勢いで答えた。
「いつもので!」
「あいよ。マルクと一名様ごあんなーい」
態々気さくな感じで『あいよ』とは、サンディは、やっぱり良い奴だな。
案内に従い席につき、ゆったりと待つ。
昼時は人が多くて、喧騒がいつもより大きく聞こえる。
「拒否されると思ったのに……びっくりだ」
「この店では、ある意味正解ですから」
ノワールは少し落ち着かない様子で、もさっとした黒髪を指で弄んでいる。
俗に言う”良い店”と違い、椅子は硬いし周囲は騒がしいので、当然の反応だろう。俺にとっては満点の店でも、他人には違うものだ。
俺の視線に気が付いたノワールが、拳を少し挙げて無事をアピールする。
俺も彼女を真似て、同じ様にする。
ノワールは、恥ずかしそうに顔を赤らめ、そっぽを向いてしまった。
さてと、料理を待つ間に周囲を見ておくか。
まぁ、必要はないだろうが……うん、必要はなかった。
敵意や悪意より先に、サンディが到着した。
「ハイおまち。鶏のオレンジソースとバターオムレツだよ」
サンディは、二人分の料理をテキパキと配膳していく。
料理を前にすると、気分が上がる。
鶏のもも肉が食べ易いように切り分けられており、その上から、目も嬉しくなるソースが掛けられている。人参とブロッコリーが添えられているのが、心躍る。
もう一つの皿には、素朴な三日月型のオムレツが白い皿に乗っていた。ふっくらしていて、今すぐにでも匙を入れたくなる。
ノワールは、どこか困惑したような顔をしている。
「どうかしました?」
「思ってたのと違うから、少し」
あぁ、もっと粗野で大胆な料理が出てくると思っていたのか。
肉、焼いただけ、のような料理を。
そういう料理が出ることもあるのだが、まぁ俺は注文自体しないからな。
「もっと雑な料理が出ると思ってました?」
ノワールは、ゆっくりと首を横に振って否定した。
「えっと黒くて硬いパンと、水みたいなスープが出て、こう、スープにパンを浸して食べないと、硬くて歯が折れそうな感じのやつ」
「そんな料理がでる店なんて、誰も行きませんよ。さぁ食べましょう」
「「いただきます」」
まずは、味の薄そうなオムレツからだ。
逸る気持ちを押さえながら、ゆっくりと、匙を黄色い三日月に突入させる。
力も要らずにオムレツが掬い取れた。そのまま口へと運ぶ。
うん。想像通りのふわふわだ。
卵のしっかりとした味と、バターの濃厚さが合わさっている。
思ったより味が強い。
口の中が、解けたオムレツで満たされていく。
柔らかな食感を、これ単品で楽しめる様に味付けされているようだ。
オムレツが濃い味に調整されているのなら、鶏はどうだろう。
鶏の焼き目を見ながら、フォークで刺す。
既に、一口大に切り分けられているのが、嬉しい。口に入れた瞬間、オレンジの甘味と少しの酸っぱさが、舌を刺激し、広がる香りが、鼻を刺激した。
そして肉を噛み切ると、鶏からじゅわりと汁が溢れてくる。甘めのソースと、薄く塩を利かせた鶏もも肉が合わさり、俺の手を次の肉へと誘う。
が、今日は自尊心を持って、手を止める。
急がず、焦らず、ゆっくりと。
隣のノワールへと目を向ける。
黄色いふわふわが、唇の間をすり抜けた。そして、彼女の顔が緩む。
あれは幸せの緩みだ。
突っ張った表情筋が、口の中のオムレツ同様に解された証だ。
彼女は、ゆっくりと卵を味わい、喉を鳴らした。
「おいひぃ」
「ええ。今日も美味いです」
ノワールが、俺へと笑顔を向けてくれる。その笑顔を受け取るべきは、サンディの父親だと思うが、今は、俺が代わりに受け取っておこう。
言葉は交わさないが、共に同じ料理を楽しむというのは、良いものだ。
視界の中には、急ぎ食事をかきこむ冒険者の姿が、昼から酒を飲んで机に倒れる男の姿が、これから商売を当てようと気合を入れる人の姿が……人それぞれだ。
目と耳は、警戒状態に入っている。
が、食事も楽しむ。ノワールの笑顔も楽しむ。
俺がゆっくり食べるには、これぐらいが丁度良いのかもしれない。
それはそれで悲しい話だが……料理の美味しさは変わらないので、良しとしよう。
「ふぅ。お腹いっぱい」
「ええ。いいお店だったでしょう」
店から出た俺の頭に、再びフクロウが舞い降りた。
鳴くフクロウに少し落ち着く。
「うん。だけどお代はよかったの?」
「後で払いますから。つけって奴です」
「家名で、支払いを保証するの?」
「違いますよ。俺個人の話です。もうこの店通って長いですから」
「へぇ。そういうのいいね」
「まぁ、助かってます」
店の前で話をしていたら、他の客の邪魔になるな。
体を伸ばし、歩き出す。ノワールも動き出す。
「さて、次は何処へ行きましょうか?」
「店を見に行こう。露店が見たい!」
「ええ、では商店通りに」
丁度、進んでいる方向と同じだ。
そのまま、ノワールと肩を並べて歩く。
『いいですよね、ミュール様』
「あら、私の助けは要らないでしょう」
ノワールに望みがあれば、それを叶えるのが一番だろう。
それでも、俺だけだと不安なのは変わらない。
『いいえ。二人でエスコートしましょう』
「ウフフ。そうね。二人で」