99.ノワールとダンジョン
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四十がらみの男が、馬車に揺られていた。
男の髪は輝く緑をしており、短く、そして綺麗に撫で付けてあった。斜め前にふわりと垂らした一房以外は。
一房の内側には、精悍な顔があった。
走る馬車の中で、寛ぐ男の目は、前を見ている。その先の町を。
馬車の内装は瀟洒で、座り心地も良い。
外観も乗る者の格式の高さが、一目でわかる馬車だ。王家を表す獅子と、二本重ねた杖の紋章が、ハイディルム公爵家の馬車だと示している。
この馬車に、手を出す愚か者はいない。
騎士団の精鋭である護衛騎士隊が、守りを敷いているからだ。
「全く、もう一人のお前は、やんちゃで困るな」
渋く厳しい顔からは、想像できない程の、穏やかな声であった。
「いつもの事ですわ。お父様」
男の隣に座る少女が、言葉を返す。
その長く美しい緑の髪を膝の上に乗せながら、翠玉の如き瞳で男を見つめる。
「お父様……か」
男は、少女へ目を向けることなく、前を向いたままであった。
「まずは、ダンジョンへ行くわよ!」
「許可が無いと、中には入れませんよ」
一人で自分勝手に歩くノワールの後を追う。
俺の頭の上には、当然のように白いフクロウが乗っていた。
道行く人の視線が刺さるが、気にしても仕方のないことだ。
フクロウが頭上にて、ほぅほぅと鳴いている。
周囲に気を配ってはいるが、奇妙な俺に注目する者ばかりで、ノワールに目を向ける者は少ない。これが狙い……そんな訳ないな。
「なら許可を取ればいいじゃない。どうやるの?」
「事務所で取れますけど。俺、無職なんで無理だと思いますよ」
身分と利用目的を明示すれば、許可を取ることは簡単だ。深い階層へ挑戦するには、それ相応の戦力を用意し、教会側へ提示しなければならないが。
冒険者であった頃なら、”魔石の入手”、それだけで即日許可が下りただろう……しかし、今は残念無念の無職だ。
許可が下りるとは思えない。
ノワールも、己が身分を証明できないだろうしな。
「えー。ダンジョン行きたかったなー」
「入口だけなら見学できますよ」
「行く。じゃあ、さっそく出発しよう」
出発も何も、既に足は、この町の中心である大聖堂へと向かっている。
『構いませんよね、ミュール様』
「はい、問題ないですよ」
『しかし、ダンジョンなんか見ても、面白い所は無いと思うんですけどね』
「それはマルクが、お仕事で何度も通っているからです」
そんなものだろうか。
ノワールは、楽しそうに歩いている。
今日は、彼女の”案内”なのだ。
俺が、どう思うかではない。彼女が楽しめるかが問題だな。
とりあえずは、彼女の望みとミュール様の導きのままに進もうか。
とりあえず、ノワールの隣へと行き、歩調を合わせる。
「ノワールさんは、この町には?」
「あんまり。私からミュールの所に遊びに来たのは、二回目かな? 前の時も、町には出なかったし。この町っていい町?」
回答に困る質問が飛んできた。考えて答える。
「治安は良いですよ。町の中なら犯罪と出くわす事も、あまり無いですし。気を付けるのは、ゴロツキみたいな冒険者ぐらいですかね」
「食事はどう? 美味しい?」
「少なくとも俺が行ったことのある店は、全部美味しかったですよ」
一軒だけ、記憶に無いが……カエデさんが満足気だったし、美味しかったのだろう。きっとそうだ。
ノワールは、横を歩く俺を見上げながら、口を綻ばせ、言った。
「行きつけのお店って奴に連れて行って。でも予約が必要かな?」
行きつけのお店って、狼のまんぷく亭になるのだが、いいのだろうか……。
「いい選択だと思います。多少の喧騒も、彼女には楽しみでしょうし」
『さっき言ったゴロツキがいますよ』
「マルクが隣にいて、喧嘩を仕掛ける人間は、この町にいませんよ。いるとすれば、愚か者か刺客、そのどちらかでしょう」
ああ、何だっけ……巷では、俺が戦闘狂だという噂が流れているのだったか。
全く、事実無根もいいところだ。
「それで? 予約しなきゃ駄目なの?」
「大丈夫ですよ。大衆食堂は、予約なしでいけますから」
「やった! なら、お昼はそこね。一度、そういうお店の料理、食べてみたかったのよ。楽しみ」
食事処の話が出たので、この町で俺が行ったことのある食事処について話をした。彼女は、高級店には興味は無いようで、最も興味を持ったであろう店は、猫の日向であった。
そちらも時間があれば、寄ってみるか。
まぁ、ミュール様の行先指定が優先だが。
俺達は、既にピュテル大聖堂の前へと辿り着いていた。
相変わらず高くてまばゆく、白い建物だ。
その存在感が、そのまま威圧感となる。
「で? どこがダンジョンの入口なの?」
「あっちです。でも、大聖堂も観光にいいですよ」
「興味なし。早く行こうよ」
本当に興味が無さそうなので、先へ進む。
大聖堂に比べると、こじんまりとした建物がダンジョンの入口だ。
中に入ると、今日もゴンさんが戦士然とした格好で番をしていた。
「こんにちは、ゴンさん」
「よう、マル坊じゃないか。見ない連れだが、仕事か?」
「俺は無職だから仕事は無いよ……今日は、友人の友人の案内かな?」
ゴンさんは、俺の頭のフクロウをチラッと見たが、何一つ言わずに話を進めてくれた。一々説明するのは面倒なので、非常に助かる。
「ねぇ、おじ様。遺跡の中に入ったら駄目? 中を見て見たいの」
「ん? いいぞ」
「ちょっとゴンさん。気軽に何言ってるのさ」
「んー。マルクと一緒なら別にいいだろ。お嬢ちゃん。マルクから離れるなよ」
「はぁい」
「えぇ……本当にいいのか……」
腑に落ちないが、入口で止まっていても仕方がないので、ダンジョンへと入ることにした。階段を下る。
「とりあえず第一階層は安全なので、そこまでですからね」
「流石に、奥に行きたいなんて我が儘は言わないって」
ノワールが、常識人で良かった。
奥へと進もうとするなら、首根っこ掴んででも止めねばならぬ所であった。
階段を下りきり、ダンジョン第一階層に到着した。
ノワールは、階段の上と階層内部を見比べている。
「本当に光が要らないんだ。不思議」
ああ、そうか。ダンジョンに慣れ過ぎていて麻痺していたが、光源が必要なく、昼夜問わず視界が良好なここは、確かに不思議な空間だ。
興味深そうに周囲を見ながら、ノワールは歩く。
俺は、その後を追う。人がいなければ町中より安全な場所ではあるが、警戒はしておかねば。
「あー。これミュールの所にもある奴だ。家にも欲しいよねー」
「魔力込めると奥の階層へ跳びますので、注意して下さいね」
「はーい」と返事をしながら、ノワールは転移陣を観察している。
何やらぶつぶつ呟きながら、何度も頷いている。
まさか本当に、自分の家に転移陣を作るつもりなのだろうか?
ミュール様の友人ならば、あり得る。
「うん、無理。次いこう」
「と言っても第一階層には、転移陣の部屋しか無いですよ」
「階段までは、行ってみてもいいよね」
「ええ」
ノワールは階段へ向かいながらも、各部屋を覗き見しながら、転移陣しか無いことを確認しているようだ。そして、一室で首をひねった。
「ここだけ、動いてないね」
「あぁ、ここはまだ、ダンジョン奥で起動していないですから」
未踏破地点の転移陣は使えない。
転移陣の置かれた階層の順番的に五十か五十一辺りに存在するとされている。
だが、未だに五十階層に存在する”門”が突破されていないので、転移陣は発見されていないし、当然、起動もしていない。
第一階層にある転移陣の中で、唯一起動していないものだ。
「へぇ。マルクちゃんは、挑戦してみたくならない?」
「特に興味は無いので。知り合いに協力を頼まれれば行きますけど」
「変なの」
変? だろうか……いや、最近思う。俺の判断基準は変な気がする。
変える気は毛頭ないが。
第一階層は広くはない。なのでダンジョン観光も、目の前の下り階段で終了だ。
ノワールが、階段の前で立ち尽くす。
「ここから先は、危険なんだね」
「低階層なら、油断しなければ死にませんよ」
「私は、人の方が怖いって生活してるから……よくわかんないや」
それは、俺も同じですよ。
そう言おうと思ったが、止めた。
環境も状況も違うのだから、俺のそれと、彼女のそれは違うものだろう。
「わからないで良いんですよ。モンスターの事なんて、冒険者か俺に任せておけばいいんですから」
「うん、そうする。もしもの時は、お願いするね」
「ええ。お任せを」
ノワールが、はにかむのを隠すように、元気に言った。
「よし。ダンジョンは堪能したし、次、行こう! 次!」
「ええ、次は何処へ行きましょうか?」
これは、ミュール様に対しての言葉でもある。が、答えは返ってこない。
頭上のフクロウが、ほぅほぅ鳴いているだけだ。
無言の返答は、彼女に従え、もしくは、自分で考えろ、のどちらかなのだろう。




