98.影を名乗る女
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ミュール様に淹れて頂いたお茶を、口へと運ぶ。
熱く感じるほどの熱と共に、香りが鼻を駆け抜けていく。
今日のお茶は、渋みが薄く、香りが強い。
そして体内に入ると感じる、ミュール様の冷たい魔力。心地よい。
「ふー。ミュール様のお茶は美味しいですね。貴女もそう思いませんか?」
世話係の女性に視線を向け、俺は言った。
答えは返ってこない。
視線を向けて、やはり思う。この微妙に不安になるというか、不自然な物を見ている感覚というか……見た目では無い。どちらかといえば、魔力の問題だろう。
まぁ、ミュール様が平然としているということは、害のある違和では無いのだろう。詮索するのは止めておくか。
「残念。嫌われたみたいです」
「フフフ。そういう日もありますから。気にしないであげて」
「はい。それで、今日はどういうご用件で?」
「あら。事務的な対応。そういうのは、あまり好きではないですよ」
ミュール様が、目を細め、口を真っ直ぐ結んだ。
こういう顔も見せるのだなと、少し得した気分になる。弁明は必要だが。
「すみません。俺を呼ぶ人は、用件ありきで来ますので。つい」
「冗談ですよ。用事があるのは確かですし。嫌ったりもしません」
そして整った顔が、また薄い微笑みの顔へと変わった。
この顔は、笑みを張りつけている感覚を持ってしまう。
嫌悪の表情を前面に出されても、それはそれで凹んでしまうだろうけど。
「よかった。でも、気にせず俺を使っていいですからね」
ミュール様は、分別なく俺を利用しようとはしない。
使うなら、使う意味と意図を持って利用するはずだ。
だから、力になれるのは良い事だ。
人の道に反することも言わないだろう。そこは信頼できる。
「フフフ。その時は。それに今日の用事は、マルクが思っているような用事ではないのよ」
「ん? どこかに行ってモンスターを倒せ。とかでは?」
ミュール様は首を横に振り、否定した。
モンスター討伐以外で、俺が役に立てる事ってあっただろうか?
護衛か雑用なら最低限何とか、という所か。俺って出来る事、少ないよな……。
「今日は、私の友人に、このピュテルの町を案内して頂きたいのです」
「いいですよ」
護衛の方か。ただ一点問題があった。
それを率直に、ミュール様へと告げる。
「問題は一つ。俺、他人を案内出来るほど、この町のこと知らないんです」
「生まれも育ちも、この町ですよね?」
「はい、それでもです。行くのは大衆食堂かダンジョンか……ですので」
長い間、この町に住んでいるからといって、理解を深めているかは別の話だ。
冒険者を辞めてから、さらに行動範囲が狭くなっている気がする……武器屋と魔道具の専門店にも行かなくなった。
冒険者ギルドには、行きたくもない。
リンダさんの経営する道具屋『鴨の葱』には、もっと足を運ばないと。
現在ミュール様は、少々固まっている様だ。
今のうちに、お茶を一口。
少し温度の下がったお茶は、ゆっくり味と香りを楽しむのに丁度良い。
直接、喉へ通さず、口内で僅かに味わう。
やはり、今日のお茶は、華やいでいる。香りが口の中で跳ねているようだ。
「ふぅ。うまい」
熟練すれば魔法で出すお茶に、こうも変化を与える事が出来るのか……勉強になるが、それは使えるようになってからの話だな。
まずは植物生成からだった。まぁ、魔法は一日にして覚えず、だ。
しかし植物生成について、何か忘れている事があるような――
「わかりました。不慣れですが、案内の順序は私が決めます」
「ミュール様、頼りにしてます」
「はい。お任せ下さい」
ミュール様の目尻が下がり、優しい顔をしている。いつもの微笑より、こっちの笑顔の方が好きだ。ただの好みの問題かもしれないが。
そう今は、ミュール様と会話中だ。
魔法の事を考えるなんて、全く失礼な奴だ。
「それで、そのご友人がどのような方か、聞いても宜しいですか?」
「ええ。公爵家の――今、面倒だと思いましたね」
「実際、面倒ですし……できれば、貴族とは関わり合いになりたくないですから」
アムの生家も貴族らしいが、あいつは貴族的な振る舞いはしないからな。
それ以外の貴族となんて、関わり合いになると、要らぬ面倒が増えるだけだ。
公爵家なら尚の事。国政に関わる人物は、御免被る。
「ご安心を。私の友人は、御令嬢の影をしている女性ですから」
「公爵令嬢の影。ですか?」
影とは、本人を守る為に用意する、本人と瓜二つの身代わりである。
時には代役として表舞台に顔を出すこともあるそうだが……真偽は知らない。
「ハイディルム公爵家のレディ・メリィディーア。傍系ですが、王家の血を引く方の……影を務めている女性です」
直系にあたる血族者でなくとも、代役を立てるとは。貴族というのも大変なのだな。といっても俺が案内するのは、影をやっている女性の方か。
「大変な仕事している方なんですね……案内役が俺なんかでいいんですか?」
「マルクでないと駄目なのです。相手が厄介ですので」
「分かりました。人物像は、会ってから判断しますので、行先はお願いします」
「はい。ここから先は、そこの本人に聞いてくださいね」
「そこの?」
この場には、俺とミュール様、そして世話係の女性しかいない。
その時、魔力を感じた……世話係の女性から。
「もう、ばらしちゃうの? 勿体ないなー」
その声は、確かに世話係の女性のものだ。
が、目にした光景は異質なものであった。
席に座っている世話係の女性の姿と、もう一人、別の女性の姿が折り重なって見える。栗色の髪の大人の女性と、もっさりと波打った黒髪の少女の姿が。
髪の毛も、顔も、服も、輪郭すら違う二つの像が合わさり、乱れ、世話係の女性の姿が少しずつ消えていく。
そして、もじゃっとした黒い髪の少女の姿へと変わった。
いや、魔法を解いたのだろうから、戻ったのだろう。
しかし、どのような魔法なのだろう?
姿形から変えていた? 見た目だけ騙していた? 俺への認識を狂わせていた?
声は変わっていたが、それは本人の技術か? 魔法ゆえか?
うむ……気になる。
黒髪の少女、影であろう少女は、俺を見てにんまりと笑っている。
口元が猫のようだ。
そして、その口から発せられた声は、世話係の女性のそれとは違い、活気のある声であった。
「ねぇ、驚いた? 驚いたでしょ」
俺は黙って二度頷く。
あぁ、どんな魔法なのか、全く理解できなかった。残念だ。
「ほらぁ、ミュールのお気に入りだからって、私の魔法は見抜けないって」
「ウフフ。気付かれるのが怖くて、黙ったままだったのに?」
「いやぁ。だって、マルクちゃんが怖い目で睨みつけてくるんだもの」
「睨んでませんよ」
不自然さは覚えていたけど、魔法で偽装しているとは思わなかった。
ミュール様の友人なのだから、特質的なことが当たり前に思えてしまう。
「ご友人の方も、魔術師だったのですね」
本当に護衛が必要なのだろうか? 自身が魔術師で、姿を変えることが出来るのであれば、護衛など必要ないと思う。
黒髪の少女を見れば、未だに魔力を感じる。
偽装だと知っていれば、不可解な感覚に陥ることはない。
この姿もまた、仮の姿なのだろう。
黒髪の少女は、自信に満ちた顔で俺を見ていた。
「当然。公爵家の娘として生まれた……っと、者の影としては、魔法も武芸も一流じゃなきゃね」
「やっぱり護衛、要らないですよね」
「あくまで、”案内”ですので」
その言い回しが、護衛が主目的であることを示している。
護衛は得意でないが、ミュール様の頼みならば仕方あるまい。
「わかりました。今日一日、よろしくお願いします。それで何とお呼びすれば?」
「ノワールと呼んでちょうだい。もちろんノワールは仮の名よ。本名は、乙女の秘密なんだから」
乙女の秘密ねぇ……見た目的には、俺と同年齢程度に見えるが、見た目が信用ならないのは、テラさんという存在が実証している。
仮の姿なら尚更だ。
「はい、ノワール様」
「あー! 様はやめて! 好きに呼んでいいから、様はやめて」
ノワールが、見るからに嫌そうな顔をこちらに向けて、様付けを拒絶した。
俺としては、呼び名は気にしないので別にいいのだが。
「はぁ。では、ノワールさんで」
「それでいいわ」
「変わらず、名前一つ踏み込もうとしないのですね。まあ、それ故、大切な友人を任せられるのですが」
これは、どちらなのだろうか? 呆れか、信頼か。
今のミュール様の感情は、一段と読めなかった。




