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なぜ私は生まれてきたのか

作者: ひろあき

最近、この問いがよく頭によぎる。「なぜ私は生まれてきたのだろう」「別に生まれてきたくなかったのに」と。

というのも、夢も失いただただ単調な毎日を過ごしているからだ。彼女もいなければ、友達もおらず、夢や希望もないそういう毎日が淡々と続いていく。


なぜ生きているのだろうか。生きるとは何かと問いかけられたら、誰もが答えるのに困るだろう。しかし、私にとってはすごくリアルな問題である。


私は大学で勉強をしている。現在27歳である。今年で28歳になる。将来は、なにになりたいとか、どうしたいという目標もなく過ごしている。


就職活動の時期なのに、全然就職活動する気が起きない。ただ毎日を卒業論文のための本読みと思考を繰り返しており、息抜きにゲームをする日を過ごしている。当たり前の毎日だ。だが、これほど退屈な日は人生の中で今までなかっただろう。


もともと私は声優を目指して頑張ってきた。6年前までは、夢と希望に溢れていた様に思う。毎日が生き生きとしていた気がするからだ。


だが、私はこう思ってしまった。「こんなことをやっていて何になるのだろうか。」「もっと他にやるべきことがあるのではないか」と。


そう思って、専門学校は一応卒業したが、声優という道は諦めて大学に入った。それに、声優になりたいと思ったのは、特に強い意志があったわけでもなかったから、そうなることは何となくわかっていたような気がしていた。というのも、親がたまたまチラシを見せてきて、他に自分はやることがなかったから行ってみようと言って行ったに過ぎないからだ。別に特別声優に憧れていたわけでもなかった。


だいたい、私の人生は「本当にこれでよかったのか」の繰り返しである。デカルトは夢の懐疑のところで、「私は今ソファーに座っているが、実は夢の中におり、本当はベットの上で眠っているのではないか」と疑っている。この「本当は」とは、私が道を選択した後に頭によぎる「本当は」ということに似ている。なぜなら、私は一度きりしかない人生を全うできないことに恐怖を感じていたからだ。デカルトの夢の懐疑とは、この恐怖に根付いている。


自分が正しい生き方をしているのかどうかは不可知である。なぜなら、もう一度同じ人生をやり直すということはできないからだ。だからこそ、将来が不安になったり、その不安を解消するための対策を人は講じようと足掻きながら前に進んでいく。しかし、何のために足掻くのか。そもそも、この不安は解消しなければならないのか。


だが、解消しようとしなければ、いったい何のために生まれてきたのかわからないだろう。そのことがますます私を不安に掻き立てる。


だから、不安はなくならない。


ならば、なくならない不安は不安のままにして、生きて行けばいいのではないかと思う。というのも、この不安こそが私の生きる意味であるからだ。


私が生きるのは、私が生まれてきたからだ。なぜ生まれてきたのかというと、それはわからない。なぜ私がここにいて、今こうして文章を書いているのかさっぱりわからない。


だからこそ、私は書きたい。さっぱりわからないことがはっきりとわかるまで・・・

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