06.酒場
高貴な女性に仕えるのは同性であるべきだ。しかしながら女性だけでは不便もあるので、年端のいかない少年が仕える場合もあった。リーシンがアランハ王妃に仕えているのが、まさにそれである。予定通りであれば、リーシンが成長するとお役御免、母国に帰る予定である。
そういった中途半端な身の上のせいなのか、アランハ王妃がリーシンを気にかけることはなかった。ケーカーの王宮に来て半年ほどの時を経てから、ようやく王妃からリーシンに呼び出しがあった。
「リーシンとか言ったわね」
跪くリーシンに王妃殿下が語りかける。王妃は最近好んで身に着けるという、ゆったりした衣装を纏っている。その美貌は同じ年代の貴婦人たちと比べても抜きん出ていた。
「お前はしばしば城を出て、街に降りていると聞いたわ、そうね?」
それは質問ではなくて確認だった。リーシンはケーカーの言葉にも堪能だ。身軽に城と街とを往来し、様々な雑用をこなしている。
「左様でございます」
「では、王都でなにか面白いものを見つけて、ここに持ってきなさい」
そういったことはリーシンの得意分野だ。王妃はここのところ趣味の乗馬も避けていると聞くし、無聊を託っていらっしゃるのだろう。
「かしこまりました」
リーシンはまたしてもうやうやしくうなずいた。リーシンは侍女から多めの銀貨を受けとると、侍女に目配せを返す。そして王妃の居室を出ると、その足で城内のあちこちに顔を出し、いつものように注文を集めたり、手紙を預かったりした。
翌日、リーシンはこの国、ケーカーの小動物の剥製を持って王妃のもとに参上した。しかし王妃のお気には召さなかったようだ。
「期待はずれね。城からほとんど出ないはずの侍女達の方が、気の利いた物を持ってきたわ」
そうでしょうとも。しばらく前に侍女殿の一人が、生きたままの珍鳥を献上なさったそうですね。あれを手に入れるのは少し苦労しました。
もちろんそんなことは口に出さず、申し訳ありません、とだけ返答し、リーシンは力なく頭を垂れ退出したが、内心は全然気にしていなかった。
ほとんど城から出ず、またケーカーの言葉も話せない侍女たち。彼女たちがどのようにして気の利いたものを見つけ出し王妃に献上しているのか? 王妃はそのような些事をお気になされない方なのだ。リーシンの評価は下がり、比較された侍女達の株が上がった。
王妃の居室を出ると、リーシンは使用人仲間から注文された小物や本、城下で預かった手紙を配って歩いた。ケーカーに来て半年程で、リーシンは城内と城下にささやかな人脈を作り上げ、それを使った小遣い稼ぎをしていた。そして小遣いを握りしめ、王都の酒場へと繰り出した。
『待たせたようだな』
酒場についてから書き始めた手紙をほぼ書き終えた時、ようやく待ち人がやってきた。この店の奥には人目に付きにくい席があるが、そこにいても昼間から酒を飲んでいる酔っ払いどもに交じると、まだ幼いリーシンの姿は目立つだろう。一方目の前にいる騎士は酒場の雰囲気に溶け込んでいた。騎士と言っても新騎士。元々こういった安酒場に棲息している類の人間だ。酒をよこせ、と店主に言い放ち、乱暴にリーシンの前の席に腰かけると、そのままリーシンが書いていた手紙をのぞき込む。
『ん? これはソサ語か?』
『さあ、どうでしょう?』
リーシンは書きかけの手紙をしまう。この新騎士、ヌングラ卿がトテッタ語を話すことは知っている。おそらく読み書きもできるだろう。ソサの辺境で見かけたことがあるので、ソサの言葉も読み書きできるかもしれない。
『まあいい、で? どうだった?』
ヌングラ卿は注文された酒をすぐさま飲みほし、お替りを注文する。結構デリケートな話をしているのに、店員がテーブルにやってくることに頓着しない。軽率な男ではないと思うのだが、相手を変えたほうがいいかもしれない。
『どうやら情報どおりのようですよ。そちらはどうでした?』
ヌングラ卿は、アランハ王妃懐妊の報せに顔を綻ばせる。
『そうか。男か女かわかるか?』
厚顔にも自分の聞きたいことだけを一方的に聞き出そうとしてくるが、リーシンは丁寧に新騎士の相手をする。リーシンはなんの力もない、ただの少年に過ぎない。だが、このケーカーの王都においては、大国トテッタの子爵である父の、さらにはトテッタ国王陛下その方の代理人なのだ、そう他人には思わせなければならない。どれだけ実情が伴っていなくても。
『僕は占い師ではないのでわかりません。で、そちらはいかがでしたか?』
おかわりの杯をあおり、ヌングラ卿が話す。
『軍団長は相変わらず消極的だ。が、商工系のギルドにはもう火が付いた。連中がしょっちゅう王軍に急かしにくるようになった。もう時間の問題だと思うぜ』
国境近くにある鉄鉱山の所有を巡って、ケーカーは北の隣国オインとの争いを続けてきた。近年ケーカーでは、トテッタから流れ込んだ金で商工業の発展著しい。そして力をつけた商工業者から、鉱山を取り戻せ、との声が高くなっている。その声はまず王軍に届けられた。
商工業者と王軍を結び付けている最大のものはもちろん金、次いで改革派宗教、最後に古くからの貴族という共通の敵だ。ヌングラ卿は王軍の幹部だが、まだ低い王軍の発言力向上の機会を常に伺っている。今回の鉱山奪回の声が大きくなるのは、ちょうどよい機会なのだ。
先走り過ぎられるのは困るが、遅れるよりはましだろう。さすがに彼らも王妃の出産までは待つだろう。
『わかりました。次はもう少し具体的な話をしませんか? 誰が、いつ頃、何をするかをです』
ヌングラ卿はまだ飲むというので、彼を残してリーシンは酒場を出た。日はまだ落ちていない。
ケーカーの改革派の勢力は伸びているが、王族や貴族はまだまだ伝統派だ。一方リーシンの故郷では王族も、貴族もほぼ改革派になっている。アランハ王妃もそう、リーシンもそうだ。
アランハ王妃が無事に母親になれば、その子が嫡子となる可能性が高い。他の王子・王女は正式な婚姻に基づくものではないからだ。さすがのケーカー国王も嫡子に改革派の司祭をつけたりはしないだろうが、それでも改革派の母親を持つ子供になる。
だからといって、母国がどの程度ケーカーの改革派を支援するかは不明。ヌングラ卿だってあまり期待していないのではないだろうか。多分どちらも口だけだ。
酒場を出ると、リーシンは王都にある伝統派の教会へと向かった。神に過去の過ちを告白するためにではない。人と未来について話すためだ。