05.大河のほとりで
リーシンは大河のほとりにたたずみ、水の流れを見ていた。これだけの水が次から次へと流れてくるのはなぜだろうか。この川の向こうはケーカーだが、ここから見る限り川のこちら側となにも変わらないように見える。
リーシンが眺めている間も、大小の舟が行き来している。川のこちらからあちらへ向かう手漕ぎの小舟もあれば、上流から下流に向かう、荷物を積み込んだ帆船もある。だが一番大きくて立派な船は、この船着き場に停泊したままの御座船だ。
この船着き場に着いたのは昼前だが、既に日は傾き始めている。国境まで高貴な花嫁を送り届けるという仕事、それをほぼ終えた兵士たちには緩みが見える。それぞれ少人数に分かれて地面に座りこみ談笑していた。一部の兵士たちだけが、今も周囲と御座船と船着小屋を睨みつけていた。
この30人を超える集団の中でリーシンは孤独だった。子供はリーシン一人だけ。今の身分は王女殿下の侍従だが、王女様からお声を頂いたのはただ一度、最初に父に紹介された時の一言だけだ。
「それではお願いするわね」
王女付きの侍女たちもリーシンのことを一顧だにしない。この船着き場までの旅路でも侍女たちは馬車に乗り、リーシンは兵士たちと歩いてきた。兵士たちはリーシンが話しかければ答えてくれるが、叔父の領民と違い、その態度は冷たいものだった。だからリーシンは今も一人離れ、川辺にたたずんでいた。
しばらくして船着小屋から、一人の貴族と一人の騎士が出てきた。今まで座り込んでいた兵士たちも一斉に立ち上がる。貴族はこの使節団の副使であり、リーシンの父よりも身分が高い。副使と一緒に出てきた騎士、いや武装した貴族が、周りを睨めつけた。
「今ようやく姫様のご準備が整った。これから副使殿がケーカー側と話しをし、姫様が御座船にお移りになる。我々の仕事はもうすぐ終わる。最後まで気を抜くな」
ハッ。
兵士たちが武装した貴族の言葉に応える。その声を聞き、副使と貴族が御座船に向かった。アランハ王女が前回ナナネナナに嫁いだ時は、父が副使を務めたと聞いた。今回も同じ王女だが、嫁ぎ先はトテッタに次ぐ大国のケーカーだ。だから父より身分の高い貴族が副使を務める。当然正使はさらに格上だ。父の、というよりテケモア家の微妙な立場を改めて思い知らされてしまう。
副使が御座船に呼びかけるとすぐに、姫様一行が乗り込むための木製の階段が下ろされてきた。手すりもついた立派なものだ。船側もいい加減じれていたのかもしれない。その準備を見て副使たちは再度小屋に戻る。その戸が閉まったころに、船から階段を使って二人の着飾った男が下りてきた。一人はケーカーの貴族、もう一人は高位の聖職者だ。その服装から伝統派と思われる。
二人は隣国の兵士たちで溢れた船着き場でも堂々としていた。大河のほとりで一人たたずんでいたリーシンはゆっくりと御座船に向かった。ケーカー側の使節が近づいてくるリーシンに気が付いた頃、小屋の戸が再び開き、母国の正使にエスコートされたアランハ王女の姿が垣間見えた。ケーカーの使節が、トテッタの兵士たちが一斉に跪く。リーシンはアランハ王女に見とれ一瞬跪くのが遅れてしまった。
あの船着き場の小屋に入るまで、アランハ王女は旅装ではあるが、それでもトテッタの王女に相応しい衣装を身にまとっていた。だが今、王女は異国の衣装、ケーカー王妃の盛装を身にまとっていたからだ。
王女の一行が御座船に近づいてくるのがリーシンにもわかった。
「我らが王妃殿下、ケーカーへようこそいらっしゃいました」
ケーカー貴族と聖職者が声をそろえて挨拶した。言葉はトテッタ語だが、二人の使節が声を合わせるのはトテッタにはない風習だ。
「ありがとう。王都まで世話になりますね」
王女はケーカー使節にねぎらいの言葉をかけた。この王都はトテッタのものではなく、ケーカーのそれだ。ケーカー貴族は跪いたままでその言葉に応える。
「王妃殿下のお役に立てるようであれば、光栄でございます」
二人の声はまたも完全にそろっていた。ケーカーの使節は立ち上がると、聖職者が先導し、貴族が王女をエスコートして階段を上がる。それにトテッタの正副の使節が、さらには王女に使える侍女たちがその後に続く。リーシンは慌てて立ち上がると、彼らの後を追って船に乗り込んだ。
リーシンが乗り込むと船員たちがテキパキと働いて船出の準備をし、ほどなくして御座船は川岸を離れた。トテッタの王宮からここまで来た者のうち、王女殿下、正副の使節、王女の侍女たちが船に乗り込んだ。彼らはこの大きな船の船室にいるのだろう。リーシンだけが船べりに残り去り行く母国を見ていた。
ここまで護衛してくれた武装貴族とその兵士達が、川岸からこちらを見ている。思わずリーシンは、彼らに大きく手を振った。兵士たちも、貴族までも手を振り返してきた。この大河に到るまで、兵士たちが冷淡だったことも忘れ、リーシンは懸命に手を振り続けた。次にリーシンが母国に戻るのは、4年か5年後になるだろう。岸から遠ざかったせいなのか、それとも別の原因なのか、こちらに手を振る同胞たちの姿が滲んで見えなくなった。