03.峠道
町まで降りてきて、ようやくリーシンは生き返った気分になった。山中で季節外れの吹雪にあった時、リーシンはもう故郷には戻れないのではないかと覚悟をしたからだ。
「あの程度、吹雪に入んねぇですよ」
この町はトテッタとの交易路上にあり、ソサの玄関口として栄えている。だからこうして宿屋兼酒場がある。リーシンたち峠を越えてきた者と、これから越えようとする者たちがあちこちでトテッタ語、ソサ語、あるいは別の言葉で情報交換をしていた。
「これから山越えの奴らは大変だな」
「天気が悪いのがわかってて山を越える奴は馬鹿だが、のんびりしてっと、今年は冬が早めにやってきちまうかもしんねーしな」
「俺たちゃ、後はゆっくし下るだけだかんな」
リーシンの感覚ではまだ秋になったばかりだが、山の季節は違うらしい。父と叔父がこの町の領主に挨拶に行く間、リーシンは他の大人達と飯を食べていた。彼らは叔父が統治する村の領民である。苦しい峠道を乗り越えた彼らへのねぎらうために、リーシンは父から銀貨を預けられていた。もちろんリーシン自身も、こうして安全に落ち着いて温かいスープが飲めるのはずいぶんと久しぶりのことだ。
『おい、見たところ、あんたたちは峠から下りてきたところかい?』
見知らぬ男にケーカー語で話しかけられてリーシンたちは顔を見合わせた。この場でトテッタ語以外を解するのはリーシンだけである。少し考えてからリーシンはトテッタ語で答えた。
「何を聞いてるのかよくわからないけど、僕たちはソサの都へ行くところだよ」
「そうか、ジャマしたな」
ケーカー人らしき男はトテッタ語で言い捨てると、大きな体を揺らして別の客に話しかけに行った。ソサの都に行くことを言ったことは問題ない。ここの客の3分の1は街道の西にある、ソサの都を目指しているだろう。
「商人には見えなかったね」
「坊っちゃん、あれは兵士ですよ」
ケーカーの兵士か。父上には後でお話ししておこう。リーシンはそう思った。
「それは騎士だろうな」
町を出て、幾分ゆるやかになった下り道で、馬上から父がリーシンに答える。この一団で馬に乗っているのは父と叔父だけだ。普段は荷物も乗せているが、「何か」を見つけた時は荷を素早く下ろし、駆け出すことができる。また一番体力のないリーシンは乗馬の練習を兼ねて、二人にたまに代わってもらっている。
「しかし身なりは平民のものでした」
リーシンは馬上の父を見上げて話す。
「旅の途上では身なりを気にしない騎士も多い。それに新騎士かもしれん」
新騎士というのは、先代トテッタ王が新たにお設けになった王軍という制度、その指揮官のことだ。それまでは兵士というと、領地持ちの貴族が連れてくる農民のことだった。戦争ではないが、今回叔父が連れてきてくれた男たちも本業はそうだ。
それで足りなければ傭兵だ。ただし傭兵はハズレも多く、全然働かないことがあったと、ここまでの旅路で父と叔父が話していたことを思い出した。
王軍とは常時雇いの傭兵と言えばわかりやすいかもしれない。給金は国王陛下がお支払いになる。常時雇いなので、有事でなければ宮殿の警備や訓練をしている。そして血筋ではなく、兵士達の中で有能なものが指揮官になる。それが新騎士、一代貴族の身分が与えられると聞いた。
「ケーカーにも王軍があるのですか?」
「昨年、形だけだが作られたと聞いた。あそこは我が国の制度をすぐ取り入れようとする」
父は苦々しい顔で答えた。その苦渋は、ケーカーにたいしてではなく、新騎士と王軍に向けられているのではないか。リーシンはそう思った。
だからリーシンは父に聞けなかった。なぜ先王陛下が王軍をお設けになったのか。そしてなぜ、それが可能になったのか。この旅の間にそれらがわかるようになるだろうか。
その時一行は山道が急にひらけ、ソサの平地が眼下に見渡せる場所に出た。
「だいぶ降りて来れやしたね」
「ここまで来たらソサの都まで10日もかからんでしょうな、義兄上」
リーシンはソサの都が見えないか目を凝らしたが、どこにあるのかわからなかった。
「ソサの都に着いたら、お前には従僕として私に控えてもらう」
「おまかせください、ご主人さま」
"見習い"が取れるのだ。リーシンは王宮で鍛えた優美なしぐさで父親に答えた。そして、異国の王宮で貴人達と言葉を交わす己を思い描いた。