02.旅へのいざない
それなりに満足した客人達が帰路についてから程なく、リーシンは父親に呼び出された。一か月ほど前に長兄が座っていた実家の執務室の椅子に、今度は父が座っている。父はリーシンの王宮での日頃の働きを尋ね、軽く褒めた後本題に入った。
「一ヶ月後、私は西のソサに行く。その後冬になる前にマメムに移る。帰国は春の予定だ」
リーシンは黙ってうなずいた。ソサもマメムもトテッタの西の隣国だ。外国語に堪能な父は、これまでにも他国に赴いたことがある。そして父が不在の間、また何か特別な仕事が命じられるのだろう、リーシンはそう思った。が、その後の父の言葉はリーシンの予想とは違った。
「リーシン、この旅にお前を連れていくことにした」
驚いてリーシンは父を見た。リーシンはこれまで王都から出たことすらもほとんどない。心の奥底から興奮が沸き上がってくる。リーシンの歓喜はすぐに父に伝わったようで、父は苦笑しながらリーシンを諭す。
「今回は急ぎ故、少人数の厳しい旅になるだろう。まずは兄さん達によく旅のことを聞いておくように」
「わかりました!」
リーシンが父の執務室を出ると、そこにすぐ上の兄がいた。リーシンは勢いよく兄に近づきその手をつかんだ。
「兄上、お願いがあるのです!」
「お前の願い事が何かわかっているとも。そして、なぜ僕がここにいるのか、それがお前にもそろそろわかっただろう?」
リーシンは兄の部屋に連れられ、旅の話を聞いた。以前にも何度か兄に旅の話をせがんだことがあるが、今回はより熱心に、そして細部についてリーシンは尋ねた。兄が旅に出たのは15歳の頃だったという。
「だからリーシンが旅に出るのは、お前がもっと大きくなってからだと思ったよ」
リーシンはまだ10歳だから、比べてみると随分と早い気がする。
兄の旅は侯爵が正使を務め、父が副使。それに騎士たちが同行する大規模なものだったという。兄には様々な苦労があったらしい。
「兄上はどちらの国に参られたのですか?」
「南の隣国、ナナネナナだ」
確かに以前にもそう聞いたことがあった。兄が15歳、行先はナナネナナ、そうすると、真の使節は王女様だったのだろう。本来は決して故郷に戻ってこないはずの使節だが、不幸なことに来年にはお戻りになるはずだ。
「僕の時は季節も初夏、行先は南のナナネナナ、峠道も西方よりはかなり楽だと聞いた。人が多く身分のある方々が多かったから、そういう苦労を僕はしたけれども、旅そのものの苦難は人数が少ないほうが厳しいだろう。リーシンは大変だろうな」
「楽しみです」
リーシンを見て、兄は先ほどの父と驚くほどよく似た苦笑を浮かべていたが、リーシンはそれには気が付かなかった。
それから一ヶ月足らずの間、リーシンは度々王宮から実家に戻り、旅装を整えた。小間使いに兄のお古の外套の丈を合わせてもらったり、地図を頭に叩き込んだり、行先の国の言語の復習をした。
「必要になるかもしれない」
兄にそう言われ、初めて剣を取ることを許されたが、リーシンにはその才能がないことがわかっただけだった。
「リーシンは戦うのではなくて逃げるんだ。逃げて情報を陛下にお伝えする、そして味方を連れてくる。それがリーシンだけでなく我がテケモア家の仕事だよ」
やさしく諭されてもリーシンにはなんの慰めにもならなかった。
出発が近づくとリーシンは従僕見習いの仕事をいったん辞めて実家に戻った。そして出発の前々日に、母方の叔父であるトゥーラン卿が数人の男たちを連れ、テケモア家を訪れた。トゥーラン卿が副使として今回の旅に同行してくれることは事前に聞いていた。出迎えた父が叔父と抱き合う。
「よく来てくれたな、ジセ」
「王家と義兄上のためならば、どうということはありません」
続けて母と叔父が抱き合う。
「久しぶりねジセ、元気そうで安心したわ」
「姉上もお元気そうで何よりです。母さんや妹たちから手紙を預かっているので、後で渡します」
一行のうち叔父だけが客間に、他の男たちは使用人部屋に案内される。兄たちに続いて、リーシンも叔父に挨拶をする。
「末子のリーシンです。初めてお目にかかります、叔父上」
叔父がうなずいたのを見てリーシンは言葉を続ける。
「今回は重要な旅にご同行させて頂き光栄です。至らないところがあればご指導をお願いいたします」
「私も頼りにさせてもらうよ、リーシン」
叔父が伸ばしてきた手にリーシンは握手をした。騎士らしく力強くゴツゴツとした手の感触だ。この手であれば剣も弓も巧みに使いこなせるに違いない。手を離した後も、その思いがリーシンから離れなかった。