01.密偵
リーシン・テケモアは大国トテッタの王宮に仕える最年少の従僕見習いだ。特定の主人を持たないまま、王宮内の様々な雑用をこなしている。今日からしばらくは南の隣国、ナナネナナから来た貴族をもてなす事が彼の仕事だ。
王宮の執事が異国人達を客室に案内したところでリーシンが紹介される。雑用はこの者にお申し付けください、そう言い残し執事は去った。
「リーシンと申します」
リーシンはテケモア子爵の4男だが、王宮従僕の作法に習って個人名だけを名乗る。まだ幼いリーシンの完璧な宮廷トテッタ語か、やはり叩き込まれたその所作のせいか、ともかく異国の客人達は満足そうにうなずいた。
「私はネルン伯爵だ。よろしくリーシン」
訛りは含まれているが王宮で十分に通用する宮廷トテッタ語で、伯爵は子ども相手に丁寧なあいさつをする。トテッタは大陸のほぼ中央に位置し、大きな影響力を持つ大国である。宮廷トテッタ語は大陸外交における共通語の地位をしめていた。伯爵の言葉にリーシンは優雅に跪いて敬意を示し、立ち上がると王宮侍女達と一緒に客人達の旅装を解く手伝いを始める。
『やっと身軽になれるな』
『気を引き締めろ、ここからが本番だぞ』
客人同士は母国の言葉で話し合う。たまに客人からトテッタ語で指示があるが、短く、そして訛りも強い。
「それはここに置け」
リーシンは宮廷の兵士たちが運んできた荷物を、客室の命じられたところに運ぶ仕事を続ける。
一通り役目が終わった後リーシンは一人の貴族にナナネナナ語で声をかけられた。
『ご苦労だったな、小僧。お前に銀貨をやろう』
リーシンは困ったようにネルン伯爵に視線を送った。伯爵はトテッタ語でリーシンに話しかける。
「お前のおかげで助かった。お礼に大銅貨を渡そう、そう言っている」
リーシンは笑みを浮かべて客人たちに感謝を述べ頭を下げた。もちろんセールストークも忘れない。
「なにかあれば、いつでも私、リーシンをお呼びくださいませ」
リーシンはメイド達とともに深く礼をして、客室を出る。扉を閉めた途端侍女の一人がリーシンに話しかける。
「リーシン、さっきの大銅貨を出しなさい」
口調も態度も客室の中にいた時とは大違いだ。先ほどはまがりなりにも大国トテッタの威信を背負っていたが、それはもう降ろしたと言うわけだ。
「わかったよ、半々でどう?」
「こっちの方が人数が多いのよ。わきまえなさい、リーシン」
リーシンの方が年下だからなのか相手は強気だ。
「じゃあ山分で手を打つから、大銅貨を崩しておいてよ。貸しだから覚えといて」
この侍女達も、全員が貴族の子女のはずで、実家に戻ったら使用人達にかしずかれ、お姫様として扱われているのだろう。それなのに銅貨を取り合わないといけない。この現状が行儀見習いの悲しいところだ。
上手くすれば銀貨がもらえたかもしれないよ、とはとても言えない。他国の貴族ならば教養としてトテッタ語を操る者もいるが、トテッタの貴族は自国語しか使えない者が多いのだ。銅貨の分け前がリーシンの手に戻ってくるかどうか考えながら、リーシンは次の雑用に向かった。最年少従僕のリーシンには、こなすべき雑用が山のようにあった。
数日後、休みを取ったリーシンは王都の実家に戻った。テケモア子爵家は領地を持たず、王家に仕え歳費頂いている。勝手口から入ったにも関わらず、立ちどころにリーシンは執務室に呼ばれた。父の椅子に座る長兄を見て、兄が意外なほど父に似ていることに、リーシンはいまさらながら気が付いた。
「ナナネナナの客人達の様子はどうだ?」
せっかちな長兄は挨拶もろくにしないで本題に入る。
「やはり彼らの王子様の具合が良くないみたいですね。彼らが峠を越える直前の報せでは、もう回復の見込みがなかったようです」
彼の国の王子は既に亡くなっている可能性もある。その際、問題になるのはその妻がこのトテッタの王女ということだ。二人の間には子供がいない。だから王女はトテッタに戻さないといけない。王女に代わるなにかによって、両国の関係を維持しなければ、大陸南部のバランスが崩れてしまう。
だから今度はあちら、ナナネナナの王姪をこちらの王弟の後添にしたい、というのが今回の客人達の目的である、リーシンは兄にそう説明した。
テケモア子爵家は代々、外交をもって王家に仕えてきた。リーシンの祖父は短期間とは言え外務卿を務めたこともある。リーシン自身もも幼い頃から父や兄に仕込まれていた。今回はナナネナナの言葉がわからないふりをして彼らの会話を聞いていたのだ。おそらく初日の銀貨のくだりはリーシンを試していたものと思われる。
この話をまとめるために何を妥協して何をあきらめるか、客人たちのナナネナナ語の会話から気づいたことをリーシンは兄に説明する。もちろん、彼らも重要な事柄については符丁を使っていたが、何度か使うとリーシンにはそれが何を意味するかがわかってしまう。
「概ね予想通りだな。だがよくやった、父上には私から伝えておく。動きがあれば、また私に報告するように」
そう言って長兄は、大銅貨をリーシンに投げて寄越した。ここでも銅貨か。リーシンは軽く礼を言って受け取った。せいぜい良い肉でも食べてから王宮に帰ろう。リーシンは実家の台所に向かった。