4・兄妹
光樹は、小高い丘の上の展望台にあるベンチに座っていた。この展望台からは、今日のように天気が良いと、都心の方まで一望できる。
しばらく遠くを見つめていた光樹が腕時計に目をやったとき、後ろから足音がしてきた。光樹はそれに気付くと、ゆっくりと振り返りながら立ち上がった。
黒いワンピースを身に纏い、黒の日傘を差しながら一歩一歩、ゆっくりと光樹に近づいてくる。真っ白な花束を抱えるその腕には、服装には似合わない、男物のずっしりとした銀色の腕時計が光っていた。
光樹の前で止まると、ゆっくりと日傘の下から光樹の顔を見た。
「カナ・・・」
光樹は懐かしく愛おしい眼差しで、カナの目を見つめる。しかし、カナは黙ったまま、真っ直ぐな眼差しで光樹を見ていた。
しばらく二人は黙ったままだったが、光樹はカナから視線を外すと、カナに歩み寄り、カナが手にしていた花束を受け取り、ゆっくりと歩き出した。
丘の中腹に、光樹の父とカナの母が眠る墓地がある。
7月25日、二人はここで会う約束をしていた。
二人は墓に花を手向けると、手を合わせた。
「オヤジ、お母さん・・・カナが帰ってきたよ。また・・・綺麗になったみたいだな。」
光樹は墓石に向かって、そう話しかけた。カナは、じっと墓石を見つめたまま、何も話さない。
光樹はカナの方に視線を向けると、
「行こうか・・・」と、一言声を掛けた。
カナは黙ってうなづくと、光樹の後に続いて歩き出した。
「元気にしてたか?」
光樹はゆっくり歩きながら、口を開いた。
「・・・はい。」
カナは真っ直ぐ前を見たまま答えた。
「学校はどうだ?」
「・・・ちゃんと行っています。」
光樹は足を止め、カナを見た。
「カナ・・・」
カナも足を止めるが、視線を落としたまま、光樹の顔を見ようとはしなかった。光樹は一瞬何かを言おうとしたがその言葉を飲み込み、また歩き出した。
「今日、カナの誕生日と成人式のお祝いをしたいんだ。良いだろ?」
「・・・はい。」
二人の間に、それ以後会話はなかった。
その日の夜、二人を乗せた黒塗りの大きな外車は、ホテルの正面玄関に横付けされた。
後部座席からは、背中が大きく開き、裾にフリルをあしらった、真っ白いドレスを身に纏ったカナと、黒のスーツを着た光樹が降りて来た。
カナは肩に掛けるため、手にしていたストールを広げると、光樹がそれを手に取りカナの肩にそっと掛けた。
ホテルの最上階にあるレストランに着くと、二人は個室に通された。
個室に入るとそこには、
「遼ちゃん!信ちゃん!」
カナはそう声をあげてから、ハッとした顔をして口を押さえた。
「やあ!カナちゃん!久しぶりだね。遼ちゃんって呼ばれるのは、10年振りくらいだな〜。」
遼はニコニコと笑顔を見せながら言ってきた。
「久しぶりだね、カナ。元気だったかい?」
光樹の高校時代からの親友、棚橋信一も優しい笑顔で話し掛けてきた。
「二人共、カナのお祝いに来てくれたんだよ。さあ、座ろうか。」
カナは小さく頷くと、席に着いた。
「カナちゃん、すっかり大人になったね!凄く綺麗になったよ!」
遼は、久々に会うカナの顔を見ながら、いくつもの褒め言葉を並べていた。
「遼、一人で騒ぎすぎだぞ。カナが困った顔をしてる。・・・ごめんね、カナ。遼はカナに会えるのを、凄く楽しみにしていたんだよ。」
信一は、苦笑いをしながらカナの顔を見ている。カナは視線をテーブルに落としたまま、黙っていた。
それぞれのグラスにワインが注がれ、
「さあ、カナちゃんも晴れて成人だし、みんなで乾杯しようか!」
遼はグラスを手に、みんなの顔を見回した。
「じゃあ、カナちゃんの誕生日と成人を祝って、乾杯!」
遼の掛け声に合わせて、4人のグラスが涼やかな音を鳴らした。
「カナに初めて会った時、カナはいくつだったかな?」
信一は食事の手を止め、カナを見た。
「まだ3歳だったよ。・・・うちに来て一年位の時だったかな。」
光樹はそう言うと、カナの方を見た。カナは静かに顔を上げると、光樹の顔を一度見た。
「そうそう、ちっちゃくてプクプクしてて、可愛かったよな〜。」
遼はそう言うと、
「あ!今ももちろん可愛いよ!」と、付け足した。カナはそれを聞いて、クスッと笑って見せた。
「光樹の家に遊びに行くと、いつもパタパタ走って来て、ニコニコしながら玄関で出迎えてくれて・・・。俺達の後を追いかけて歩く姿は、今でも覚えているよ。」
信一はそう言うと、カナの手に自分の手を重ね、
「・・・カナはいくつになっても、俺達の可愛い妹だよ。」と、カナを見つめて言った。
カナは信一に切なそうな表情を見せると、
「ありがとう・・・」と、一言囁くように言った。
「大学はどうだい?楽しいかい?」と、遼がカナに聞いてきた。
カナは一瞬迷ったが、口元にほんの少しの笑みを浮かべ、
「うん・・・楽しいよ。友達も出来たし、毎日が充実してる。」と、答えた。
信一はそっと手を離しながら、
「何を専攻しているんだい?」
「・・・英語を。」
カナは濁すように答えた。
「そっか、カナちゃんは小さい頃から英語が得意だったもんね。将来は、通訳とか?それとも、外交官とかも良いんじゃなかな?カナちゃんなら、ぴったりだよ!」
遼はニコニコしながら、カナの顔を見ていた。カナは視線を落としながら、ワインを一口飲んだ。
「遼、カナにも色々考えてることがあるんだから、お前が先走ったらカナは困るだろ?」
信一は苦笑いをしながら、遼の顔を見た。
「あはは、そうだな。ごめんね、カナちゃん。」
光樹は、3人のやり取りを黙って聞いていた。
「カナが羨ましいよ。」
信一が、グラスを片手にボソッと言った。カナは、ちょっと驚いた顔をしながら、信一を見た。
信一はカナの顔を見ながら、話を続けた。
「カナは自分のこれからを、自分で決めることが出来る。迷うこともあると思うし、立ち止まったり振り返ったりすることもある。でも・・・俺達には、道は一本しかなかったんだ。」
カナはゆっくりと光樹の顔を見た。
「決められた道を歩くことは、他人からすれば楽なのかもしれない。でも、その道しかないないということは、その時点で夢を持てないって事でもあるんだ。」
カナは視線を落とし、じっと信一の話を聞いていた。
「親の跡を継ぐことは、決して悪いことではないよ。その中で、自分なりの夢を持っていけば良い訳だし。・・・でも、時々思うんだ。他の道に進んでいたら、自分の人生はどんな風になっていたんだろうな・・・ってね。」
カナは考えたこともなかった。
光樹も遼も、そして信一も父の跡継ぎとして、ここまで来た。大きな会社だからこそかかるプレッシャーも計り知れないだろう。
それでも3人は、ひたすら勉強をして、親の名に恥じないような人間になろうと、努力してきた。
その中で、それぞれ将来の夢があったのかもしれない。
しかし、それを捨ててでも決められた道を歩んでいるのは、自分の定めだと自分に言い聞かせてきたからだろう。
「後悔はしていないよ。でもやっぱり、隣の芝生は眩しく見える時もあるんだ。・・・欲張りなのかもしれないけどね。」
信一は切なそうな顔をしながらも、口元に笑みを浮かべた。
「だから、カナには沢山悩んで、沢山道に迷いながら、自分に合った道を見つけて欲しい。・・・間違っても、遼のお嫁さんだけにはなるなよ。」
「なんでだよ!」
ふてくされる遼に、信一は意地悪そうな顔をして見せた。
4人は食事を終え、レストランを出た。
「バーでちょっと飲んでいこうか?」
遼がそう言うと、信一が
「先に行っててくれないか。ちょっとカナと二人っきりで話がしたいんだ。」と言って、カナの手を取った。
「分かったよ。早く来いよ!」
そう言って、遼と光樹はバーに向かった。
信一は二人を見送ると、レストランの脇にいくつか並べてあるソファーに向かった。
カナをソファーに座らせると、自分も隣に座りカナの方に体を向けた。
目の前は一面ガラス張りになっており、都心の夜景が一望できる。ビルの間から突き抜けるようにたたずむタワーの赤い色が、カナの目にはどこか悲しげに映った。
カナはこの夜景が、嫌いだった。
どんなに光り輝いていても、淋しさだけがこみ上げてくる。暖かみのない輝きは、何年経っても、変わらなかった。
「カナ」
信一が口を開いた。カナはガラス張りの向こうを、じっと見つめていた。
「カナ、本当に大学は楽しいのかい?」
その言葉を聞いて、カナは視線を落とした。子どものころからそうだった。信一は、いつもカナの心を見抜いている。光樹や遼には通じる嘘も、信一には通じなかった。
カナは小さく首を横に振ると、信一の顔を見て、
「・・・何が楽しいのかが、分からないの。」と言った。
「分からない?」
「うん・・・周りの人たちは、楽しそうにお話をしたり、授業を受けていたりするけど、私には何が楽しいのかが分からないの。」
カナは苦しそうな表情を浮かべた。
「お友達は出来たの。私の事を大切な友達だって言ってくれた。・・・とても嬉しかった。」
信一はカナの手を握った。
「そのお友達は、女の子なのかい?」
カナは頷いた。
「その子とは、どんな話をするんだい?」
「大学の話とか、兄弟の話とか・・・。」
「兄弟の話?」
「うん」
カナは視線を落としたまま、消えそうなか細い声で話を続けた。
「その子にもね、お兄さんがいるの。とても優しいお兄さんみたいでね、お兄さんの話をしている時の彼女は、とても楽しそうなの・・・。」
「カナは光樹の話しをするのかい?」
カナは首を横に振った。
「どうして?」
カナは信一の顔を見ると、一言こう言った。
「・・・思い出したくないから。」