3・暗闇
「光樹」
高級なスーツに身を包んだ男性が、光樹の横に座った。
「遅くなって、ゴメン。帰りがけに、電話が入って・・・。」
「いや、俺こそ急に呼び出して、悪かったな。」
「俺も久しぶりに光樹に会いたかったから、ちょうど良かったよ。」
幼なじみの長谷川遼は、光樹と同じ物を頼むと、話しを続けた。
「いつこっちに戻ったんだ?」
「昨日の夜中の便で。」
「そっか。相変わらず、忙しそうだな。」
遼はグラスを手に取ると、喉を潤すように一口飲んだ。
「遼も忙しそうじゃないか。大きなプロジェクトを任されたって、信一から聞いたぞ。」
「ああ、やっとデカイ仕事任されるようになったよ。」
遼はそう言うと、グラスをゆっくり揺らした。
「うちは、オヤジがまだまだ現役だから、俺なんていつまで経ってもヒヨッ子だよ。・・・俺が光樹の立場だったら、あっという間に会社は潰れてたかもな。」
「そんなことはないさ。人間、追い込まれたら、何とかなるもんだ・・・。」
光樹はそう言うと、グラスを傾けた。
二人はしばらく仕事の話しを続けた。
話が一区切り付いた時、
「カナちゃんは、元気か?」と、遼が聞いて来た。
「ああ、元気みたいだ。この間、林さんが会いに行って来てくれたよ。少し・・・痩せたようだって言ってたな。」
光樹は視線を落とした。
「カナちゃん、元々食の細い子だからな・・・。一人じゃ余計食欲出ないかもな。」
遼も心配そうな顔をした。
「ああ・・・そうかもしれないな。でも、自分で選んだ道だからな・・・。」
光樹は自分に言い聞かせるように、そう言った。
「光樹、もうこれ以上自分を責めるなよ。カナちゃんが、自分で選んだ道なんだ。お前がそんなんじゃ、カナちゃんも辛いだけだぞ。」
「分かってる。分かってるけど・・・」
光樹はそう言うと、グラスを握りしめたままうなだれた。
「・・・来月、カナちゃん帰って来るのか?」
遼の問いに、光樹は黙って頷いた。
「カナちゃん、今年は成人式だろ? 何かしてあげるのか?」
「亡くなったお母さんに、晴れ着をって頼まれたから、それを着せて写真だけでもと思ってる。」
「そうか。カナちゃん、喜ぶだろうな・・・」
遼の言葉を聞き、光樹は昔の事を思い出した。
「光樹さん、お願いがあるんです。」
仕事から帰った光樹に、カナの母が話しをして来た。
「なんでしょうか?お母さん。」
「カナの成人式の時、カナにこれを着せてあげてください。」
そう言って見せたのは、鮮やかな紅色に、色とりどりの花が絵描かれた、振袖だった。
「私が成人式の時に、母が仕立ててくれたものなんです。もしカナが嫌がらなければ、これをカナに・・・」
母は既に、自分の死期が近いことを感じてのだろう。身の回りの整理をしては、光樹に
「これをカナに・・・」と、頼んでいた。
「お母さん、一緒にカナの成人式を祝いましょう。カナも、それが一番嬉しいはずですよ。」
「光樹さん、ありがとうございます。でも・・・私の限界も、近いと思うんです。だから−」
「お母さん!何を言うんですか!もっと長生きしてもらわないと、僕もカナも困ります!・・・僕だって、まだ何も親孝行してないんですから!」
「光樹さん・・・」
光樹は母を抱きしめた。
「お母さんにもカナにも、辛い思いばかりさせて・・・だから、僕がもっとしっかりしたら、沢山親孝行しますから・・・」
その後の言葉が繋がらなかった。
「ありがとうございます。そのお気持ちだけで、私は嬉しいです。」
母はそっと、光樹の背中に手を添えた。
夕方、カナは図書館にいた。
館内は静まり返り、10人程の学生が読書をしたり、調べ物をしていた。
図書館に入って来た学生が、カナに気付き声をかけてきた。
「須藤さんも調べ物?」
彼女は同じ学部の田村南。すらっとした長身で、誰とでも気さくに接する彼女は、いつも目立つ存在だった。
「田村さん・・・コミュニケーションの課題をね。」
カナは南を見ると、ペンを止めてそう答えた。
「私もよ。熱海教授は、いつも面倒な課題出すから、大変よね。・・・ここ良いかな?」
カナが頷くと、南は向かいの席に座った。
二人はしばらく、課題に取り組んでいた。
カナがペンを休めると、南が声をかけてきた。
「須藤さんは、どこの高校だったの?」
カナは一瞬ためらったが、
「私は・・・東京の高校だったの。」と、答えた。
「須藤さん、東京から来たんだ。なんか雰囲気が違うなって、思ってたんだ。」
そう言うと、南はにこっと笑った。
「私はね、早苗と同じN高なの。」
N高と言えば、市内でも3本の指に入る進学校。それよりも、早苗がN高校というのを、初めて知ったカナは、
「早苗は、N高だったんだ・・・」と、呟いた。
「須藤さん、知らなかったの?いつも早苗といるから、知ってるかと思ってた。」
南は少し驚いた顔をしながらも、カナに聞いてきた。
「須藤さんって、あまりみんなと話さないよね。どうして?」
カナは返答に困った。
「みんなね、須藤さんって綺麗で頭も良くて語学も堪能なのに、どうして教師を目指しているのか、知りたいみたいなのよ。」
カナはそれを聞いて驚いた。いつも一人か早苗としかいない自分のことを、みんなが知りたがっているなんて、思ってもいなかったのだ。
「どうして、みんなは私の事を知りたいの?」
「みんな、興味があるんだよ。それは須藤さんだけじゃなくて、それぞれみんなにね。どうして教師を目指そうとしたのか、どんな教師になりたいのか、相手の考えていることを聞いてみたいのよ。」
「きょう・・・み?」
「そう、みんなそれぞれ、相手の考えに興味を持っているの。」
そう言うと、南はペンを置いて話を続けた。
「ここにいる人たちは、理想の教師象は持っていても、具体的な教師象はまだ見付けられていないんだと思う。だから、いろんな人の話を聞いて、視野を広げて行きたいって思うことも、あるんじゃないかな。」
カナは不思議そうに、じっと南を見つめていた。南はその表情を見て、そのまま話を続けた。
「みんなは相手の話の中から、自分の答えを見つけたいと思っているのかもしれない。・・・答えは、自分の中にしかないんだろうど、未熟な学生の私達はそうやって、自分の道を模索していくしかないのかもしれないわね。」
カナは視線を落とし、しばらく考えていた。
相手に興味を持つ。それは、カナが一番経験してこなかったことであり、拒絶していたことでもあった。
「須藤さんは、どうして教師になろうと思ったの?」
「・・・・・」
どうしてだろう。自分はどうして教師になろうと思ったのだろう。
カナは一瞬、そう思った。
自分の学校生活には、楽しい思い出は一つもなかった。転々とする学校生活は、ただ単に勉強をするだけのものだった。 勉強だけしておけば、あとは何も必要ない。クラスメイトに対しても、どうせ長く一緒にいる人たちではない。
そんな思いが、幼いカナの心の中にはあった。
「どうして・・・だろう。」
自分でもまだよく分からなかった。
「私はね、あまり学校生活に、良い思い出は無かったの。良い先生に巡り会えなかったのもあるかな。だから、自分が教師になって、子供達に沢山楽しい思い出を、作ってあげたいなって思って、教師になろうと思ったんだ。」
南は照れ臭そうに、カナに自分の気持ちを話した。 カナはその話しを聞きながら、南の事を少し羨ましく思った。
自分はなぜ教師を目指しているのだろう。自分のような人間が教師になって、子供達に何を教えられるのだろう・・・。
自分はここにいるべき人間ではなかったのかもしれない。
カナは、暗闇の中に取り残されたような気持ちになって行った。