2・孤独
よく晴れた昼下がり、カナはキャンパスの木陰にあるベンチに座り、本を読みながらパンを食べていた。
「カナ〜!」
カナは声のする方を見た。早苗が手を振りながら、駆けてきた。カナの前に来ると、
「今日は、合コンの話じゃないからね!」と言い、カナの横に座った。
カナは口元を緩めると、また本を読み出した。
「今日もお昼は、パンだけなの?」
早苗は膝の上に弁当を広げながら、カナに聞いてきた。
「うん。」
「たまには、栄養のあるも食べなきゃ!私のお弁当、一緒に食べよ!」と言いながら、早苗はカナに弁当を差し出した。
「凄い!これ、自分で作ったの?」
豪華な弁当に、カナは目を丸くした。
「まさか〜!得意料理がカップラーメンの私に、作れるわけないじゃん!」
早苗は笑いながら、カナに箸を差し出した。
「いいよ、私は・・・。」
「良いから!一人じゃこんなに食べられないし。ねっ!」
カナは少しためらったが、ありがたく頂くことにした。
「うちのママね、最近キャラ弁にこっちゃってさ〜。今頃だよ?今頃。私、いくつだと思ってるのかしら・・・。しかもね、私だけならともかく、お兄ちゃんやパパの弁当までキャラ弁にしちゃってるのよ!全く、困ったものよ・・・。」
早苗はそう言いながらも、美味しそうにお弁当を食べている。
カナも一つつまんでみた。
「ん!美味しい!早苗のお母さんって、お料理上手なのね!」
「でしょ〜?味は良いんだけど、見た目がね・・・。25歳でキャラ弁持たされてるお兄ちゃんが、気の毒だよ。」
そう言うと、早苗はため息を一つ付いた。
「早苗って、お兄さんいるんだ。初めて知ったな。」
カナはもう一つつまみながら、そう言った。
「うん。5歳離れたお兄ちゃんいるの。これがまた、パパより口やかましくてさ〜。周りからは、シスコンだって言われてるのよ。」と困った顔をしながら、早苗は言った。
カナは微笑みながら、
「優しそうなお兄さんじゃない。そういうのって、とても素敵だと思うよ。」と言った。
「でもさ、シスコンでキャラ弁持った25歳だよ?彼女も出来ないんじゃないかって、最近本気で心配なんだよね・・・。」
「あら、彼女が出来たら、早苗はヤキモチ焼くんじゃないの?」とカナが言うと、早苗は、
「全然!むしろ口やかましいのがいなくなって、せいせいするよ〜!」と肩をすくめながら言った。
それを聞いたカナは、微笑みながらパンを一口かじると、視線を落とした。
早苗は少しカナの様子を見ていた。そして、
「カナは兄弟いるの?」と聞いてきた。
カナは視線を落としたまま、しばらく黙っていると、ゆっくり口を開いた。
「兄が・・・一人。」
「そうなんだ。カナにもお兄ちゃんがいるんだ!私と一緒だね!」と嬉しそうに早苗は言った。そして、
「お兄さんは、いつくなの?お仕事は何しているの?」と続けて聞いてきた。
カナは少しためらいながら、
「私より15歳年上なの。父の跡を継いでるわ。」と話した。
「随分年が離れてるんだね。」
「うん。兄妹って言っても、両親は再婚で連れ子同士なの。」
それを聞いた早苗は、ハッとした表情を見せた。
「ごめん、カナ・・・。」
「何が?」
カナが早苗の顔を見ると、早苗は悲しそうな顔をしていた。
「なんか、変なこと聞いちゃったかなと・・・」
カナはそれを聞いて、にこっと笑った。
「何も変なことじゃないよ。そんなに気にしないで。私も再婚とか全然気にしてないし・・・。」
「ごめんね・・・カナ。」
早苗は今にも泣き出しそうな顔をしている。
「どうして早苗がそんな顔をするの?私は気にしてないから。」
カナは早苗の肩に手を掛けた。早苗はゆっくりとカナの顔を見ると、こう言った。
「カナがね・・・時々とても寂しそうな顔をするの。それがとても切なくて・・・。何か力になりたいなって思っていても、私の力なんてたいしたことないし、相談に乗るって言っても、無理に何かを聞くのは、カナに悪いなと思ってて・・・。」
カナは驚いた。天真爛漫で、いつもニコニコしている早苗に、自分はこんなにも心配を掛けていたなんて。
「早苗・・・心配してくれていたの・・・?」
「余計なお世話だっていうのは、分かってるの。でもね、カナにはいつも笑っていてほしいなって思うんだ・・・。カナが笑顔でいられるなら、私はなんでもするよ!」
カナはじっと早苗を見つめていた。
「だから・・・」
そう言うと、早苗の目から涙がこぼれた。
「早苗・・・私は大丈夫だから。泣かないで・・・心配しなくても、大丈夫だから。」
「ほっとけないよ!カナは大事な友達なんだから!」
カナはその言葉に驚いた。
「友・・・達?」
「そうだよ!友達だよ!私が友達じゃ、カナは嫌?」
「嫌って・・・嫌じゃないけど・・・。」
カナは返答に困った。今まで、人と深く関わることを避けてきたカナは、早苗に対しても同級生の一人としか思っていなかった。
カナは、自分の事を思い涙を流す早苗に対して、今までの自分を後悔していた。
「カナ、辛かったり寂しかったりしたときは、口に出していいんだよ?ちゃんと口に出して言わなきゃ、カナが壊れちゃうよ・・・。」
早苗はカナの手を握った。
「カナ・・・。」
「ありがとう、早苗。・・・もう少しだけ、時間が欲しいの。もう少しだけ・・・。自分の中で整理したいから・・・。」
早苗はニコッと笑うと、
「うん。私はいつまででも待つよ。」と言った。
カナは引き出しの奥から、写真を一枚取り出した。家を出るとき、写真はこれ一枚しか持って出なかった。
写真を手にリビングに戻ると、レコードに針を落としソファーに座った。
写真には、 継父・母そして兄とカナが写っていた。カナがまだ10歳の頃の写真。家族4人で撮った、最後の写真になった。
この写真の3ヵ月後、カナの母は病気でこの世を去った。
元々病弱な母は、カナが幼い頃から入退院を繰り返していた。
母が入院中、父が長期間の出張に出る時には、いつも一緒に連れられていた。家に一人で置いておくのは可哀相だと、父が気遣ってくれていたのだが、カナにとっては苦痛でもあった。
言葉の通じない見知らぬ土地にやってきて、ここで何ヶ月も生活すると思うと、カナは憂鬱な気持ちにいつもなっていた。
それでも、母のいない寂しさと父の優しさを考えると、父に付いて行くしかなかった。
クラスメイトは、言葉の通じないカナに一線を引いていた。
カナも、数ヶ月で別れるクラスメイトに、自ら馴染もうという気持ちにもなれず、深く関わるとこを避けた。
家では、父や母に心配させまいと明るく振舞い、学校では一人寡黙に過ごす。カナはいつしか、人と深く関わる術を失っていた。
携帯電話が鳴った。
カナは発信者の名前を確認すると、電話に出た。
「はい、須藤です。」
「カナさん?林です。久しぶりだね。」
電話の主は、弁護士の林だった。
「お久しぶりです。」
「学校の方はどうだい?」
「はい、きちんと行っています。」
カナは写真を引き出しにしまいながら、そう言った。
「あはは、そうか。それなら良かったよ。お兄さんも心配していたよ。」
「そうですか・・・兄は元気にしていますか?」
カナはカップを手にキッチンに行くと、コーヒーを注いだ。
「ああ、元気にしてるよ。相変わらず、忙しそうだけどね。」
「そうでしたか・・・。」
カナはそれ以上何も言わなかった。
「お兄さんから来月のチケットを預かったんだ。来週仕事でそっちに行くから、直接渡したいんだが、何か予定はあったかな?」
カナはリビングに戻り、カレンダーを見た。
「いえ・・・予定はありません。いつでも大丈夫です。予定なんて、いつもありませんから・・・。」
カナは待ち合わせの場所と日時をメモすると、電話を切った。そして、もう一度カレンダーに目をやると、ページを一枚めくった。
7月25日、カナの誕生日。一年に一度、この日に両親の墓地で会うことを、家を出るときの条件の一つとして、兄から出されていた。
兄はもちろん、父の身内もカナの居場所を知らない。弁護士の林だけが、カナの居場所を知り、兄に代わって保護者代わりになっている。
兄も、調べようと思えばいくらでも調べられるだろう。しかし「一人になりたい。」と言ったカナの気持ちを汲んでくれたのだ。
所詮、カナと母は余所者だった。父の身内からは事あるごとに非難され、肩身の狭い思いをしてきた。
父と兄は一生懸命カナと母を守ってくれたが、それでも限界はある。
大人達の醜態が、幼いカナの心には、大きな傷となって残ってしまったのだ。
「ママ・・・」
カナはポツリと呟いた。