1・出会い
他人から見れば、恵まれた環境なのかもしれない。
しかし、恵まれた環境だからと言って、幸せとは限らない。
全てにおいて自分を押し殺し、まるで人形のように扱われる事が、どれだけ苦痛に感じるものなのか・・・。
愛しい人に、愛してると伝えることすら出来ない。
愛されてるのに、愛し合うことも出来ない。
人形でいるのが辛くて、傍にいるのが辛くて・・・。
私は一人で生きていくことを選んだ。
桜の季節も終わり、キャンパスに植えられた木々の新緑が、まぶしく感じられるようになってきた。
「カナ〜!」
週末最後の講義が終わり、大学を後にしようとしていたカナの後ろから、立花早苗が駆け寄ってきた。
カナは足を止め振り返り、
「合コンなら、お断りよ。」と一言言って、また歩き出した。
「まだ何も言ってないじゃ〜ん!」 早苗は苦笑いをしながらカナに並んで歩く。
「早苗の用事は、九割方は合コンだからね。」
「まあ、確かにそうなんだけどさ・・・。今日は、どうしてもお願いしたいのよ〜。」
カナは足を止め、早苗を見た。
「この間も言ってたよ?」
「そうだったっけ?」
早苗は、とぼけた顔をしながら首をかしげる。
「今日は、どうしても都合の付く子がいないのよ。今日だけ!お願い!」
そういうと、拝むような仕草でカナを見る。
「合コンとか苦手なのは、知ってるでしょ?他に誰かいないの?」
ため息交じりでそう言うと、カナは腕時計を見た。
「どうしてもいないの!カナしか頼れる人はいないの!お願い!」
懇願する早苗を見てカナは観念したのか、ため息を一つ付くと、
「今日だけだよ?二度目はないからね。」
そう言った。
「ありがとう!カナ!」と言って、早苗はカナに抱きついてきた。
そんな早苗に、カナはもう一度大きなため息を付ながら、
「ちょっと、大げさな・・・。全く困った人だわ。」と肩をすくめた。
「今日の相手はね、医大生なのよ!将来は、お医者様よ!上手く行ったら、院長夫人かもね!」
「その前に、早苗の合コン病を治してもらったら?」
カナはそう言うと、意地悪そうに笑って、また歩き出した。
合コンとは名ばかりのような雰囲気を感じながらも、カナは一人淡々と食事をしていた。
男女共に3人ずつの計6人・・・いや、カナを除く5人が、テーブルを囲んでワイワイ話しながら食事をしている。特に自己紹介をする訳でもなく、恋の話をする訳でもなく、学校や趣味など他愛のない話をしているので、カナは少し拍子抜けしていた。
「・・・・だよね?カナ?」と時々、早苗が話を振ってくるが、
「うん」と、空返事だけをするカナ。
それを見ていた一人の青年が、カナに話しかけてきた。
「君、名前はなんていうの?」
カナは食事の手を止め、青年の顔を見てこう言った。
「人に名前を聞く時は、まず自分から名乗るものではないでしょうか?」
「ちょっと!カナ!」
驚いた早苗が、間に入る。
「ごめんなさい、この子合コンとか慣れてなくて・・・。」
面を食らった青年は、口元に笑みを浮かべ興味津々でカナの顔を見ている。
「確かにそうだね。失礼したよ。僕は高瀬和也、T医大の六年で今は二十四歳だよ。君は?」
「私は、須藤カナです。早苗と同じ、教育大の二年です。」
カナは和也の顔を見て、自己紹介をした。
「カナちゃんも、教育大なんだ。二年って事は、二十歳?」
「誕生日はまだですけど。今年二十歳になります。」
そう言って、カナはまた食事を始めた。
和也は、その様子を不思議そうに見ながら、カナに話しかける。
「カナちゃんて、あんまり合コンに出たことないの?」
「初めてです。」
それを聞いた和也は、少し驚いた表情を見せ、再び質問をする。
「カナちゃんは、合コンに興味ないの?」
「はい、ありません。」
「今日は、どうして来たの?」
「早苗にどうしてもって言われたからです。」
そう言うと、カナは和也の顔見て、
「だから、私にはお構いなく。」と言った。
一同は目を丸くしながらカナを見ていたが、和也は質問を続ける。
「男に興味ないの?俺達、医大生だけど、興味わかないの?」
その言葉に、カナの箸が止まった。
「医大生だからなんですか?医大生って大学生ですよね?私と一緒じゃないですか。」
和也はカチンと来たのか、カナの言葉に反論する。
「ああ、同じ大学生だよ。でも、将来は医者になるんだよ?狭き門をくぐり抜けて、ここまで来たんだよ?君と一緒にして欲しくないな。」
和也の言葉にカナは冷静に、
「医学部が狭き門なのは、当然ではないでしょうか。人の命を扱う医者になるんですよ?そんな簡単に誰でも医者になれたら、こちらの命がいくつあっても足りません。それに、将来医者になるって言っても、100%ではありませんよね?そういうことは、国家試験を通ってからおっしゃってください。」と言い放った。
「カナ!言いすぎだよ!ごめんなさい、高瀬さん・・・。」
早苗が間に入り、和也に謝罪した。和也は表情を変えずに、じっとカナの顔を見ている。
「早苗、やっぱり私には、こういうのは向いてなかったみたい。皆さんごめんなさい。雰囲気を悪くしてしまいましたね。私は先に失礼します。」
カナはそう言うと、財布から出したお札をテーブルに置き店を出た。
「カナ!」
早苗が後を追おうとすると、和也が席を立って、
「俺が行くよ。」と言って、カナの置いていった札を握り店を出て行った。
街は仕事帰りのサラリーマンやOLで賑やかになっていた。
街頭にはネオンが光りその周辺は、夜であることを忘れさせるような光景だった。
カナは店を出ると、地下鉄に向かって歩いていた。
腕時計を見ようとしたカナは、後ろから誰かに腕を掴まれた。振り返るとそこに、息を切らした和也がいた。
「待ってよ、カナちゃん。まだ話し終わってないよ・・・。」
「私は特にお話することはありませんが。」
カナは無表情に返答する。
「・・・ごめんね。」と、和也は一言言った。
「俺さ、カナちゃんのこと誤解してたんだ。合コンに来る子なんて、みんな医大生って聞いただけで目の色変えてくるからさ・・・カナちゃんもそんな子だと思ってたんだよ。本当にごめんね。」
カナは無言のまま、和也の顔を見ていた。
「カナちゃんはそんな子じゃなかったんだね。・・・ごめんね。」
和也はゆっくりとカナから手を離し、カナの顔を見て、
「もし嫌じゃなかったら・・・一緒にお茶でも飲まない?走ったら、喉渇いちゃった。」と、照れくさそうに言った。
カナは無言のままうなづくと、和也の後について歩き出した。
二人はコーヒーを片手に、席についた。お互い顔を見合わせることなく、コーヒーを飲んでいる。
先に口を開いたのは、和也だった。
「カナちゃん、本当にごめんね。」
「もう謝らないでください。私も言い過ぎましたから・・・。申し訳ありませんでした。」
カナはそう言うと、和也に頭を下げた。
「カナちゃんは何も悪くないよ。むしろ、言ってたことは正しいんだ。俺が自惚れてたんだよね。」
和也はコーヒーを一口飲むと、話を続けた。
「合コンとか行くとさ、医大生って言うだけで、女の子って簡単について来るんだ。まあ、向こうは俺に気があるんじゃなくて、『医大生』に気があるんだよね。好きだって言われて付き合っても、結局いつも上手く行かなくてさ・・・。なんかそんな事を何度も繰り返してたら、こっちの感覚までおかしくなって来ちゃって・・・。」
和也はカナの顔を見て、
「カナちゃんみたいな子に会ったのは初めてだから、なんか物凄いパンチ食らったみたいな衝撃受けたよ。」と、ニコッと笑った。
カナはじっと和也の顔を見ながら、話を聞いている。
「ありがとう。俺、バカだったんだな・・・。」
和也はそう言うと、またコーヒーを飲んだ。
「高瀬さんは、バカではありません。」
和也はカナの顔を見た。カナは、じっと和也の目を見つめている。
「高瀬さんは自分の選んだ道を、しっかりと歩いているだけです。その道が羨ましく見えてしかたない人が、高瀬さんの邪魔をしているだけです。だから、高瀬さんは何も悪くはありません。」
「カナちゃん・・・。」
和也はその言葉を聞くと、辛そうな表情を見せながら、
「俺、今まで本当に人を好きになったことがないんだ。誰と付き合っても、医者の息子とか医大生だとか、そんな目でばかり見られててさ・・・。」と言った。
カナは少し視線を落とし、和也と同じように辛そうな表情を浮かべた。
「カナちゃん?」
和也の呼び掛けに、カナはハッと顔を上げた。
「大丈夫?なんだか、辛そうな顔してたけど・・・。」
「大丈夫です。」
そう言って、カナはコーヒーをまた一口飲んだ。そして、腕時計に目をやると、
「カナちゃん、凄い時計してるね。それ、男物だろ?」と、和也が言った。
カナは何も答えずにいると、和也は続けた。
「俺、一人前の医者になったら、その時計買おうと思ってたんだ。なんか目標を一つ作っておこうと思ってさ。」と、にっこり笑った。
カナはその笑顔から視線を外し、黙り込んでしまった。
「カナちゃんは・・・付き合ってる人いるの?」と、和也が聞いてきた。
カナはしばらく黙った後、
「いえ、いません。」と、一言。
「・・・好きな人はいるみたいだね。」
和也はそう言うと、ゆっくりコーヒーを飲んだ。
「昔の話です。」
カナもコーヒーを一口。和也はその言葉を聞いて、話し続けた。
「昔の話でも、まだその人のこと忘れてないんだろ?・・・そんなに想い続けられるくらい、いい男だったのかな?・・・なんか、羨ましいな。」
「羨ましい?」と、カナは聞き返した。
「うん。いつまでもその人を好きでいられるカナちゃんも、好きでいてもらえるその人も、羨ましいよ。おれ、そういう経験ないからさ・・・。」
和也はそう言うと、少し寂しそうに笑った。
カナは和也のその言葉で、昔のことを思い出していた。
「どうして、好きになっちゃいけないの?だって、私は―」
「カナ・・・カナの気持ちも、言いたいことも分かっているよ。でもね、こればかりはどうしてもダメなんだよ。」
大きくて暖かい手が、カナを抱き寄せる。
「カナの気持ちは、とても嬉しいよ・・・ありがとう。」
「・・・ごめんね、辛いこと思い出させちゃって。」
その言葉に、カナの目から涙が落ちた。
「どんなに愛していても、叶わないものなら愛する意味はない。」
カナはぼそっと、そう言った。和也はその言葉を聞いて、しばらく考えていたが、
「そんな事ないと思うな・・・」と、言った。そして、こう続けた。
「人を愛することって、それだけで素敵たことだと思うんだ。たとえそれが叶わないものでも、自分にとって心から愛せる人がいるってことは、それだけで幸せなことだと思う。確かにその想いが叶えば、一番幸せだろうけどね・・・。」
カナは和也の顔をじっと見ていた。
「カナちゃんは、その人を好きになって後悔してる?」
「・・・後悔したこともありました。」
和也は黙って頷くと、コーヒーを一口飲み話を続けた。
「きっと、愛されていた人も辛かっただろうね・・・カナちゃんの想いに答えられなくて。」
カナはハッとした表情で、和也を見た。
「その人は、カナちゃんの想いを知ってるんだろ?」
和也はじっとカナの目を見つめていた。カナは視線を落とすと、小さく頷いた。
「あっ・・・ごめんね、カナちゃん。泣かないで・・・。」
カナの目から零れる涙を見た和也は、ハンカチを取り出し涙を拭いた。
「ごめんね・・・辛かったんだね。本当に愛していたんだね・・・ごめんね・・・。」
カナには、和也の優しさがとても痛かった。そして、自分の心が見透かされているようで、怖かった。
「もう、この話はしないよ。本当にごめんね・・・。」
和也はどこまでも優しかった。