白い嘘で塗り固められた夢
(どこだここは?)
見渡す限りに続く真っ白い空間。地続きで果ての見えない純白の床を見れば自身が真っ直ぐに立っているのか、いきなり地面が消えてしまわないかと不安になる。おっかなびっくり足で地面を押して安全を確認すると、子供のときに戻ってしまったかのように小さくなった自分の体を眺める。
「シュラよ!」
そんなシュラの後ろからしわがれた声でシュラを呼ぶ声がある。
振り返ると深い皺を顔に刻んだ背の曲がった老人の姿があった。
「シュラよ、儂にはお前の目を治すことは出来ない」
なんの脈絡もなく目の前の老人がシュラへと申し訳なさそうに謝罪する。
ダーイン・ブックスローネ
初代語り部、死んだはずの祖父がシュラの前で頭を下げていた。
「お前には本当に申し訳なく思っている。お前を一人残して、先にあの世へ逝ってしまった儂をどうか許してくれ」
シュラの小さな手を取ってダーインは許しを請うた。深く刻まれた顔の皺をより深くして、慚愧の念に耐えないとばかりに大粒の涙をこんこんと流す。
「おおっ……!どうして神はこのような仕打ちをシュラに科したのだ。いったいこの子がいかなる罪を犯したというのだ……!」
ダーインは天上の絶対者へと、枇杷の木の先端に羊頭を彫られた見事な杖を突きつける。怒りに肩を震わせ、例え我がことであってもここまで激しく怒りを顕にすることはないだろうという剣幕で憤慨する。
「それにしてもよくここまで立派に育ってくれた。儂も鼻が高いぞ」
かと思えば、好好爺然とした笑みを浮かべてダーインは子供の姿のシュラの成長を喜んだ。
老人の感情の変化には一貫性がない。
(ああ… 夢だなこれは)
孫を愛してやまないとばかりに次々と表情を変える老人の姿に、シュラは今自分が見ているのは夢であると悟った。
自らの育て親であり語り部としての師でもある祖父の姿をシュラは無感動に眺める。
姿形はシュラの記憶にあるダーイン・ブックスローネそのものだ。
しかし、致命的なまでに本物のダーインとは異なる点が2つある。
まず1つ目に生前と違って、夢の中のダーインが人形の姿をしていない。
シュラが初めてダーインを人としての姿で捉えることが出来たのは、老人が死を目前に迎えた段階になってからだ。死の間際で愛用の枇杷の木の杖を指が白くなるほど握り締め、瞳は爛々と照り輝き、歯茎から血を流しながら歯を割り砕かんとばかりに噛みしめる様は今でも鮮明に思い出せる。
それまでのダーインの姿は、シュラから見ると乾ききった枇杷の木に羊頭をくくりつけたような不格好な形をしており、節々から軋みの上がる音の響く壊れかけの人形だった。
死の淵にあってなお悪鬼の如く形相を歪めるダーインこそが、シュラが生まれて初めて目にする、鏡に写る自身以外の人間の姿であった。
そして2つ目の相違点。
ダーインはシュラのことを人として一切愛していなかった。
ダーインはシュラに様々な話を聞かせた。だが、それは可愛い孫に楽しい話を聞かせて喜ばせてやろうなどという好意の下に行われた行動ではない。
「はっ、嫌でも全部思い出せるわな」
シュラは鼻で笑った。
ダーインにとってのシュラは本や巻物、魔導盤に変わる便利な記憶媒体でしかなく、ありとあらゆる素晴らしい栄光の物語を一言一句余さず吸収力の高い子供の脳に刻んで保存した。
連日連夜シュラの頭に詰め込まれる英雄譚に恋物語、悲劇、喜劇、活劇、酒場で語られることのないブックスローネ家のかつての栄光……。それらは厳しく叩き込まれる語りの技術と併せて、語り部シュラ・ブックスローネを形作っていく。
老いたダーインの一番の楽しみは、そうやって自ら組み立てた最高の語り部であるシュラにブックスローネの栄光の物語を語らせて、それを聞いて悦に浸ることであった。
ダーインはシュラのことを人として一切愛していなかった。
しかし、それはシュラに対して愛情を持っていなかったということと等記号ではない。
ある程度、語り部として仕上がったシュラを人前に立たせて見せびらかし、シュラの語りが称賛されれば我が事のように……いや、我が事として喜んだ。
端から見れば孫の成長を大喜びする厳しくも優しい祖父そのもので、そうやって他者から見られて評価されることにもまたダーインの自尊心は大いに刺激された。
ダーインはシュラを愛していた。
物語の再生装置として 自らの最高傑作として
シュラは大切に扱われた。危険なことは一切させようとしなかったし、旧市街に入ることを厳しく禁じたのもその一環だ。
ダーインにとってシュラと暮らしたひと時は100年を超える生涯の中でも最高の数年間であった。
ダーインはシュラから語られる栄光の物語という、極上の美酒を無尽蔵に味わうことができた。
だが、どんなに無尽蔵に思えてもダーインの寿命という限界は訪れる。
それも楽しい時間であればあるほど残された時間はより早く過ぎていく。
寝る間も惜しみ、常軌を逸した長時間シュラに語らせ、喋り過ぎでシュラの喉が枯れ、声がかすれた際には手に持った枇杷の杖でシュラを強かに打ちつけた。
いよいよもって寿命が尽きよう、というその時であってもダーインの要求は変わらなかった。
「語れ」
ただその一言だけが告げられる。
シュラは語った。いつも以上に饒舌に、雄弁に、緩急をつけて語られる臨場感溢れる物語。奇しくもここしばらく喉が酷使されて声変わりが完了したことでシュラの声の安定感も増していた。
ここに完成するのは語り部シュラ・ブックスローネ
ブランヘルム最高の腕を持つと名高い語り部ダーイン・ブックスローネの薫陶の賜物であった。ダーインはもっと寄越せ、と言わんばかりに口の端からよだれを垂らしてシュラに続きを促す。
だが、ここにきて今まで唯々諾々と祖父の言いつけを守ってきたシュラの中に初めて、わずかばかりの反抗心が生まれる。
最期にシュラは祖父に隠れて密かに情報を集め、情報が足りない部分は想像で補い、初めて自らの手で組み上げた物語を語ることにした。
ブックスローネの栄光の物語ではない、破滅の物語だ。
ささやかな復讐。
祖父からは決して教わることのなかった零落の歴史。如何にしてブックスローネが落ちぶれていったのかその様相を事細かく、さも滑稽でマヌケな一族であったようにダーインに言い含めるようにして、一切の矛盾点を目の細かい漉し器で丁寧に、丁寧に全て潰すようにして聞かせた。
そして言い放つ。
「かくして神聖クラインセルト帝国最古の貴族、その最期の一人であるダナヘイム・ローセリアン・ピルグスト・セオ・ブックスローネは、ダーイン・ブックスローネと名を変えてマハラウール公国交易都市ブランヘルムへと落ち延びたのであった……
これにてこの物語は終わりになります。ご静聴ありがとうございました」
一礼してシュラが祖父の顔を眺めると、祖父は目を見開いて事切れていた。
いつの間に息を引き取ったのかは定かではない。裏切られて両親を殺され目の前で妻と妹を辱められた話の時に死んだのかもしれないし、友だと思っていた帝国貴族から槍もて追われる話を聞かせた時に死んだのかもしれない。
シュラはダーインの固く握られた杖を持つ手をそっと解くと胸の前で両手を組ませ、見開いたまぶたを閉じてよだれを拭き取り、顔色のよく見えるように化粧を施した。
葬儀屋を呼び粛々と葬儀を執り行うと、いかに祖父が偉大な語り部であったかを瞳に涙を浮かべて葬儀客に語って聞かせ、これからは拙いながらも自分が2代目の語り部としてやっていくと宣言する。
ダーイン・ブックスローネはその本性を誰にも知られることなく、多くの人間に惜しまれてこの世を去った。
◇
「おお、シュラよこっちに来て抱きしめさせておくれ」
愛する孫に向かってダーインは両手を広げて相貌を崩す。
「やなこった」
いつの間にか青年の姿に戻っていたシュラの手には、魔晶病の男に投げて寄越した小さなナイフが握られていた。
突き刺す
突き刺す
突き刺す
突き刺す
突き刺す
突き刺す
目を耳を鼻を喉を心臓を腹を足を手を、その全てが擦り潰れてなくなればいいとばかりに突き刺して突き刺して突き刺して、消え去れと念じながらまた突き刺した。
血と臓物が溢れ苦みばしった脳漿が口の中に入ることも厭わずに只々一心不乱に、笑みを浮かべてシュラを貶めようとするその偽物をなおも突き刺し続ける。
いつの間にか偽物の祖父も手に持っていたナイフも消えていた。
あれほど血と汚物で汚れていた床も元の白さを取り戻し、何もなかったと言わんばかりに輝いて主張する。
「いるんだろう?」
シュラは背後へと語りかける。
ゆっくりと振り向くとそこには黒い大きな靄のようなものが鎮座しており、シュラをじっと見つめていた。
何も語らない。
しかしその黒い靄は、雄弁以上の沈黙を以てシュラに何かを伝えようとしていた。
「お前か、俺を呼んだのは」
この爺にしてこの孫ありってかんじですかね
承認欲求の塊みたいな爺です
設定に迷いまくったキャラクター
過去の名前が長くて覚えきれない