黒頭巾
闇の中から浮き出たのは何者か……
黒い頭巾を目深にかぶった細身のそいつが音も無く歩み寄ってくる。
膝下まで届く長い袖をだらりだらりと揺らしながら、なにが楽しいのかケタケタと笑っている。
年齢も性別も金属の混じったようなその声からは判断がつかない。
「あああっ……! あああっ……!」
魔晶病の男が今まで死にかけていたのが嘘のように後退る。いや、死にかけなのは変わらないだろう。体の表面からはボロボロとグリムライト結晶をこぼしながら、だくだくと血を流す。はたから見る分にも相当な痛みがあるだろうと分かるのに、とにかくここから遠ざかろうと必死に這って逃げようとする。
「そう逃げようとしないでおくれよ、宝石くん。せっかくもう一度黒頭巾と会えたんだからサ!」
ばあっ!と掛け声を上げながら魔晶病の男の真横に一つ飛びで降りたつと、自らを黒頭巾と呼称するそいつは右足を大きく振り上げて魔晶病の男の首の上に落とした。
シャクリ
冴え渡るほどに美しい冷たい刃の煌き。
水気の多い果物にナイフを入れたときのような音を最後に魔晶病の男はあっさりと死んだ。
ごろりと首が転がる。
望み通りの死を得られたはずなのに、死を感じる間もなく一瞬で死ねたのに、その表情はこれまでで一番の苦痛と恐怖に彩られていた。
しばし呆然と首を見つめる。
目が離せない。
シュラが身動きする暇も無く命が一つ奪われた。
「ママがこれ以上ポロポロ結晶を落とされたら回収がめんどくさいからさっさと殺してこいってさ。どうせ明日まで持たないだろうって、意外と元気だったみたいだけど」
(コイツはヤバい!)
聞いてもいないのに黒頭巾は、シュラへと魔晶病の男の首を落とした理由を説明する。特に意味は無いのかもしれない。
だが殺人という……少なくとも旧市街の外においては最大級の犯罪行為を犯しておきながら平然としている。話の取っ掛かりに今日の天気の話でもしようか、程度の気楽さで語りかけてくる異常な精神性が黒頭巾を常道から外れたナニカであると否応なくシュラに理解させた。
「さ・て・と。ところでお兄さんは誰なんだい? 宝石くんのお友達かな? っていうかどこかで見たことあるような……」
流れ落ちる血の匂いと雰囲気に飲まれそうになるが、シュラはすぐに意識を逃走へと切り換える。
新市街側の道は黒頭巾が立ち塞がっている。
恐らくは靴に仕込まれていたたであろう刃で首を、それも特殊な薬品を用いなければ加工すらままならない高硬度の超高純度グリムライト結晶ごと一太刀で切り落としたのを見れば、いくら素人目とはいえ目の前の黒頭巾が相当な手練であることが嫌でも分かってしまう。
逃走一択。
和やかに話しかけてくる黒頭巾だが、いつまでもその凶刃がシュラの喉元を横切らないとは限らない。むしろ口止めとして死をプレゼントされる可能性のほうが遥かに高い。
余計なことは考えずに早くここから逃げろ。
活路を求めるなら旧市街側に向かうしかない。黒頭巾がうんうん唸って気を抜いている隙きにシュラは一目散に走り出した。
「思い出したっ! ママと妹たちと一緒にお外に出たときに見かけた、新市街の酒場にいた語り部のお兄さん! あれっ? あれあれ? どうして黒頭巾から逃げるんだい? 黒頭巾とおいかけっこがしたいのかな?」
(クソっ魔晶病の男がどこぞから逃げ出してきたのなら、それを追いかけてくる奴がいるに決まってるじゃねえか!)
致命的なまでの危機感の欠如。
(旧市街に入ることに疑問を持たなかったことからして今日の俺はどうかしている!)
自身の間抜けさに対して毒吐きながら、今はただ絶対に止まってはいけないと、両足にいい聞かせて旧市街の隘路を奥へ奥へとひた走る。
「しょうがないなあ。10秒数えるからできるだけ遠くに逃げてね」
それなりに距離が空いているはずなのに、後ろからはっきりと黒頭巾の金属混じりの声が聞こえた。
(短えよ!馬鹿野郎っ!)
「いーち」
曲がり角で何度も壁に肩をぶつけながらそれでもできるだけ遠くへとひた走る。
「にーい」
道端に落ちていた柔らかい塊を蹴り飛ばす。
「さーん」
蜘蛛の巣が顔にまとわりついた。
「よーん」
道のど真ん中に吊るされていた死体に真正面からぶつかる。
「ごーお」
縄に躓いて転ぶ。
「ろーく」
すぐに立ち上がって距離を稼ぐ。
「しーち」
血溜まりに足を滑らせる。
「はーち」
壁から突き出た錆びた金属製の突起で腕を切る。
「きゅーう」
釘を踏みつける。足を貫通して靴に穴が空いた。
「じゅう」
黒頭巾が隣りにいた。左腕を切りつけられる。
「お兄さんつーかまえたっ! それじゃあもう一回10秒数えよっか♪」
これは女の子だろう
きっと
たぶん
おそらく