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緑錆

 自ら売り込みを掛けに来たのは黒と緑の髪の女であった。


「ああ、申し遅れました。わたくしはイーサノリス・ハリリエイラと申します。どうぞ、よしなに」


 イーサノリスと名乗るその女は胸に手を当て丁寧に頭を下げる。

 そして頭を下げて動かないままでいる。


 イーサノリスの一礼は一見すると下手に出ているようにも見えるが、頑として引く気は無いという意思表示とも取れる。

  



 正直なところを言って、エルトリンデからして見ると、この女は得体の知れない存在である。

 どういうわけか頭の中で警鐘が鳴り響いてやまない。

 イーサノリスからは魔女のそれに加えて、また異なる異質な気配がする。

 

 例えるならば、獰猛な肉食獣が理知的な人の皮を被って目の前に立っているような不安……。


 気の所為で済むのならそれで構わないのだが、イーサノリスを見ていると、どうにも右目の焦点がズレた様に定まらない。

 大きさの異なる2つの物体が重なって視界に収まっていると言えば、この違和感が伝わるだろうか。



(だからと言って、恐れてばかりではいられないわ。むしろ自分から味方になってくれると言うのならこれは好機よ)


 

 ならば答えは決まっている。

 さてどう対応するべきか、と思案したエルトリンデであったが、アーリエリエに先を越される。

 


「よろしくするかどうかは話を聞かせてもらってからだ」

「そうですね。では、最初に私の目的から話してしまいましょうか」


 どこか覚悟を決めたように一呼吸置くとイーサノリスはその目的を告げる。


「私は一族の亡骸を取り戻したいのです」

「亡骸?」

「はい、恐らくもう原型は止めていないでしょうが、それでも、同胞はらからを弔ってやりたいのです」


 そう言うと、おもむろにイーサノリスは着ていたドレスに手を掛けて上から脱ぎ始める。

 突然の奇行にエルトリンデも慌てざるを得ない。


「ちょっ、ちょっと! なにしてるのよっ!」

「実際にご覧になっていただくのが一番手っ取り早いと思いまして。お見苦しいとは思いますが、どうかご寛恕を。一番最初に起きたのは私でしたから、皆様誰も分かりませんでしたでしょうし」


 イーサノリスの胸元が顕になる。


 胸に刻まれた魔女の烙印を囲うように張り付いた、笹葉の様に細い6枚の鱗がエルトリンデ達の目に入った。

 魔族の持つ魔導器官ではない。あれは結晶塊だ。

 そして、エルトリンデの義眼のように新たに埋め込まれた紛い物とも異なる。


 生々しさの漂う生来の部位パーツ。イーサノリスの瞳と同じ深い緑のその鱗は、光を吸い込むように濡れ光っている。


「ふぅん……そういうこと」

 黒と青の髪の女が得心がいったような顔で呟いた。


「その鱗がどうかしたのか?」

 対してアーリエリエは未だに理解が及ばない様子である。


 だが、アーリエリエが知らないのも無理は無い。その超生物の名を現実で耳にすることは絶えて久しく、今ではおとぎ話の中で語られる程度である。

 魔導を志す者たちには、この大地に存在していたという事実として伝えられてはいるが、それとて詳しく知る者など殆ど残ってはいまい。


「あなた、その鱗はっ……!」

「はい。生来のものは殆ど剥ぎ取られてしまって残っていませんでしたが、どういう計らいか幼雛鱗ようすうりんだけは残していただけたようです。

 いえ……、違いますね。どちらかと言うとこれは、忘れるなという戒めなのかもしれません」


 イーサノリスは胸元の鱗をなぞるとそっと目を伏せた。

 エルトリンデがイーサノリスに対して感じていた違和感の正体がその口から語られる。




「私、イーサノリス・ハリリエイラは最後の竜族として同胞の魂を救うべく、現世に戻ったのです」





 竜族



 古の時代より人魔戦争中期まで生き続けていたとされる、失われた種族ロストワンである。

 基本的には人に類似した姿をしており、竜鱗に覆われた強靭な肉体に加えて高い魔法の適性を持ち、高度な戦闘技術を持つ彼等は一人一人が一軍に匹敵する超生命体であった。

 特に奥義たる竜化の法を用いた場合は、その暴威たるや災害の如く、絶対強者として最強の種族の名をほしいままにしていた。


 欠点を上げるとするならば長大な寿命を誇る反面、繁殖力が低くその個体数は非常に少ないことが上げられる。

 とはいえそれは、病にも罹らず同族以外の天敵もいない竜族にとっては然して気にするべき事柄という訳でもなかった。

 悠久とも言える時間を、竜族以外の全ての生命を高みから見下ろしながら過ごしていれば、それでよかったのである。


 人間と魔族の戦争も、弱き者同士がひしめき合って殺し合う様は滑稽であるとすら感じていた。




「思えば、その油断と傲慢さが我らの滅びの原因であったのです」


 

  

 人間と魔族が相争うようになってからしばらく経った頃、人界に一人の男が現れた。


『其の男の武勇並ぶ者無く、その居立ち竜の如し』

 これは男の強さを湛えた詩の一節である。

 あまりの強さと威厳のある風貌から、男はこの世界において最も優れた生命体にその姿を喩えられたのだ。

 山を越え、海を越え、男の武勇は天にまで轟き渡った。


 しかし、それを面白く思わない者達がいた。

 喩えに使われた竜族である。


『矮小な人間如きが我らと同列に扱われているなど我慢ならん』

 

 ある時、若き竜族の一人が男に一騎打ちを挑んだ。

 竜族の中でも新星として一目置かれていた彼にとっては、この一騎打ちはあくまで男を嬲り殺しにすることが既定の道筋であった。

 男の首を晒し上げることで、人間たちの不遜な過ちを踏み折ってしまおうと考えたのである。


 だが、若き竜族のその考えには大きな誤算があった。

 見誤ってしまったのだ。男の強さを。


 先ずは小手調べと人の姿のまま戦うもまるで歯が立たず、全身を切り刻まれ、得意の槍捌きも子供の棒遊びをいなすかの様にことごとくを打ち落とされる。

 とうとう後が無くなった若き竜族は人間如きと侮った相手に、屈辱を堪えながら竜化の法を使わざるを得なくなる。


 だが、それすらも男にとっては大した脅威にはならなかった。


 なぜなら男は人界最強の称号、2代目勇者の銘を与えられし神の御使い。

 歳経た古竜であるならいざ知らず、若き竜族との一騎打ちなど準備運動にすらならない。


 結果として、思い描いていた未来図とは逆に自らが首を晒す羽目になってしまった若き竜族であるが、話はここで終わらない。


 人間たちの中に芽生えてしまったのだ。

『竜族も実はそれほどの脅威ではないのでは?』という考えが。


 折しも人間と魔族との戦いは硬直状態に入ってしまっていた時期でもあり、そういった考えが前線から離れた内地で生まれてしまう土壌が出来上がっていたのである。

 更には、若き竜族から剥ぎ取られた竜鱗が、武具や防具の素材として特級の有用性を示してしまったことが、人間たちの欲望の火種を燃え上がらせた。

 魔族との戦いにおいて、優れた武具や防具はいくつあっても足りはしない。

 人の世の流れは完全に竜族を狩りの獲物として見做す方向へと進んだ。


 当然、この流れは竜族たちの逆鱗に触れる事となる。ただでさえ希少な若き竜族をたかが人間に殺された上に、あまつさえ竜族の誇りとも言える竜鱗を剥ぎ取って素材として使おうというのだ。その怒りの程は察するに余りある。


『こちらから先に人間を滅ぼしてくれようぞ』


 当初こそ、多くの街や村が竜族の怒りによって灰と化し、そのまま為す術無く人族は滅びを迎えるだろう、と竜族の誰もがそう思っていた。

 実際に、最初の内は焼き払われる人間の村々を肴に、奪った酒で酌み交わす余裕すら竜族にはあった。


 だが、竜の栄華もここまでだ。

 正式に教会による竜族の討伐隊が編成されてしまえば話は変わる。


 魔族との戦いで培われた集団戦闘技術に加えて、ある程度の素養を持ち訓練を積みさえすれば扱える魔導の発展、そして着々と作られていく竜族から剥ぎ取られた竜鱗で出来た武具や防具。更には雨後の竹の子のごとく現れ出る、勇者に負けじと竜殺しの夢に滾る英傑たち。

 人族が竜族を屠れるようになる要素がこれでもかとばかりに積み重なっていた。



 竜族は滅びの確定路線に入ってしまったのである。



 ……あるいは、人間と敵対していた魔族と手を組むことができれば、違う歴史があったのかもしれない。

 実際に何度か竜族に対して魔族側から共同戦線を持ち掛けられたこともあった。 

 だが、竜族はその誘いを尽く跳ね除けてしまった。

 竜族からすれば人間と大して変わらない魔族と手を組んで戦うことなどプライドが許さない。

 それも、まるで魔族の道具のような扱いなど受け入れるはずがない。

 人族の手によって加工された仲間たちと一体何が違うと言うのか、竜族の里を訪れた魔族の使者はその都度槍で突かれて追い返された。

 


「愚かな生き物だったのでしょうね、我々は。竜族は5年と保ちませんでした。男衆がいなくなってからは逃げるばかりで、戦うどころではありませんからね。私は竜族の中でもこう……なんといいましょう、特別な立場ではあったので最後まで生き残ってしまったのですが、それでもやはり多勢に無勢とあっては追い詰められてしまいまして。後は皆様の想像通りですね」



 つまりは囲まれて殺された上に、皮ごと鱗を剥ぎ取られたということである。

 今、イーサノリスの体を覆っている皮膚の大部分は悪魔によって張り替えられた物だ。竜族の心の拠り所としての役割を持つ幼雛鱗が残されたのは悪魔の粋な計らいなのかもしれない。


 エルトリンデからしても、確かにイーサノリス自身が語ったように竜族は愚かであったとは思う。

 だが、同情の余地が無いわけではない。立派な角の生えた魔族の少女などはイーサノリスの話を聞いて両目からボロボロと大量の涙を流している。

 更に加えては、イーサノリス自身からは竜族特有の傲慢さや、ましてや油断など僅かも感じられない。


「イーサノリス、私はあなたにも協力してもらいたいと思っているわ」

「私も異論は無い」


 エルトリンデの言葉にアーリエリエも追随して同意する。


「ありがとうございますっ…!」

「別に礼なんていらないわ。私たち自身にもメリットがあると考えた上での判断よ」


 これでまた一人、同盟に加わった。

 もはやエルトリンデから見たイーサノリスは2重にブレて映るような不気味な存在ではない。思えば、無意識の内に感じ取っていた竜族としての強大な気配が不審さを助長させていたのだろう。

 今では(しっか)りと長身の魔女の姿を右目の重瞳は捉えている。


(これで3人目、順調に味方を増やせているわ)



 だが、内心で嬉々を募らせていたエルトリンデの耳がそれを遮る声を捉えた。




「あんたたち、今の話を聞いてなにもおかしいと感じなかったのかしら?」


 黒と青の髪の女が聞き捨てならない疑問を投げ込んできた。

 


 ドラゴンゾンビネオテニー姫ネキ



 幼雛鱗は生まれたときから存在し、生え変わること無くあり続ける竜族にとってのシンボルマークです。

 竜族は永遠性や、不滅の生命をこの鱗から見出していたわけですが、あっさり滅亡してしまうという大失態を犯してしまったわけです。

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