聖王
(聖王カルラート……、どんな人なんだろう)
ジルトアリスが聖王に接する機会といえば、聖堂議会の最終承認の調印をする際に調印紙の受け渡しを行う時くらいのものだ。声を聞いた回数も両手の指で数えられる程度であり、その人となりについても知るところではない。
聖堂議会では女神から統治権を与えられた聖王と女神の代弁者である聖女、両名の承認を最後に議題の決議がなされる。最終承認は、言わば神のお墨付きを得るための神聖な儀式であるため、聖王と聖女両名の調印が終わるまでは何人たりとも間に入ることを許されない。
規則として先に聖王が調印を行い、聖女に調印紙を直接受け渡すことになっているが、ジルトアリスは絶対に粗相をしないようにと毎回おっかなびっくりと紙を受け取っていた。
カルラートが腹の底に響くような低い声を発する。
「ふん、情けないことだ。450人も無駄に議員がいる中で、まともな案の一つも出てこないとは聖堂議会の名が泣くではないか。こんなところで貴様らのような人間が雁首揃えていったいなんの意味がある?」
鼻で笑いながらカルラートは議員たちの不甲斐なさを指摘した。
カルラートの不躾な言いように市民階級の議員たちは内心で怒りを募らせる。
(お飾りの聖王風情が……)
市民階級の議員たちにとっての聖王に対する共通した認識は、聖王などただ判を押すだけの人形に過ぎないというものだ。
この聖堂議会は7代目の勇者の提案によって市民階級の人間でも政治に参加できるようにと発足されたものである。世界を救った救世主の言葉に誰も逆らうことは出来ず、今まで政治の蚊帳の外であった市民階級の人間からは絶大な歓迎をもって迎えられた。議席こそ3分の1と全体の数としてはやや少ないといったところではあるが、それでも実際にいくつもの市民主導の法案が通っており、市民階級の意見が政治の場で提案されるようになったという意義は大きい。
聖王は権威を保つための最終承認こそ行うが、原則的に討議の結果を否認することは出来ない。なぜなら討議の結果の否認を行うのは、直接女神の声を聞き審判を仰ぐ立場にある聖女の役割であるからだ。
聖王の役目とは人の意見を束ね、女神に奏上することである。
議会での発言権こそ持つものの、それまでは絶対的な王として君臨していた聖王も現在では単なる記号に成り下がってしまったのである。
そんなお飾りの聖王であるカルラートの、聖堂議会を蔑ろにする先の発言は市民階級の議員たちにとっては非常に癇に障るものであった。
カルラートは怒りの感情を受け流しながら、なおも言葉を続ける。
「それに先程から聞いていれば貴様らは流民達のことを全く考えてはいないではないか。やれ聖都から締め出せだの取り締まってしまえだの、家を畑を土地を家族を何もかも失った彼らの事情をまるで無視している。
貴族でなければ人ではないのか?聖職者でなければ女神の恩寵を受けられないのか? 市民でなければ国民ではないのか?
余にとっては流民の彼らもまたお前たちと同じように大フェルリアート聖国の一員であると考えている」
「ぐっ…!」
まさしく正論。これには市民議員たちの何割かも己の不甲斐なさを恥じた。
分かっている。この場に集う議員たち全員が分かっているのだ。流民達にはなんの責任も無いことが、追い立てられるようにして土地を追われる理由もない、責任はむしろ自分たちにあるのだということも。
流民が生まれた原因のそもそもが、とある貴族の一派が反乱を企てたこと、そしてそれを国が軍を用いて討滅したことに起因する。貴族諸侯は兵を出し、天勇教会は聖者と天勇騎士団を派遣した。そして市民に属する商人たちはこの内乱に大量の物資を供給し、大いに稼いだ。
そのしわ寄せが、流民達を苦しめているのである。
「余は所詮はお飾りの聖王だ……。貴様らがどのような答えを出そうともそれを全て受け入れよう。だが余に心の内を申せというのならば、流民達を救うことを最後まで諦めることはしないでほしいということだけだ。
以上だ。これ以上は余の言いたいことはない」
聖王は、今この場にはいない流民達の立場に立って発言を行った。
(だからといってどうすればいいのだ……)
とはいえ、である。流民達に同情を向ける議員も確かに多い。
だからといって無い袖は振れないのだ。金も土地も不足している。
他国に援助を求めようにも今の世は、聖国主導で人間と魔王が相争っていた頃とは違うのだ。天勇教の号令一つで人も物資も何もかもが、世界中から聖国に集まってきた時代はとうの遥か昔に終わっている。
ここで援助を求めるということは、一国家として大きな借りを作ることに他ならず、その負債は国全体で長い時間をかけて払わなくてはいけなくなってしまうだろう。カルラートとしてはそうであっても構わないと考えてはいるが、だからといって議員たちも同じ意見とは限らない。誰だって自分が損をしたいとは思わないからだ。
結局のところ、意見がまとまらないのは絶対的な先導者が存在しないからだ。このまま決議を行ったところで、なあなあの結果となるのは目に見えている。そもそも議案書の提出すら未だにされていないのだから、当然のことだ。聖王であるカルラートが情けないと嘆いたのも無理はない。
もっともカルラート自身も、誰からもお飾りとして認識されている自身がその先導者として相応しくない無能であると感じており、自嘲するばかりではあるが。
(まあ、そんなところであろうな)
あまり停滞していた流れが変わりそうにない、と議長は判断した。
聖堂議会での発言権を持つ聖王にも一応聞くだけ聞いてみるか、という義務感あっての質問だ。元よりなにか進展があればよい、無くともそれほど聖王の意見に大きな期待をしていたわけでもない。
聖王が駄目なら次の相手に意見を求めるだけである。
「いやはや、まったくもって耳に痛いお言葉でございますな。我々もまだまだ精進が足りないようです」
聖王陛下の言う通りでございますと肯定した後、議長はおもむろに体の向きを反対に変えるとジルトアリスに向かってこう告げた。
「では聖女猊下、なにかご意見がございましたらお聞かせ頂いてもよろしいでしょうか」
ジルトアリスは頭の中が真っ白になった。