真なる魔女の生まれた日
シュラは死者蘇生の儀式を執り行う準備を始めた。
とはいえ、シュラが準備するべきことはそれほど多くはない。儀式に必要なピースはもう全てここに揃っている。
まずは蘇生させる死者、7人の女達だ。一番年上であろう腕を引き千切られた女でも二十歳を上回らないくらいに見える。少女たちと言い換えるべきかもしれない。
次に死者蘇生の外法を発動させる陣。起動の鍵となる詠唱を開始すれば即座に術式が発動する仕組みになっている。
そして、その陣を動かす為に焚べられる燃料。これには魔晶病患者の死骸を用いる。地下室全体がそのまま炉として機能し、グリムライト結晶から熱量を絞り上げる役割を果たす。
最後に外法の発動者であり、死者たちと対話し契約を交わす者。求められていた最後の一ピースは語り部の青年だ。
(全てがこの地下室から始まるのか……)
シュラは陣の中央に立つと瞑目する。今夜起こった出来事が次々と思い出される。
魔晶病の男
黒頭巾
迷い霧
祖父の幻
闇へと続く門
光り輝く地下室
シュラが今ここに立っているのは運命の導きであると言ってしまうのは簡単だろう。シュラを呼び寄せたと思われる、夢で見たあの黒い靄でさえも、きっと運命に従属する一奴隷に過ぎない。
何者かの手のひらの上にいる。人智の及ばない絶対者の掌中で、転がされるようにこの場に辿り着いた。お前など単なる駒の一つに過ぎない、と言わんばかりの傲岸さに対してシュラは反論する。
「だが最後……いや、最初の一歩を踏み出すと決めたのはこの俺自身だ」
この一線だけは譲れない。
「駒だからなんだ? それがどうした?」たとえ何者かの意志がそこに介在していようとも盤上に最初の一手を指すのはこのシュラ・ブックスローネに他ならない。
さあ、目を閉じるのはここで終わりだ。これより先は前人未到の領域、盲目のままでは居られない。
語り部の青年は目を見開くと同時に詠唱を開始する。
「賽を弄ぶ砂丘の悪魔よ」
陣が地下室全体から光を吸い上げるように七色に光り輝く。骸の山からはまるで断末魔の声を上げるかのように、次々と結晶のひび割れる高音を響かせながら光が失われていく。手足の先から灰と化していく彼らには、死してなお安息の一時は訪れない。焚べられた薪の如く地獄の炎に焼かれる最期しか残されてはいないからだ。
儀式が始まった。
死者蘇生は絶対者の御力を借りて行使される。当然ながら、外法の奇跡を行使するために力を借り受ける相手は女神などではない。
悪魔だ。
全てを嘲笑う砂の王。
少年の姿をしているとも老人の姿をしているともされ、彼の者の本当の姿は誰の知るところでもない。共通して語られるのは砂の丘の上に立ち、片手で賽を弄ぶということのみである。
悪魔は欲深き者の前に現れ、欲する物を授けるが同時に周囲を巻き込んで破滅を齎すとも言われている。
天勇教の聖典においては最大の神敵として描かれ、ひとたび悪魔に与する者が現れようものなら村や町ごと教会主導で焼き尽くされる禁忌の存在だ。
ならばこそ、呼びかける相手には相応しい。
悪魔は飢えている。
退屈を嫌い、貪欲なまでに周囲の全てを飲み込まんと砂に変えるその者に、示すに値する利は唯一つ。
「未知なる王冠を欲するならば、この愚か者どもに茫漠の試練を与えるがいい」
『いいだろう、楽しませてくれ』
どこかから声が聞こえたその瞬間、光が炸裂した。地下室には恒星の表面の如く炎が舞い踊る。絶対者の御力、指先一つにも満たないそれが陣へと注ぎ込まれた。
悪魔の承諾を得たシュラは少女たちの棺、その一つ一つに対して確認を取っていく。
「首を落とされた鷲頭獣よ、お前はこの現世において再び生を受けることを欲し、心臓を捧げてこれを承諾するか?」
「瞳を穿たれた一角獣よ、お前はこの現世において再び生を受けることを欲し、心臓を捧げてこれを承諾するか?」
「皮を剥がれた人魚よ、お前はこの現世において再び生を受けることを欲し、心臓を捧げてこれを承諾するか?」
「足を断たれた不死鳥よ、お前はこの現世において再び生を受けることを欲し、心臓を捧げてこれを承諾するか?」
「腕をもがれた鬼よ、お前はこの現世において再び生を受けることを欲し、心臓を捧げてこれを承諾するか?」
「腹に大穴の空けられた三頭犬よ、お前はこの現世において再び生を受けることを欲し、心臓を捧げてこれを承諾するか?」
「舌を抜かれた淫魔よ、お前はこの現世において再び生を受けることを欲し、心臓を捧げてこれを承諾するか?」
戸惑うような一瞬の沈黙、だが全くの同時に七つの棺全てから爆発するようにして承諾の声が叫ばれる。
『『『『『『『承諾する』』』』』』』
「ならばよろしい。だが、お前達に与えられるのは人としての生ではない。女神とその信奉者達、その全てを敵に回す邪悪な魔女としての生だ。
心するがいい。人が、世界が、光の中に生きる全ての者達が、魔女の心臓を食い破らんと一丸となってその牙を向けてくるであろう。立ち向かう覚悟はありや?」
激昂
シュラの巫山戯た質問に対して、馬鹿にするなと激怒の嵐が吹き荒れる。
「……っ! 素晴らしいっ!なればこそ俺も期待に応えるに否はない」
その意気やよし。彼女達もシュラの期待に応えてくれるだろうことには、もはや一切の疑いようがない。今か今かと涎を垂らして待ちわびていた悪魔の指先が、運命の歯車を廻しだす。
『ここに契約は成った』
七匹の魔女の使い魔、剥落魂が顕現する。
哄笑する悪魔の指の先でシュラの体に亡者たちが群がった。
「よくも地獄の炎で焼いてくれたな、お前も道連れにしてやる」と叫び、ぼろぼろと崩れる体にも頓着せずにシュラの五体を引き裂きにかかる。
シュラの舌が引き抜かれる。淫魔が嬌声を上げる。
シュラの臓物が引きずり出される。三頭犬が遠吠えする。
シュラの両腕が引き千切られる。鬼が地面を足で踏み鳴らす。
シュラの足が断たれる。不死鳥が翼を掻き鳴らす。
シュラの皮が剥がれる。人魚が尾を打ち鳴らす。
シュラの両目が穿たれる。一角獣が嘶きを上げる。
そして最後に、何度も打ち付けるようにしてシュラの首が落とされる。鷲頭獣は、ただその様子をじっと見ていた。
地下室を照らす光が最高潮に達した。
7人の少女たちの亡骸から心臓が引き抜かれると、時間が巻き戻るかのようにして体の再生が始まる。あれほど激しく損壊していた体の部位が生え変わるようにして出現し、生前に刻まれたであろう細かな傷や痣も全てが消えてなくなる。
新生、これはもはや蘇生などという領域ではない。死を超えて人という殻を破り捨てるためのイニシエーション。その最後の一工程が終了する。
◇
あれほど騒がしかった狂乱の儀式が嘘のように鎮まっている。
甦った魔女たちが目を覚ますのはもう僅かに先の話ではあるが、このとき世界では只ならぬ存在の誕生を感じ取った者達が激動の時代が始まる予感に目を見開いていた。
魔都に潜み、互いの尾を食い合う4匹の蛇
神の声を聞き、7人の聖者たちを束ねる聖女
自身こそが至高であると自負し、玉座に座す者
静かに反撃の芽が生えるのを待つ敗残者
悪魔に魂を売った偽りの魔女
無垢なる者もそうでない者も、盤上に立つにはなんの資格もいらない。我こそは、と思ったならば躊躇せずに飛び乗ってしまえ。女神と悪魔の指先で転がされるも、自ら踊り狂うも其の者次第だ。好きにしろ。
今宵は狂宴の前夜祭、今は皆ただ静かに本番を心待ちにしていて構わない。
だが努々忘れてしまわないことだ。
これは至上の盤上遊戯。
その最初の一手はすでに指されている。
第1章終わりです。
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