光輝の地下室、シャルラッハ秘本
「なッ!」
シュラはあまりの光景に驚き息をつまらせた。
地下の隠し部屋はとても広大な空間だった。それこそ教会の礼拝所と居住スペースを全てまるごと収めてもまだ余裕がある広さを誇るこの空間は隠し部屋というには些か謙遜が過ぎるだろう。
だが、そんなことはシュラにとってどうでもよかった。
「あるのかッ!こんなことがッ!!」
シュラを光が包み込む。暗い場所から急に明るい場所へと移ったため。目が眩さに眩む。しかし、目が離せない。目の前の光景はそれほどの衝撃を以てシュラの視神経を責め苛む。
白い光。
青い光。
黄色い光。
赤い光。
紫色の光。
橙色の光。
桃色の光。
緑色の光。
藍色の光。
水色の光。
ありとあらゆる光がここにはあった。
「グリムライト結晶ッ!」
それもただのグリムライト結晶ではない。計測不能の超高純度グリムライト結晶、見ただけで判別出来る。わざわざ、計測器にかけるまでもない。
シュラの目が光に適応した。
壁一面を埋め尽くす自ら光を放ち存在を主張する魔晶、様々な色に光を変えるその結晶は宝石としての価値はもちろんのこと魔導触媒としての価値も計り知れない。この空間に存在する全ての結晶を世に放出すれば、巨万の富を得ることができるだろう。それこそ国を買ってもお釣りが来る程に。
だがシュラが驚愕したのはそんなチンケな理由ではない。
「スゲーっ! ハハハハハハハッ!!」
笑いが止まらない。こんなことが本当にあっていいのか。
シュラを包み込む無数の輝き、その輝きの理由など一つしか無いではないか。
99.99999999999と称されるグリムライト結晶が発生する鉱脈など唯一、人間の体のみ。
シュラの目の前には苦悶の顔を浮かべて光り輝く魔晶病患者達の屍が、山のように折り重なって壁沿いに積まれていた。
その数はそれこそ百や二百では利かない。千の大台に届くのではと思わせる骸の山。
『光輝の地獄』
いったいどうやってこれほどの魔晶病患者の屍を集めることが出来たのか、甚だ検討もつかない。
いや、そんな思ってもいないことに考えを巡らせるのはやめるべきだ。これほどの魔晶病患者の屍を集めることなど不可能である。
ならば、これほどの数の宝石の山を一体どうやって築き上げたというのか。
それは……
「魔晶病を人工的に発生させたのかっ!」
もうそれしか考えられない。
いかなる外道を用いたのか。考案する方も、実行する方もどうかしている。とても正気の沙汰とは思えない。目の前にある地獄を生み出すために、悪魔に切り売りした魂は如何ほどの重さか。
知りたい。
知りたい、知りたい、知りたい、知りたい。
一般的に超高純度のグリムライト結晶は大出力かつ高度な魔導術を扱うための魔道具に用いられている。公共施設の管理塔や、国軍の精鋭部隊が用いる甲式魔導兵杖、国境線に張られる結界装置、国家の最重要機密を記すための魔導盤……etcetc。用途や形は違えどもそのいずれもが国家主導で製作運用される代物であり、それらの材料となる超高純度グリムライト結晶は緩衝材を敷き詰められた専用の箱に入れられ厳重に管理される。
黒頭巾も言っていたではないか。旧市街にこぼれて散らばったグリムライト結晶は回収する、と。広い旧市街に散らばった小さな欠片であっても全て回収しなくてはならないほどに希少なのだ。
「それが一体全体この地下室の死骸の山はなんだ?」
まるで火にくべる薪を積むかの如く積み上げられた無数の死骸を眺めながら、シュラの瞳は新しい玩具を目の前にした子供のようにグリムライト結晶から発せられる光を反射して輝く。
これほどの数の魔晶病患者の死骸を溜め込んでいるのには理由があるはずだ。
「知りたいっ!!」
この広大な地下室の更に奥底には一体どんな宝が眠っているのか。居ても立ってもいられず、シュラは怪我などしていなかったと言わんばかりの勢いで地下室の奥へと走り出した。この地獄を生み出した何者かに対する敬意、このような地獄を生み出してまで為し得たかった目的に対する興味、そして湧き上がる羨望、それらが全て入り混じった胸の内を隠すことなく無人の地下室を駆け抜ける。
いや、無人ではない。
生者という括りで見ればシュラ一人がここにいるのみだが、ここは死後の世界、光輝の地獄、数えるのも馬鹿らしくなるほどの亡者たちが折り重なりながら未だに苦しみ、助けを求めている。
そんな亡者たちを一顧だにすることなくシュラは地下室の最奥へと突き進んだ。
そして、居並ぶ7つの棺を前にして足を止める。
「はあ…!はあ…! これかっ!! これを俺に見せたかったのかっ!!」
声を荒げてシュラは叫んだ。
貴人を埋葬するために用いられるような黒壇の棺だ。
それらの棺が円を作るように等間隔に大きく間を空けて並べられて、床を伝う複雑な紋様を描く溝でつながっている。陣だ。
それも似たようなものをシュラは知っている。
魔導陣。魔導の術式を補助する為に用いられるそれは、多くの魔導杖や魔導具に組み込まれて人々の生活を助けている。
しかし、もはやこれは規模が違う。大きさ、密度ともにシュラの知る一般的な魔導陣とは桁違いだ。
床に直接彫り込まれたその溝はあまりの細かさに、どれほどの歳月をかけて完成させたのか想像することさえ許されない。
もはや魔導陣と言うには不適切なそれを用いて、一体何を為そうというのだろうか。
「ここまで見せつけられちゃあ、田舎のガキでも分かるわな」
棺の中を覗くと、当然のことながら7つの棺全てに亡骸が横たわっていた。
死後、間もないと見られる女の亡骸が7つ、この光輝の地獄において生身のその亡骸達は逆に異質なものとしてシュラの目には写った。
そして何より、その亡骸のどれもがひと目見て分かるほどに肉体を大きく欠損させており、どれほど壮絶な最期を迎えたのかを如実に訴えかけてくる。
首を切れ味の悪い刃物で何度も叩いて落とされた女
両目を抉られ、体中に火傷を負った女
皮膚を全て剥がれ、喉を潰された女
両脚を切り落とされ、頭蓋を大きく凹ませた女
両腕を、無理やりねじ切るように引き千切られた女
腹に大穴を開けられ、臓物を引きずり出された女
舌を引き抜かれ、下顎を切断された女
いずれの死体も正視に耐えない。
だが、目を逸らすこともまた出来ない。
シュラは等間隔に並べられた棺の中央、異常な細かさで刻まれた紋様の中心に、これ見よがしに置かれている赤色の本を手に取った。所々に付着したドス黒い汚れは血の色によるものだろう。何かの動物の皮で装丁を施されたその本には、絶叫を上げる人間の顔のような模様が浮き出ているようにも見えた。
最初の1ページを開いたシュラは床に座り込んで、そのまま時間を忘れたようにその分厚い本を最後まで読み進めると、静かに本を閉じる。
語り部という職業柄、様々な書物に触れる機会のあるシュラの書物を読み進める速さはとても早い。
一刻にも満たない時間で全てを読み終えたが、額には玉のような汗を浮かべて呼吸を早くしていた。
「俺に、これをやれってのか……?」
何度も確認するように赤い本の内容を読み返す。
「くくくくくっ、そうだったな。『戻ることだけは決して許されない』だったな」
書かれていたあまりの内容に呆然としたシュラであったが一つ含み笑いをすると、覚悟を決めたのか立ち上がり宣言する。
「見ているかっ! いいだろうっ! 乗ってやろうじゃねえか!」
「だが忘れるなよ、俺は消えるわけじゃない」
「この世に魔女たちによる饗宴の火が立ち昇るところあらば、その場所にこそ俺の弁舌が響き渡っていると知れっ!!」
返答は返って来ない。だが構わない。もう後戻りすることは出来ないのだ。今更、躊躇って何とする。
シュラが強く握りしめたその赤い本は、名を『シャルラッハ秘本』という。
死者蘇生にまつわる外法について事細かく書き記された、人倫を冒涜する禁断の書物である。