箱庭
今回は人しか出てきません。人もまぁ動物には変わりないですからね。
よければ暇つぶし程度にお読み下さい。
『箱庭とは、個を守る砦であり、檻である。』
思えば私は、昔から人に嫌われることが多かった。
理由は様々だが、とくに多かったのが“人を人として見ていない”という理由だ。
私は昔から人間という動物が好きではなかった。物心ついた時から両親からの暴力、金の為に売らされた体、鼻が曲がるようなキツイ香水の臭い、汚らしい父親の手。それらの理由が私を人間嫌いにさせたのだろう。
中学生の頃に両親が捕まり、孤児院に売られた。保護ではない、売られたのだ。その孤児院もまた、腐りきっていた。
高校に上がる際に孤児院の金を勝手に奪い、1人で暮らし始めた。
金を奪うことにはなんの躊躇もなかった。あれだけのことをされたのだ。私は慰謝料を貰う権利があると。…私もまた、腐りきっていたのだ。
高校生になって数ヶ月経った。周りの人間はやってきて離れていくことを繰り返す。そのうち誰も寄り付かなくなる。煩わしい人間関係なんて築きたくもない。
そんな中、1人だけ私に声をかけ続ける子がいた。それが天使実愛だった。
「瀬野涼香…さん。いつも1人だよね? 私も1人なの。一緒にご飯食べない?」
「食べない」
「…そっか。残念…」
どれだけ突き放しても彼女は私に声をかけ続けた。そんな彼女に私は絆されていつしか一緒に過ごすようになった。
そしていつからだろう。実愛のことを可愛いと思うようになったのは。
私は何時の間にか、実愛に惹かれていった。
人並みの感情があったことを実愛に会って初めて知った。胸が痛くなるような甘酸っぱい感覚を。これが“恋”というものなのだろうか。
わからない物をわからないなりに実愛に告げる。きっとこれは、拒絶されるべき感情なのだろう。だって私達は同じ性を持っている。
どこかの小説で見た『許されない想い』というものがこれなのだろうと。心のどこかでは思っていた。ただ、実愛は。実愛だけは、この想いを許してくれると、そう妙な確信があった。
「考えさせて」。そう言われた日はすぐに拒絶されないことに酷く安心した。
待つよ。いつまでも。実愛の心が私に向かうまで。
「あのね、涼香ちゃん。お話があるの」
1週間後。思い詰めたような顔の実愛に呼び出された。
「涼香ちゃんにね、私のこと話そうと思って」
それは1週間前。実愛に拒絶されたらと考えていた私の顔にそっくりだった。
「話を聞いても引かないでいてくれるなら、私も涼香ちゃんの想いに応えるね」
「……わかった。ゆっくりでいいよ。話してみて」
ぽつぽつとゆっくり話し出す実愛。なんと実愛も、私と同じような過去を持っていたのだ。
可愛い可愛い私の実愛。そんなことで私が実愛から離れる訳がないのに。
「私…だから男の人が苦手で…。そういう行為も、子供も、怖くて…」
「うん。大丈夫だよ、実愛。私が守ってあげる。私もね、実愛と一緒なんだよ。…ううん、実愛よりも状況は悪いかも…あのね…」
「………そ、んな…。そんな…ひどい…」
泣き出してしまった実愛を抱き締める。温かい。柔らかくてふわふわとした女の子特有の抱き心地。
可愛い名前の通りに可愛い実愛。
きっともう私は実愛を手放せない。私の手から実愛を奪おうとするやつは、殺してしまおう。誰にも実愛との時間を邪魔されないように。
息も吸えないような汚らしく汚れた世界で私が唯一息が出来る場所。
私にはもう、実愛しかいない。
いつもと変わらないような。でも確かに私達の中では全く違う日常が、幸せの絶頂期だったんだと。今まで生きてきた中で一番の幸福なんだと、胸を張って言える。
ずっとずっと、こんな日が続くことを柄にもなく願ってしまっても許されるだろうか。
私は、実愛と2人でいられるならそれだけで。
それだけでもう、満足なのだ。
誰かが私の事を檻だと称した。天使の羽を捥いで鎖に繋ぎとめる檻だと。
実愛が私の事を安心できる箱庭のようだと称した。
たしかに私は、実愛の箱庭であり、檻でもあるんだろう。
実愛がそれを望むなら、箱庭にでも檻にでもなってやる。どんな些細なことでも、私を変えられるのは実愛しかいないのだから。
最近、実愛に会えていない。
実愛が私の想いに応えてくれたあの日から、1人。私達の和に人が増えた。
千堂明という、付かず離れず、私達の箱庭には絶対に入っては来ないけれど、境界線ギリギリにいるような子が。
少しギャルっぽくて、でもあまり五月蝿くなくて。静かな箱庭の番人のような人。
私達の事を知っていて、私達の事情も知っている。不思議な奴だった。
「りょうか、最近元気ないじゃん」
「だって実愛がいないから」
「せんせーから話聞いてきたよ。みのり、びょーきになって入院してんだってさ。本当かどうか知らないけど」
「そんなこと一言も聞いてない」
「みのりは何かあったら絶対りょうかに連絡するから、入院とか絶対うそだね」
放課後の教室で2人。夕焼けが窓から射し込むその時間に実愛の事について話していた。
明曰く、実愛が入院していると教師から聞いたと。
私は何も、聞いていないのに。
夕焼けに照らされた明の顔を恨めしそうに眺める。あぁ、きっとここに実愛がいたのなら。
夕日に照らさせる実愛は誰よりも美しいに違いないのに。
「りょうかはみのりと連絡とってないの?」
「メールしても大丈夫、心配しないでとしか返ってこない」
「それでりょうかが大人しくしてるのがわたし驚きなんだけど」
「確証もないから、家に押しかけることも出来ない」
「ふーん…。ま、わたしがあんたらにどうこう言う資格ないんだけどさ。でもやっぱり、いなくなる前のみのりおかしかったよね」
ガリッ…。明の口にある飴が音を立てる。その音が何故か、箱庭にヒビが入ったような音に聞こえた。
学校に来なくなる前の実愛。どこがおかしかっただろうか。
いつものように可愛い顔で笑い、私の傍にいるのがこの上ない幸せだと言うように微笑んで、全身で私を愛してくれた実愛。
でも思い出してみれば確かに変だった。笑った顔に少し影があったり、外に行くことに怯えていたり。そして酷く男に過剰反応していた。前からそうだったけど、前よりも反応が大きくなってはいなかっただろうか。
私達にとっては男も、性も、毒でしかない。また嫌なものでも見たのだろうかと、そう思っていた。…でももしかして違うのだろうか。
考えたくはない。だってそれは、その考えは、私達の箱庭を壊すことにほかならないのだから。
実愛がいなくなって数ヶ月。明と共に立ち入り禁止である筈の屋上で話していたのは、やっぱり実愛の話で。
この数ヶ月で、私達が私達であるには、実愛は必要不可欠なんだと思い知らされた。
「…りょうか、隈すごいよ」
「最近寝れてないから」
「そんなに心配なら会いに行けばいいじゃん」
合鍵持ってるんでしょ? 明の声が寝不足の頭に響く。
合鍵ならお互いに持っている。持ってはいるが、どうしても私は真実を知るのが怖かった。臆病な自分はただ1人の人から逃げようとしている。そんなことあっていい筈がないのに。
「…しょうがない。そんなりょうかが足を踏み出せるようにわたしが一言言ってやろう」
「……?」
「わたしずっとあんたら2人見てて、幸せな箱庭の番人になれて楽しかったよ。だからこそ、この箱庭は壊さなければならない」
「な…にを……」
「今の箱庭を壊して、正しい箱庭を完全なものにするためにはこれしかないんだ」
いつになく真剣な顔の明に嫌な予感がする。ガリ…となる明の口の中の飴は、いつかの崩壊の音と同義な気がして。
「みのり、いなくなる前頻繁にお腹気にしてた。消えてしまえとでも言うかのようにぎゅっと握りしめて」
「やめて……」
「みのりに涼香ちゃんには内緒にしてて。私がお腹気にしてたの内緒にしててって言われたんだ。それが2人の幸せになると思って黙ってたけど」
「あきら…それ以上は…」
「これじゃあ幸せになれない。みのりから連絡が来てしまった今。わたしも覚悟しなければならない。ごめん、涼香ちゃんをよろしくね、なんて。みのりらしくないメールが届いてしまったから」
私の顔を見る明は、悔しそうな顔をした。そして私に爆弾を、落とした。
「今までのみのりを見て予測を立てた。…みのりの1番嫌いなものが、腹に埋まってたんだと思う」
「1番…嫌いなもの……?まさか……」
「たぶん、そのまさか」
「出来たんだと思う。 赤 ん 坊 が」
学校を飛び出した。信じられなかった。いや、信じたくなかった。
だってあの子は誰よりも子供が嫌いで、誰よりも子供が畏怖の対象だった。
そんな子に赤ん坊…?そんなことあるわけない…、そんなわけ…。
「実愛!!!」
あの子が1人で暮らしている家に来た。合鍵で鍵を開け、部屋に入るとどこからか子供の泣き声。
そんな…まさか本当に……?
声が聞こえる方に走る。あまり広くない家で、目的の部屋に着くのは一瞬だった。
バンッと音がしそうな程強く扉を開け放つ。泣き声が大きくなった。
「みの…っ」
膝から崩れ落ちた。そんなわけない。ずっと泣いている子供の泣き声が耳障りだ。
なんで、どうして。どうして私を置いて行ったりするの。
身体に力が入らない。もう何もしたくない。幸せだった箱庭は、今この時をもって崩壊したのだ。
私と、あの子。2人だけの幸せな…幸福の箱庭。
私だけが残ってても、意味がないじゃないか。
「みのり…おいてかないで…みのりぃ…!」
1人で生きていくにはこの世界は厳しすぎる。
もう私はこの腐敗した世界で息を吸い続けることは出来ない。
汚らしいものに塗れた街も、汚れきったゴミの様な人間も。もううんざりだ。
「みのり…みのり…わたしのみのり…」
その心もとない細い紐に実愛が揺られるのならば。
私も一緒に揺れるのが相応しいだろう。
───── さぁ、一緒に。
─────私達の箱庭へ還ろう? 実愛。
「あーあ、1人になっちゃった」
夕焼けに照らされる屋上でぽつりと少女は呟く。ガリガリと口にある飴を砕きながら掴むのは、1通のメールが表示されたケータイと背後のフェンス。
「番人の役割もしゅうりょう。これでわたしの存在意義も消えたわけだ。…呆気なかったな」
目を瞑り、今までのことを思い出す。あの2人の幸せに、わたしは貢献出来たのだろうかと。
その答えをくれる者など、ここにはいない。
「あぁ、息がしづらい。この世界は優しくない」
だからこそ。次の箱庭は優しくあれと。せめてあの2人には幸福であれと。そう願わずにはいられないのだ。
風が慰めるようにふんわりと吹く。
紅い夕日に照らされた屋上には、もう誰もいない。