間章<太刀・雷仙>
暗い緑色の光に満たされた部屋を進む、二つの影があった。
そのどちらも、まるで闇に自ら溶け込もうとしているかのように黒い。否、まるで暗渠に産み落とされた闇の眷属であるかのように、二人は取り巻く漆黒の領域に身を浸していた。
だが、彼等は魔族などではなく、れっきとした人間であった。
ここはフォレスティア王家の第一宝物庫。まるで美術館かと見紛うばかりに整理しつくされた品々は、呪的強化水晶の陳列ケースに収められ、淡い光に照らされながらその煌きを放っていた。幾何学的な統計美によって配置されたそれらのケースの間を縫うようにして、二人は先を急ぐ。
ジェルバールの元に、<Taureau d'or>軍部より連絡が入ったのは五時間前。
内容は、ヴェイリーズ確保成功の報告と、接収物の中に気になる品が含まれていたということであった。
一時間前、その品はここ王家の宝物庫へと運び入れられた。
それが何であるのか、当のジェルバール皇太子にも知らされてはいない。
機密保持の目的のためか、それともあえて伏せられたのか。どちらにせよ、直接足を運んできたジェルバールにとっては、どうでもよいことではあったが。
「あれでございます」
ジェルバールの傍らを歩んでいた男―S.A.I.N.T.フェイズ・ドラートが数歩先のケースを指差す。
闇の中に、他のケースと同じように浮かび上がる光の結界。
だがそのケースだけは様子が異なっていた。
他の品は黒い天鵞絨で包まれたクッションの上に優しく載せられているだけであったが、そのケースには他のような優雅な光景は微塵も感じられなかった。
鮮烈な白い光で照らし出され、そして無骨な木の台座が無造作に置かれ、その上に問題の品は載せられていた。
瞳が焦点を結び、そして驚きに大きく見開かれ。
ジェルバールの歩は自然と早まっていく。胸のうちで脈打つ鼓動を表すかのように、半ば駆け寄るようにして、ジェルバールはそのケースに辿り着いた。
「これは……太刀」
「然様でございます」
ジェルバールの視線の先にあったのは、黒塗りの太刀。
台座ごと鈍色をした鎖で幾重にも縛られているそれは、かつては王家の至宝の宝の一つであったものだ。
太刀、その銘を雷仙。霞に乗った老人が天空を舞う様が金箔によって描かれている鞘は、それだけですら美術品として一級の価値を持つものでもあった。
だが太刀の真の価値は鞘ではなく、刀身にある。
通常の武具とは大きく異なり、また使う者を自ら選ぶという伝説さえあるそれは、既に鋳造技術が失われて久しい。現在の技術をもってしても製造は不可能、最高位の金属鍛錬技術と心霊儀式を執り行ってもなお、酷く粗悪な類似品を生み出すことしかできなかった。
世界に十五本しかないと言われている伝説の刀。そしてこの太刀は、ジェルバールにも見覚えがあった。
何故なら、ジェルバールはかつての持ち主を知っていたからだ。
「太刀は、Schwert・Meisterしか持つことはできぬはずだが……誰がこれを」
「S.A.I.N.T.ソランジュ・ユーゴーの手を借りました」
その名を聞いたジェルバールの表情が曇る。だがそれも一瞬のこと、次の瞬間には再び眼前で封印された太刀<雷仙>へと吸い込まれるように視線を向ける。
ジェルバールもフェイズも、一言も発しようとはしない。
だが両者の胸中はそれぞれに異なっていた。
ジェルバールは繰り返し自問を続け、そしてフェイズは主の反応をただひたすらに待っていたのだ。
ややあって、その沈黙を破ったのはフェイズであった。
「軍部に、拿捕者の確認を取りましょうか」
「その必要はない」
きっぱりと言葉を撥ね退けたジェルバールは、ひんやりと冷たいケースに触れる。
「太刀を所有できるSchwert・Meisterなど、そうそういるはずがない……にわかには信じられないが」
白く鋭い光の下、杖を掲げた老人がきらりと輝く。
「これを扱えるのは、我が弟を除いて、他にはいない」