第二十六章第一節<The Law of falsehood>
<Taureau d'or>尖塔<ヒラデルヒア>本国最上位裁判審議館。
大きく窪んだ擂鉢の底辺に咎人を捕らえるそこは、まさに負の呪術の坩堝であった。蟻地獄のような最下層に封じられているのは、第二騎士団所属のセシリア中将とカルヴィス中将。
双方ともに手首を金属の円環で戒められ、そして頭上より降り注ぐ浄光に意志をも束縛されている。低位神族が現世へと干渉する際に発生するその光は、罪咎に対する攻撃力が非常に高い。
そもそも罪を一度も犯したことの無い人間などいようはずもない。絶対善たる存在からすれば断罪の目標ともなろう人の身にとって、それは抑圧されるべきものであり、間違っても信仰の対象とはなりえぬ光であった。
だが光は強い指向性を持ち、直下にしかその力を及ぼさぬ。
つまりは、セシリアとカルヴィスはこの軍法裁判が閉廷するまでの間、凄まじい精神負荷に耐えねばならないのであった。朗々と響く声は、精神拘束と呪的負荷を増大させる言霊を含む韻律。それを耳にしただけで、心弱き者ならばその場にむせび泣き崩れんであろう、心的抑圧。
「汝らは、己が罪状を弁えているのか」
項垂れたまま、口を開くことすら許されてはおらぬ。
否、この状況で自由に言葉を紡げる者は、ごく一部に過ぎぬだろう。それを知ってなお、斯様な問いかけをしてくるとは。
「亡命した政府官僚の拿捕、並びにChevalierヴェイリーズ・クルズの奪還が、汝らの職務であったはずだ」
周囲が強い光で照らされているために瞳孔は絞られ、周囲の様子を窺い知ることはできない。まるで、暗黒の只中において大いなる意志によってのみ投げかけられた光を一縷の望みとする者のように。
完全に闇に閉ざされたその周囲には、間違いなく六騎士団の頭領が列席しているはずだ。
裁判長の声はさらに続く。
「汝らは、そのどちらの職務にも遂行の義務があったにもかかわらず、果たすことはできなかった……さらにはその職務が免罪としての側面をも持っている以上、下される判決にこれ以上酌量を汲むことはできぬ」
くじけそうになる精神を何とか踏みこたえ、カルヴィスは小さく舌打ちをした。
本当に、それが精一杯の抵抗であった。何故なら、満足な調査を行わずにセシリアの罪を問い、そして辺境へと追いやり、また自分たちの都合で新たな任務を追加する。
これの何処が、正統な裁きといえるのだろうか。
「しかし、お前たちの働きによってではなく、問題は既に解決に至っている。ゆえに、セシリア中将ならびにカルヴィス中将のこれ以上の今回の件に関する行動の一切を禁止するものとする」
解決。その言葉の意味するところを理解できず、セシリアは眉間に皺を寄せた。
移動要塞<ユグドラシル>の派遣により、大戦力の転送を可能にしたことでヴェイリーズの奪還は成しえることができた。では、政府官僚の確保は如何様にしたというのか。自分たちですら見つけられなかった一人の男を、テレンス元帥はどのようにして発見できたというのか。
「解決、とはどのような行動を指すものかね」
そのとき、セシリアの胸中を代弁するかのような声が闇の中から発せられた。
答えがもたらされるよりも早く、激しく、空気が動揺する。
何故なら、ここは討論の場ではないのだから。元帥ならびに大将位階を有する者は全て、被告に対しての断罪の判断を下す意見徴集のためにいるのだから。
声の主は、第四騎士団<藍玉>元帥バルダザール・ブルーアヴローであった。
「少なくとも、二人はこの件に関わった者たちなのだから、顛末くらいは知っておいたほうがいいだろう」
掻き乱される空気の中、裁判長は気まずそうな咳払いの後、やや乱れた口調で答えた。
「亡命した政府官僚の所在を確認の上、当該地域である<Dragon d'argent>地下施設の存在する惑星に怨念焼夷弾を投擲、呪的殲滅を完了した」
その答えは、身を圧する呪力を撥ね退けるだけの力を、確かに有していた。
頭を跳ね上げ、何も見えぬ虚空を凝視したのはカルヴィスであった。
今しがた裁判長が言明した場所とは、まさにあのとき、ラーシェンやフィオラたちと合流した惑星のことではないか。
艦隊を着陸させ、彼らの元へと赴いたとき、カルヴィスは確かに見ていたのだ。
満足な路銀させままならず、徒歩で一時間もあれば到着できる辺境都市に入ることも出来ず、ただ妖魔と飢餓の恐怖に怯えている難民のテントの群れを。身を寄せ合い、不安に震えつつ、それでも足掻き続ける底辺の人々を。
カルヴィスはそこに、憐憫と侮蔑の視線を投げかけたのではなかった。
彼らから感じられたのは、まさしく人が生きる意志の強さ。間違いなく彼らの持つ強さは本物であった。銃や剱や異能や地位で武装した強さでは決して無い、生命本来が持つ、輝かしい力強さであった。
その惑星を。
怨念焼夷弾を以ってなぎ払ったというのか。
怨念焼夷弾とは、低位呪詛の詠唱を高速で行うシステムを弾頭に備え、着火剤とともに相当量の火炎をもってして怨霊を一定領域一定時間内に無限召喚する、疑似爆弾である。
行動理念を飢餓本能のみとする怨霊は、領域内の生ある者たちの魂魄を食い荒らし、刹那の快楽を見出す。彼らとて地獄の縛鎖に戒められた永劫の罪人であり、故に力なき者への牙には容赦などあろうはずもない。
犠牲者は炎に身を焼かれ、喉を焼かれ、息すらも満足にできぬままに怨霊に魂を食い散らされる。怨霊の牙毒に犯された魂魄は死ぬことすら許されずに冥府の獄界に堕ちる。そこでいつ果てるとも知れぬ永劫の苦行が繰り返される。肉体と精神、双方に途方もない苦痛を与える兵器であった。
それが用いられたのだ。しかも、たった一人の亡命者を殺す目的によって。
唇は動くが、声が漏れてくることはない。掠れた喘ぎが、乾いた唇の奥から僅かに聞こえてくるのみ。小刻みの震えが、躰の芯からこみ上げてくる。
それを何とか押さえこもうとするが、激しい動揺が精神を掻き乱す。
「……あ……っあ……」
まるで口の利けぬ者のように、光を仰ぐカルヴィス。呪的拘束と動揺がせめぎ合い、精神を激しく磨耗させる。
「では、次の議題に移る」
裁判長の無情な言葉によって、それ以上の詰問は打ち切られた。幾千という人の命をも巻き込んだ一撃は、その罪すら問われることは無く、彼らの無念は闇に葬られたのだ。
これが、政治というものか。自分たちの利益と損得勘定、そして保身のためならば民をも巻き添えにするということに、如何なる疑問も抱かぬ人間たちの巣窟か。
ぎり、と指を握り締める。爪が掌に食い込み、固く締められた指の骨が鈍痛を訴えるほどに。
もどかしい。軍人と言う地位にありながら、肩書きが長いだけの輩の意志一つで動かされてしまうという現状に。力を持ちながら、それを自分のものとして使えぬ立場に。
「次は、ヴェイリーズ・クルズの処断についてであるが……」