間章ⅩⅩⅤ<淵き凱旋>
活動可能領域<Hod>に転送されていた移動式要塞<ユグドラシル>。
大樹を思わせるが如くの巨大にして壮麗な光と鋼の堅牢なる城において、第二騎士団<琥珀>元帥テレンス・アダムズの帰還を迎えるべく、格納庫に出向いていた第四騎士団<藍玉>元帥バルダザール・ブルーアヴローの眼前に、深紅の艦船<アレス>がその姿を現した。
分厚いが恐ろしく透明度の高いクリスタルをはめ込んだ窓越しにその威風堂々たる姿を目の当たりにしたバルダザールは、それに続く形で次々にドッグへ収容される黒い艦隊に驚いた。
その外装には紛れも無く、大きく弧を描いた白金の龍の紋章が描かれていたのだから。
あれが、<Iesod>宙域で秘密裏に活動を進めていた<Dragon d'argent>か。
「失礼致します」
そのとき、部屋のドアが音も無く開き、一人の将校が姿を現した。
指先までがぴんと伸ばされた所作で敬礼に身を固めると、声までが物質化しているのではないかと思われるほどに強い語気で言葉が発せられる。
「ご報告致します! 第二騎士団元帥テレンス・アダムズ様、並びに元帥艦隊が帰還なされました!」
「ああ……見ていたよ」
バルダザールは窓辺の棚に手をつき、身を起こした。
袖口から覗くその手には、深い皺が刻まれていた。
若い将校が何かを口にするよりも早く、バルダザールは後ろを振り返った。
遠く離れているにもかかわらず、若い将校は微動だにせぬ姿勢のまま、こちらを直視したまま屹立している。
部屋にあるのは、いくつかの机と椅子、そして観葉植物だけ。昼でも夜でもない、ただの蛍光灯の光だけが照らす部屋は、まるで時間が止まっているようにも思えた。
「今から行くよ。ありがとう」
バルダザールの低い声は、まるで贖罪に頭を垂れる信教者のようでもあった。
キャットウォークの階段を下りると、ちょうど拿捕された<Dragon d'argent>の乗務員が並んだまま収容されているところであった。
武器の類は全て取り上げられていたが、それでも予想外の抵抗を想定し、列の左右を銃を構えた兵士が警戒のために囲んでいた。
それを複雑な胸中で見つめつつ、バルダザールはふと顔を上げて<Taureau d'or>の艦船を見上げたときであった。
リフトに部下と並んで乗っているテレンスの傍らに、知った顔を二人ほど見つけたのだ。
セシリア・フォレスティアとカルヴィス・ウーゲル。二人は確か、王家の人間を殺した罪で辺境の警護に左遷されていたはずであると聞いていたが、まさかここで合流しているとは思わなかった。
リフトの昇降ポイントでテレンスを出迎えるべく、バルダザールは歩を進めたが、近づいていくにつれ二人の様子が奇妙なことに気づいたのだ。
確か、テレンスは<Iesod>から<Hod>にかけての<Dragon d'argent>艦隊を想定してここに移動要塞を転送させていたはずだった。
その作戦の一環として、セシリアの部隊との合流を果たす目的があったのだとしたら、納得できる話だ。
だがあの様子では、二人は作戦行動を終えたという雰囲気ではない。それでも何か事情があるのだろう、と自分を納得させ、バルダザールは下りてきたテレンスに手を差し出した。
「無事で何よりだったね、アダムズ元帥」
「これはこれは、直々のお出迎え、感謝いたします」
一回り以上年齢が離れているというのに、テレンスの物言いには何等敬意というものは含まれてはいないようであった。
「私の留守中に要塞周辺で何か不穏な動きはありましたかな?」
「何も確認されてはおらんよ……」
ふと落とした視線の先に、カルヴィスの手首につけられた拘束具が映る。
何故、部下に手錠をつけているのだ。見れば同じものがセシリアの手首にも確認できる。
「アダムズ元帥、これは」
「ああ、彼らは任務を怠ったからね。ヴェイリーズの奪還も不完全だった上に、当初の任務である逃亡した官僚の確保もできてはいない」
涼しげな顔で言ってのけるテレンスに、バルダザールは呆気に取られた顔のまま道を開けた。
聞けば<Iesod>からの交戦はかなりの激しさだったというではないか。
戦艦ニュクスの被害を見ただけで、そのことは容易に想像ができる。仮に任務が遂行できなかったとしても、その部下に手錠を掛けるなどという話は聞いたことが無い。
「覚えておいでかな、バルダザール・ブルーアヴロー元帥」
人を莫迦にしたような薄ら笑いを浮かべ、テレンスは続ける。
だがその言葉はバルダザールに向けてというよりも、後ろの二人に聞かせる心算であったようだ。
「セシリア・フォレスティアは王族殺しの罪人だ。救済措置である任務一つこなせない部下に、情けをかける謂れは無いんだよ」
あえて階級を省いたその言葉は、どこまでも挑発と侮蔑の彩りが施された残酷なものであった。
「さあ、それでは本国に帰るとしようか。仕事は山積みだからね」
狼狽するバルダザールのすぐ前を横切って過ぎるテレンス。
その後ろから俯き加減につき従う二人に、バルダザールは何も言葉をかけれやれない悔しさにもどかしくほぞを噛んだ、そのときであった。
足をもつれさせたカルヴィスが、バランスを崩す。両手が自由にならぬあまり、姿勢を立て直すことができずにバルダザールに倒れこむようによろめく。
「気をつけなさい」
反射的に両手を出し、カルヴィスの躰を支えるバルダザール。
憔悴した表情のカルヴィスは、まるで怯えた小動物のように覇気の無いまま、小さく会釈をし。
「これを、よろしくお願いします」
バルダザールにすら聞こえるかどうかという声で呟き、手の中に何かを押し込んでくる。
思わず視線を落としたその先には、小さく折り畳まれたメモがあった。
あの様子から察するに、恐らく内密に彼に宛てたものなのだろう。
背を向け、何気ない所作を装いつつ開いたメモの内容に、今度こそバルダザールの動きは驚愕に凍ることになる。
【<Dragon d'argent>施設内にてL.E.G.I.O.N.と交戦。両者癒着の恐れあり】