第二十五章第三節<Corridor of Sun>
レシュ回廊。
ヘヴライ・アルファベットでは二十番目の名を冠せられたその回廊は、<Iesod>と<Hod>を結ぶ構造である。その名の意味は「頭」、また向日葵、香水草、月桂樹がその象徴として挙げられる。
<Dragon d'argent>艦隊の転移予兆から135秒後。セシリア率いる<Taureau d'or>第二騎士団艦隊もまた、タロットカードの<太陽>の象徴図案を展開し、レシュ回廊の門を潜っていた。
「……どうして、彼らがこのレシュ回廊に向かうと、分かったのですか」
実体化を終え、彼方にいるであろう<Dragon d'argent>艦隊の機影を追跡するブリッジで、セシリアはフィオラに尋ねた。
「私が学んできた魔術理論と、<Dragon d'argent>の使う理論が同じなだけ」
冷たく言い放ち、フィオラは形の良い指を組んだままセシリアを見据えた。
「マグリエル家に生まれた能力者は、女であってもその技法を学ばせられる……遠い先代は<Dragon d'argent>の宮廷呪術師だったらしいけれど」
<Dragon d'argent>、という単語に殊更語気を込めて説明する。
その言葉を受け、セシリアは睫を伏せて黙り込んだ。それを横目で見つめていたフィオラは、やおら乱暴な所作で立ち上がった。
「……あぁ、もう! 教えるわよ、それでいいんでしょ?」
唐突に大きな声を出すフィオラに、セシリアは最初驚きの視線を向けるも、黙ったまま頷いた。
それまでお互いがいた活動可能領域の名前は<Iesod>。
カバラ秘教学的な見地からすれば、この名を持つ領域は様々な象徴を兼ね揃えた世界とされている。
守護を司る大天使の名はガブリエル。<Iesod>の象徴とされているものは月。フィオラの修める呪術学にはガブリエルの名は無論含まれてはいないが、天使の力の源は水の元素である。
他にも展開されている色彩、または月としての象徴を紐解いていけば、終着点は「水」というただ一点にのみ集約される。
陰陽五行における「水」が含むものとして黒、夜、暗黒などがあり、これは魔術的連想として月と同じくするものであった。<Iesod>すなわち水の世界において身に降りかかった災厄を退け、新たに力を呼び戻すには、水に対して打ち勝つ属性のものを帯びなければならない。
フィオラの魔術概念において、それは水剋火という言葉によって導くことが出来る。
水はすなわち強い火によって蒸発し、失われる。
強い火、という象徴を三つの回廊に照合した結果、このレシュ回廊の象徴は「太陽」であった。
太陽の強い熱によって水を蒸発させ、同時にその力を身に取り込んで浄化する。
逆の立場なら、まず間違いなく同じことをするだろう。そう考えての結論であった。
「なるほど……」
「でも、まだ安心は、出来ない」
フィオラは鋭い眼差しで、遮光フィルターのかけられたモニターを見つめる。
「短期決戦に持ち込まなければ。この艦の名は、希臘の夜の女神。強い陽光の回廊では、その力は半減するはず」
その言葉を退けることは、セシリアには出来なかった。
何故なら、相手は他ならぬ<Dragon d'argent>の逃走経路を割り出したFacultrice、フィオラ・マグリエル。他者の言葉であれば、笑って一蹴できたそれも、彼女の唇から漏れ出たとあっては無視するわけにはいかない。
「短期決戦、ですか」
「もしくは、回廊を出た後、と言いたいところだけれど……」
はっと身を固くしたフィオラは、立ち上がって前方の信号を見る。
「これが、今の速度が、一番速いの?」
「……いえ、今は最大戦速の25%で移動中です、回廊内では周囲が……」
「急いで! 出来るだけ速く追いつかないと!」
フィオラの変貌ぶりに、セシリアが怪訝そうな表情で問いかけようとしたときであった。
「相手の旗艦の名前は<朱蒙>……失念していたわ」
その呟きに、操縦士の声が重なる。
「前方回廊にエネルギー収斂反応、回廊外壁の光が集まってきています!」
「なんですって」
セシリアが詳細情報の検索をかけようと手を伸ばす。
それを見つめながら、喘ぐようにフィオラは続けた。
「朱蒙は古王国高句麗の創世神……眷属を召喚するなど、容易いこと……!」
「エネルギー収斂止まりません、内圧危険値突破、擬似神格波長が展開!」
「まさか……M.Y.T.H.!?」
開発途中の、魔術的戦略兵器の名前を口にするセシリア。まだあれは、実戦投入がされていないと聞いているのに。
召喚に成功すれば、圧倒的な彼我戦力差をも覆すと言われている禁忌の兵器。配備禁止条例が両国間で締結されてはいるものの、実質的には何の効力も持たないために、M.Y.T.H.の実戦投入は時間の問題と考えられていた。現段階で確認されているM.Y.T.H.の数は三基。
「いえ、M.Y.T.H.特有の領域結界は確認されていません」
戦闘領域全域を覆うレベルの結界を構成することが、召喚術の条件とされてきていた。
何故ならば、神格を発生させるだけの収束率を維持するためには、広大な宇宙空間では拡散する力のほうが強いために、理論上不可能とされてきていたのだ。
「だとしたら……」
思考を巡らせるセシリア。
だがそうしている間にも、徐々に距離は詰まってきている。回廊の中間地点を塞ぐようにして、その光の塊は出現していた。
あれを突破することは、まだ可能だろう。 だが回廊内で背面から攻撃を仕掛けられれば、自分たちには成す術がない。
「太陽の力を収束して、神格召喚を行っています……恐らくは、あの艦の能力かと……」
「検索結果、出ました!」
メインスクリーンに映し出される、名前と詳細データ。
その文字列に、一堂は息を呑んだ。
>Summoning being---Kalki=Avatar
>One of the incarnation of Vishnu
モニターには、白馬にまたがり、真紅に塗られた憤怒の形相でこちらを見据える、一人の男の姿が映し出されている。
その大きさは他の艦船を圧倒せんほどに大きく。また、真空の領域であるはずの宇宙空間において、馬のいななきまでもが聞こえるという異様な状況に、皆が凍りついたまま動けずにいた。