第二十五章第二節<Support of Sorcery>
身支度を調えたフィオラが戦艦<ニュクス>のブリッジに姿を現したのは、セシリアが医務室を後にしてから二十分が経過した頃であった。
忙しく操縦士らが行き交う外周の廊下のドアが開き、黒い長衣を揺らしながらフィオラが一歩を踏み出したとき、擦れ違った女性操縦士が会釈をして通り過ぎる。
ぐるりと見回してみると、何もかもが自分の知る艦とは違っていた。
これが騎士団の実装する戦艦なのか、と愕然となる。前面には巨大なスクリーンが五面展開され、ほぼ実寸大の規格で周囲の状況を視覚的に捉えることが出来る。巨大なスクリーンを前にしてみれば、まるで透明な硝子一枚を隔てて自分が今まさに虚空の宇宙と対峙しているかのような錯覚させ催させるものであった。
投影された映像には視覚化フィルターが施され、色彩と文字により直接映像以上の情報が得られる仕組みになっている。
円を基調とした構造のブリッジの中央には、台座のように迫り出した指揮官席があり、そこにはセシリアの姿があった。指揮官席の前方には空間投影式スクリーンが設置され、艦隊情報の全てが座りながらにして把握ができる。
まさに騎士団の名に相応しい、壮麗な装備であった。
「ようこそ、我が<ニュクス>のブリッジへ」
座席から立ち上がり、セシリアが手招きをするように振り返る。
それはまるで、漆黒の劇場で一人タクトを振るう指揮者のようでもあり。示されるままに、フィオラは階段を下り、プリマドンナのように舞台へと上がる。
「……現在、追跡中の<Dragon d'argent>の艦隊との距離は現在、三千キロメートルを維持しています」
フィオラの眼前に、宙域俯瞰図が現れる。
「照合データより、<Dragon d'argent>艦隊は十三隻、旗艦<朱蒙>を中心として円錐陣形のまま逃走中」
とん、とセシリアの指先が、遠ざかる光点を指し示した。
「何も問題はないように見えるんだけど」
「ここです」
セシリアが手元のコンソールを操作すると、<Dragon d'argent>艦隊を示す光点の横に拡大図が表示される。
表示される情報に、フィオラは眉間に皺を寄せる。十三の艦隊布陣に重なるように、エムブレムが表示される。だが十三の記号全てに、旗艦を示す文字列が互いに密集して表示されているのだ。
「これを、どのように思いますか」
十三隻全てが旗艦<朱蒙>であるはずがないことは、誰が見ても明らかである。
セシリアが質問しているのは、この誤作動を引き起こした原因であった。
「間違いなく、あの艦隊は後方に結界を張っているわね」
戦略兵器として結界を展開する程度のことは、誰もが考え付くはずだ。
しかし、眼前のセシリアの顔は晴れない。
「どうしたの、すぐに結界を解くアプローチを……」
「……それが、できないんです」
理解しきれない答えに、フィオラの眉が寄る。
何を言っているのか、とフィオラはセシリアの顔を直視する。まさか、王家上がりの軍人で、まともに戦ったことが一度もないのに指揮官としての席にいる無能者、というわけでもあるまいに。
「呪的戦略艦に魔力探査を行わせているのですが、どの艦からも魔力を検知できないのです」
確かに、その話は妙だった。
この状況で、旗艦が判別できないということは明らかにこちらにとって不利である。
何故なら、我々は相手の殲滅が目的ではないのだから。囚われているヴェイリーズの確保が最優先事項なのであり、その際に留意することとして収容艦の被害を最低限に食い止めるという必要がある。
だが全艦が旗艦とする目くらましを目的とした結界を展開されているということは、こちらの攻撃行動を限りなく制限するということにもなる。
それなのに、どの艦からも魔力がないとなると。
「……セシリア、主砲装填をお願い」
「どうするのです?」
「目標を定めずに、とにかく一撃を放って」
「しかし、それでは」
「このままヴェイリーズを取り逃がしてもいいの?」
力の加減もせずに平手でコンソールを叩く。
その気迫にフィオラの決意を感じたのか、セシリアは視線を正面に戻し、オペレータに命ずる。
「第一主砲にエネルギー装填準備」
「攻撃が目的じゃないからね、半分以下でいいわ」
今度はセシリアが訝しむ番であった。だが、議論している時間はない。
「装填率30%で発射プロセスへ移行」
「あの」
フィオラはその時間を利用して、すぐ近くにいる操縦士に声を掛けた。
「<Iesod>の象徴と、それからここから接続されている回廊のデータを出してもらえますか」
先ほどまでの、敬語を拝した喋り言葉というのは、王家に対する抵抗のあらわれ、なのだろうか。
「装填準備完了……いつでも撃てます」
「命中はさせなくていいわ……お願い」
セシリアは頷くと、前方を飛来する光点を見つめ。
「撃ちなさい」
宇宙空間を一条の光線が切り裂いた。
直撃をしたところで、戦艦クラスの外装など破壊できないであろう、低い収束率の攻撃。
それはほぼ一瞬で三千キロメートルを駆け抜け、そして艦隊に直撃をする、と思われた瞬間。
何もない虚空において、光は壁にぶつかるようにして四散した。
そこに展開されていたのは明らかなるエネルギーフィールド。加えてフィールドの表面には複雑な幾何学紋様が主砲の光を受けて映し出される。直線と曲線、そして小さな円からなる縦に長い長方形の紋様には見覚えがあった。
それを目の当たりにしたフィオラは、一体相手がどのような手段で目くらましをしているのかを確信する。
「……呪符魔術!?」
その紋様は、太上秘法霊符<厭悪鬼符>。降りかかる禍から身を守るために、全てを同じ旗艦と見立てる、追儺の符。
艦に魔力探査を仕掛けても反応がなかったのは当然であった。あのタイプは、空間に直接及ぼす方法の施術なのだから。
「解呪開始! 目標は艦隊後方の空間の結界!」
号令と共に、エネルギーフィールドに投射される光があった。
緑、赤、黄色、そして白。それぞれで十個のシジルと呼ばれる図案化された紋章を描き、それによって魔力を視覚化、解呪するアルマデルの魔術。
礼を述べようと振り返ったセシリアであったが、フィオラは傍らのモニターにじっと見入ったままであった。
「……何をしているのですか」
「まだ終わりじゃないわ……気を抜かないで」
映し出されているのは、三つの回廊の象徴データ。
レシュ、ツァダイ、サメク。
「攻撃を受けたり結界が破られれば、あいつらは回廊を使って別の領域に逃げるわ……でも何処の回廊に行くのか……」
「隊列を、分けますか」
「バカ言わないで」
セシリアの言葉を、フィオラは容赦なく退けた。
三分の一の手勢になれば、間違いなく各個撃破の的になるだけだ。
頭脳の細胞を励起させ、フィオラは三つの回廊と領域の象徴を睨む。
<Iesod>の守護を司る大天使ガブリエル。そして月の象徴。
彼らはここで大きな失態を犯した。それ故こうして追われているのであり、呪術的にもここの敗北や失態を拭い去りたいと願うだろう。
フィオラの知る呪術概念の五行思想の中に、月の該当項目はない。けれども、月は夜の象徴。
ならば。
凝視する三つの回廊の一つに、フィオラの視線が注がれる。
「中将、目標転移予兆!」
「いずれかの象徴を展開していると思われます、回廊接続まであと50秒!」
「攻撃を続けなさい!」
強い口調で命じ、そして傍らのフィオラに振り返る。
じっと画面を見つめたまま動かないフィオラの背中に、苛立ちが募る。
だが、一体手がかりなどあるものだろうか。じりじりと炙られるような焦燥と重圧の中。
フィオラはとうとう、一つの答えをはじき出した。
「これよ、レシュ回廊!」