間章ⅩⅩⅣ<黒珠>
死んだように伏せたまま動かない、金髪の青年がいた。
黒々とした岩石は、まるで石工が切ったかと思しきほどに完璧な平面をしており、またそこに白い布をかぶせただけの粗末な祭壇に、青年は安置されていた。
魔術師が纏うような長衣を羽織り、青年は瞼をきつく閉じている。胸の動きはないことから、青年が息をしていないことがわかる。
しかし、肌はまだ血の気を失ってはいない。死んでからまだ、時間が経っていないということなのだろうか。全身を弛緩させ、如何なる緊張も宿さないその肉体に、静かに歩み寄る影があった。
一分の乱れもなく礼服を着込んだ、初老の執事。こつこつとステッキを突きながら青年の元へと辿り着いた執事は、口髭を撫でながら黙したままひたと見下ろす。
「……シャトー、ムートン、ロートシルト、様」
一つひとつの名を区切り、呟く。
無論、そのようなことで青年が目を覚ますはずがない。
「十の宝珠のうち、こちらがひとまず、完成致しました」
白い手袋に包まれた掌に、漆黒の宝珠が出現した。
一切の光を吸収する、完璧なる黒。故に光沢を持たず、ただひたすらに奈落の闇を宿した、その宝珠。
執事はそれを青年の胸の上に置き、静かに手を離す。
宝珠はたちまち輪郭を失い、ぐずりと溶け、そしてシャトーの胸に染みこんでいく。
「シャトー様、ご報告がございます」
溶け崩れていく宝珠を見つめながら、執事は小さく呟いた。
「これまで、常に写本と共に介在しておりました、あの黒き男の姿が見えませぬ」
まるで、眠る赤子に語りかけるように。
「極東の霊戦でアリシア・ミラーカ並びにエフィリム、エルクス両魔術師を打ち破り、また<緋なる湖畔>にて我等の前に立ち塞がった、あの男が」
「そうね」
背後から女の声が聞こえてくる。
既に宝珠は軟体生物のように形状を失い、シャトーの胸へと吸い込まれ消えていく。
振り向けば、そこにいたのは緋色の衣を纏う金色の髪をした女。
「確かに、彼の気配は感じられない……名を何といったかしら」
「九朗」
執事――アルベルト・ガードナーは染みのようになった宝珠の残滓につと指を浸す。
「壬生、九朗といったか」
奇妙な男だ、とアルベルトは小さく笑みを漏らす。黒い染みは指に絡みながらも、シャトーの胸に飲まれ、消える。
「写本の争乱が生まれれば、必ず姿を現してきた<時渡り>の力を持つか……ならば何故、来ない?」
「来ないのなら、それでいいわ」
緋色の女――モルガン・シーモアは石の台座の傍らまで近寄り、そしてシャトーの寝顔を微笑みながら眺めた。
「今度、九朗に会うときがあれば容赦はしない……我等十二の使徒の力、見せてやりましょう?」