第二十四章第二節<Border of light>
目の前に唐突に出現した、緑に光る柵。壁の一部が突出し、内臓されていた縦長の黒いセンサー同士を繋ぐように、その光線は出現していた。
センサーの大きさは約三メートル。光線は全部で十二本、それらは一定間隔を於いて発生している。
その光線が、一体どのような類のものであるのかは分からない。しかしカルヴィスの長年培ってきた感が、それが途轍もなく剣呑な代物であると、知らせていたのだ。
メイフィルを解放し、起き上がったカルヴィスの周囲に部下たちが集まってくる。
もうすぐこの階層にラーシェンらが到達する頃だ。そして合流を果たし、さらに上層へ移動するには、この柵を通り抜けなければならない。
だが、かといって不用意に触れることはできない。光線自体に破壊能力はないとしても、たとえば光線接触と同時にセキュリティシステムを自動的にリスタートする仕掛けになっているのかもしれない。
「くそッ……!」
力任せに壁に拳を叩きつける。時間がない。
「お嬢ちゃん、残り時間は」
「あと……132秒です」
予想以上に手間取っている。
否、この時間では地上に辿り着く前に禁呪の効果は失われてしまう。安全圏で地上まで到達することは最早できなくなった。
不安げな視線が交錯する中、メイフィルの答えを聞いたカルヴィスは満足そうに唇を歪めた。
「上等だ」
カルヴィスはベルトから空になった弾倉を取り外すと、それを光線に向かって投じた。
騒然となる一堂。彼らの眼前で、弾倉は光線に接触した部分からいとも簡単に真っ二つに切断され、さらに断片が落下する際に二つに切り裂かれる。
からん、と床に落ちたそれを手に取るカルヴィス。
目の高さにまで持ち上げ、光を当ててみる。断面は完璧なまでに直線で、しかも斑がない。
しかも、すぐに触れても熱の伝達もないということは。
この光線が、恐ろしく高い攻撃力を持った罠である、ということの証明であった。
光線を突破することは不可能だ、と半ば諦めの視線を投げかけたときであった。
光線の反対側の角に、人影が現れた。
黒い長衣と、幾分背の低い人影。その二人連れがラーシェンとフィオラであるということは、すぐに判別できた。
「済まん、警備兵に手間取った」
足早に近づいてくるラーシェンは、光の柵の前で足を止めたままのカルヴィスらに訝しむ視線を向ける。
「……何をしている」
「しくじっちまった。悪いが、俺たちはここから動けねえ」
「この光線か……?」
ラーシェンが手を伸ばそうとした瞬間、カルヴィスの怒号が響く。
「触るんじゃねぇ!!」
フィオラがびくりと肩を震わせ、ラーシェンの動きが止まる。
「これを見ろ」
床に滑らせる要領で、カルヴィスは切断された弾倉をラーシェンに渡す。さすがにそれを見せられては、ラーシェンとしても納得せざるを得なかった。
「……ならば、この装置を壊す」
「構造も分からねえのにか? これだけのエネルギーが通路で暴走したら、それこそ全滅だぜ?」
ラーシェンは一度柄に伸ばした手を止める。
打つ手がない。乗り越えようにも、この高さを突破するには普通の人間では無理だ。
両者の間に、しばしの沈黙が流れ。
「時間がねえ、行ってくれ」
カルヴィスの言葉に、メイフィルが隣で弾かれたように顔を上げる。その言葉は即ち、自分たちの救出を諦めさせるものであったからだ。
「ここでお互い倒れちゃ、ヴェイリーズを救出に来た意味がねえ」
自分は死ぬのか。
凄まじい精神重圧がのしかかってくるのを、メイフィルは肌で感じる。
ラーシェンはカルヴィスからメイフィルへ、視線を移す。その瞳を受け止められず、メイフィルは俯いた。腕に嵌めたデジタル時計を確認し、そして。
「……あと、56秒……です」
ここで、ラーシェンに助けを求めることだって出来る。死にたくない、と泣き喚くことだって出来る。だけれども、そのことに何の意味があるのか。
肩に担がれているヴェイリーズは、あたしよりもずっとずっと、生きる価値があるんだから。あたしの命と三人の命を天秤にかけたら、どっちが大切かくらい、それくらい分かる。
「……今まで、ありがとう、ございました」
「行けよッ!」
悲鳴のような、カルヴィスの声。
メイフィルの腕時計のカウントが、40を切る。
ラーシェンとフィオラの背後の異形は、もうすぐ動き出す。
施設内に放たれた無数の異形は、次の瞬間に恐らく一斉に襲い掛かってくることだろう。
「隊長」
男の声が背後からした。
「どうした」
カルヴィスの元に進み出たのは、部隊の中でも体格のいい二人。
だが勇猛な兵士であろうはずが、二人の顔は恐怖に引き攣っていた。
「お、俺たちが、あの光線を、く、食い止めます」
「二人でそれぞれのセンサーを抱え込めば、恐らく数秒くらいは阻止できる、は、はずです」
躰を楯にして、僅かでも脱出の時間を稼ぐつもりなのだろう。だがその言葉を耳にしたカルヴィスは、二人を凄みのある表情で睨みつけた。
「戦場じゃあ、兵士は駒みてぇなモンだって……うんざりするほど、上官から聞かされてきたんだよなぁ」
二人は黙ったままだった。メイフィルもまた、カルヴィスの意が汲めずにいる。硬直した二人に向かって、カルヴィスは両手でそれぞれの胸倉を掴み上げた。
「一度だって、俺がてめぇらをそんな風に扱ったことがあるか」
二人は黙ったまま、目を丸くしてカルヴィスをひたと見据える。
「答えろよ」
「……ありません」
震えた声が二つ。それを確認したカルヴィスは、両手の指を広げて二人を解放する。
「……分かったら、さっさと装備を変更しろ。すぐに化け物どもが押し寄せやがるぞ」
カウント、15。振り返ったカルヴィスの視界に入ってきたのは、光の柵に背中を向け、凍れる異形に対峙する二人の背中。
「てめぇら……!?」
俺らはともかくとして、二人は逃げようと思えば逃げられるはずなのに。なんだって、こんな割の合わない付き合いに命を賭けるんだ。
「約束だからだ」
ラーシェンは、怖気がするほどにぬめ光る刀身を、鞘鳴りを響かせつつ、抜き放つ。
「メイの親を見つける、そう約束をした」
メイフィルの腕時計から、ゼロを示すアラームが鳴った。