第二十二章第三節<Security Shield>
ロックが解除されたドアが開き、一瞬の間を置いて兵士等が迅速になだれ込む。
青白い光が通路にまでゆっくりと漏れ出てくるその部屋が無人であることを確かめてから、カルヴィスに連れられたメイフィルは足を踏み入れた。
部屋は然程広くはなく、ただ中央に円形の台座のような高みがある構造であった。緩やかな段差は四箇所に等間隔に設けられており、その他は黒い壁面によって隔離されている。円形の黒い台座を取り囲むように、大人二人が両手を広げてもまだ両端に届かぬほどに余裕のある通路がぐるりと周囲を取り囲んでおり。
「なんだ……ここは」
人が隠れられるような場所はなく、またセンサーに感知されている爆発物や攻撃物の反応もない。全てが無機質なもので埋め尽くされているその部屋は、異様であるとも見える。
何故なら、潜入してからこれまで、無防備に放置されてきた通路や玄室などは一つも存在しなかったからだ。まるで相手は防衛線という言葉を知らぬ素人のように、人海戦術の如くに人員をつぎ込み、物量作戦によってこちらの足止めを強いてきている。
だが、そのような無目的な戦闘を切り抜けること自体は困難ではないものの、それは確実にこちらの力を殺ぐことに成功しているようであった。避けられぬ戦いでは少なからず弾薬を消費し、また緊張と弛緩を短時間で繰り返すことによって精神もまた疲弊する。
そうした戦闘を続けてきた以上、気配のないこの部屋の存在を容易に受け入れられぬとしても不思議ではなかった。
だが彼等の中でただ一人、メイフィルだけは反応が異なっていた。
「ありがとうございます」
振り返る視線の先で、メイフィルはカルヴィスが初めて見るような晴れやかな笑顔で頭を下げた。
その言葉の意味が理解できず、カルヴィスは目を丸くする。
その反応にメイフィルは微笑み、そしてすぐ傍らにある段差を上って台座の上に出る。
「この場所をお知りになりたいのでしたら」
黒い壁の上にメイフィルの顔が見える。
何かを操作していると思う間もなく、部屋は閃光に包まれた。反射的に銃火器を身構える兵士たち。まさか、この小娘が内通者だったのか。部屋の中を一触即発の緊張が包み込んだ、そのとき。
「……モニターか?」
銃を構えつつ、光から顔を庇っていたカルヴィスが呟きを漏らす。
黒い壁とばかり思っていた部屋の外壁は、その全てがモニターであった。それが一斉に灯されたため、暗順応を引き起こしていた網膜には強烈な光として感じられたのであった。そして、彼等もまた戦闘のプロであることを証明するかのように、モニターに映し出された映像から、今の段階で入手ができる情報を瞬時に読み取っていく。
「メイフィル」
「敷地内に設置されている四百のモニター、そして管制システムのコントロールができるようです」
既にメイフィルはカルヴィスを見てはいない。念のために兵士が数名、段差を上がってみると、円形の台座の周囲にはぐるりと配置された無数の端末、キーボード、大小のディスプレイが所狭しと並んでいた。
一見しただけでは操作方法も判別せぬそれらを、メイフィルはまるで演奏家のように巧みに操作し、求める情報を次々に引き出していく。丸い眼鏡に反射したディスプレイとモニターの光の向こうでは、恐らくメイフィルの瞳は凄まじい集中力によって恐るべき速度で情報を読み取っているに違いない。
「現在、私たちを追撃している部隊は確認できる範囲内では存在しません。ですが退路に該当する箇所には既に別部隊が配置されておりますので、後退は……」
「後退はしない」
弾倉を交換しつつ、カルヴィスは言葉を遮った。メイフィルの指が止まり、見下ろす視線が青白い光に照らされたカルヴィスに向けられる。
「……後退をしている時間はねえんだ」
「そうでしたね」
にやりと笑って見せるカルヴィスにつられ、メイフィルもまた口元を綻ばせる。
「ここは任せられるか」
「だって私、そのために来たんですもの」
「……そうだったな」
装備を確かめてから、カルヴィスは入ってきたのとは反対側のドアを見やる。
「ここへは何人か残していく。通信はそいつらを通してやってくれ」
「了解」
親指を立てて合図を送ると、メイフィルは再びディスプレイへと向き直る。その姿に、今までは決して感じられなかった頼もしさを見られたカルヴィスは、一瞬にして精神を緊張させた。
カルヴィスらがシステムルームを後にしてから十分が経過。
その間、メイフィルは警備兵らの動きをトレースし、残る兵士の持つ通信機を使ってカルヴィスに報告し、同時に通路のあちこちに仕掛けられたセキュリティシステムにログインし、それらを一つ一つ麻痺させていくという離れ業をこなしていた。
数々の端末に表示されている画面は仔細を極め、また情報の文字列の取捨選択を信じられぬほどの効率でこなすメイフィルの端末操作技術は、まさに神業とも言えた。
複数の端末で起動するアプリケーションの数が次第に増えていく頃、ふとメイフィルの動きが止まった。
何かがおかしい。見たところ、どこにもエラーは出ていない。システムは全て正常に動いており、また監視プログラムに不正ログインを発見された様子もない。
しかし、メイフィルの理論では捉えられぬ感覚が異常を伝えていた。
指を止め、ディスプレイに見入る。
異常は、何処かに異常はないか。
手元に置かれた無線機から、カルヴィスの声が漏れて聞こえる。だがそれに答えることもなく、メイフィルは画面を食い入るように見つめる。
一秒、二秒、三秒。痺れを切らしたカルヴィスが無線機の向こうで声を張り上げたときであった。
だしぬけに、視界が赤く染まった。それがディスプレイに映し出された警告表示であると気づくまでに二秒。メイフィルをぐるりと取り囲んでいるディスプレイの悉くが、赤く明滅していた。
とうとう来たか。
この反応は予想の範囲内ではあったものの、予兆を見抜けなかった自分に苛立ちが募る。キーボードを叩く指の速度が倍化する。自分でも信じられない動きでキーを打ち込んでいるというのに、頭は不思議と冷静だ。唇を強く噛み締めながら、事前に名簿から抽出しておいた高位ユーザーIDによって再認識をかけるが無効。
次なる手段として、システム内に存在する監視プログラムを一時的に凍結させ、ホストコンピューターにセキュリティプロセスにリセットを仕掛けるも拒絶。
「くっ……!」
円形の台座の上で端末と格闘するメイフィルは、あたかも古代世界で神に捧げられた乙女の如くに、紅蓮の光に照らされていた。
メイフィルの仕掛ける手段の全てを無効化し、セキュリティプログラムが起動する。力強くキーボードに両手を打ちつけるメイフィル。
「ちくしょう……どうなってんの!?」
>security program RYO-SAI SI-I
>summoning spell the KYAKKI
目の前のディスプレイに流れていく文字。不正ログインが発覚した時点で、メイフィルの端末から、否、この部屋の端末からの全ての信号を強制的にシャットアウトするプログラムになっているのか。
どちらにせよ、この端末からではシステムに介入することができない。
「カルヴィスさん!」
悲痛な叫びが、無線機に飛ぶ。
「システムが自動制御に移行しました! 警戒態勢が解除できません!!」
「おおよ、こっちでも警報が鳴り響いてやがる」
無線機の先から、カルヴィスの声がかき消されそうになりつつ聞こえてくる。
「とりあえず、システムはどうなってんだ?」
「侵入者排除のセキュリティプログラムが始動しました、現在属性照合中です」
「大至急でやってくれ」
その声と重なるようにして、スピーカーから銃声が響いてきた。半ば叩きつけるようにして無線機を置くと、メイフィルは膝の上に置いた携帯式コンピューターのキーボードを叩き続ける。
ここの端末と直結できれば検索は早いが、最悪こちらのコンピュータまで制御不可能に陥りかねない。先刻の警告の中に出てきた文字列から、該当する名詞を検索し、どの系列によるものなのかを高速検索し続ける。
まるで動体視力の限界に挑むかと思われるほどに下から上に流れていく緑色の文字。
その中で、一つの文字列が反転して停止した。震える指で無線機を掴み取り、そして絶叫とも思える声でカルヴィスに叫ぶ。
「セキュリティ判別しました! システム<聊斎志異>、Dao=Jiao系列・招鬼呪属性です!!」