第十九章第一節<Biting of mouse>
「これを、どう思う?」
カルヴィスはセシリアの前に、数枚の書類を投げ出した。
旗艦ニュクスの執務室に坐すセシリアは、それらを一瞥するなり、座ったままでカルヴィスを見上げた。机の上に広げられたそれは、本国からの通信をプリントアウトしたものであった。全部で五枚綴りにされたそれは、二人が船に戻ってから半時間後に、受信したものであった。
「どうって……テレンス元帥からの第一級命令よ?」
選択の余地はない、という面持ちのセシリアに、カルヴィスは溜息をついた。
「お前、この名前を見て、何も思い出さないのか?」
とんとん、とカルヴィスは書面の中の一つの名を指差した。ヴェイリーズ・クルズ。今回の任務の目標となる人間の名だ。
「見覚え、あるだろうが?」
「覚えてはいるけれど……」
反政府組織に強いかかわりを持つ、Chevalier能力者の青年だ。
そもそも、自分たちの任務は辺境で活動を進めている組織を追っていたはずだ。
奇妙なのは、これだけの時間を置いて、改めて一個人の情報を送ってくる本国の対応である。ヴェイリーズと反政府組織。ベクトルは同じであるにもかかわらず、どうしてあたかも別個な情報であるかのように扱っているのだろうか。
「でも、今になってどうして……」
「よく考えてもみろ?」
カルヴィスは手近な椅子を引き寄せると、乱暴に腰を下ろした。
「最初、俺たちの任務は反政府組織の武力鎮圧だったはずだ、それが今になって見ればヴェイリーズの捕獲作戦に変わってる。これがどういうことか、分かるか?」
「……情報部がヴェイリーズのことを掴んだってこと?」
カルヴィスは首を左右に振った。
「あのなぁ、俺たちでも組織とヴェイリーズのつながりは調べることができたんだぞ? 本国の情報部の人間だったら、とっくに分かってることだろうが」
セシリアは溜息をついて背もたれに躰を預ける。分からない。分かりそうなのに、頭の中で何かが結びつかない。
「状況が変わったんだ。組織の鎮圧に優先して、ヴェイリーズの口封じをする必要が出てきたってことさ」
「口封じ?」
理由が分からない、という風にセシリアが聞き返す。
「当初、ヴェイリーズは本国にとって影響力はないと判断されていたんだよ、きっと。それが状況が変わって、早急にヴェイリーズの身柄を確保することを迫られたのさ」
カルヴィスの説明は理路整然としている。正解かどうかは定かではないが、聞くところにおいて破綻した点は見られない。
「俺たちは、偶然にもカードを全て揃えている」
カルヴィスの口元が吊り上がる。
「そこまでは本国の奴等も考えもしなかったろうさ……厄介払いをするつもりが、手飼いの犬に手札を見られちまったんだからな?」
微笑みをそのままに、彼は体を背もたれに預けた。
「<Dragon d'argent>の信号傍受も、その一つだって言うの?」
「ご明察」
カルヴィスは指をぱちんと鳴らして見せた。
「帰ってくるまでは半信半疑だったんだけどよ、これで全部が繋がりやがった。恐らくはヴェイリーズが、今の両国間の外交の切り札だ」
切り札、という言葉を聞いた瞬間に、セシリアの頭の中でピースが組みあがる音が響いた。かちりという微かな音と共に、セシリアは本国の意図がまるで手に取るように理解できたのだ。
「……<射手座宙域の聖歌隊>ね!?」
かつて、不確定情報から惑星一つを壊滅させた汚点、<射手座宙域の聖歌隊>事件。
その数少ない生き残りであるヴェイリーズは、長らく行方不明とされていたのである。
だがしかし、情報部は彼が反政府組織として活動を続けていることを発見。
それに対し、ヴェイリーズ拘束を後回しにしていたのは、恐らくは軍部の見立て誤りであったのであろう。
もしくは、<Dragon d'argent>との勢力争い、またはL.E.G.I.O.N.の姿無き脅威に怯えていたせいか。どちらにせよ、<Taureau d'or>はヴェイリーズへの監視を怠り、その結果として<Dragon d'argent>に先手を打たれる結果となってしまったのである。
そこで焦ったのは<Taureau d'or>である。
まさか<Dragon d'argent>に狙われているとも知らず、完全に後手に回った<Taureau d'or>は急遽、遠征中の部隊であるセシリア・カルヴィス隊にヴェイリーズ奪還を要請。
だが彼等とて、<Dragon d'argent>が用意した次なる策までは、読めようはずもなかった。
「さて、俺たちはどうするか、だ」
「……カルヴィス?」
どうするかなど、決まっている。
自分たちにはヴェイリーズを追い、身柄を拘束し、それを本国へと連行する以外に選択肢はないはずなのだ。
「お前、自分の立場がわかってねえだろう?」
「殺人罪の濡れ衣を着せられた、ということ?」
「あれはもう、濡れ衣なんかじゃねえよ」
いつになく厳しいカルヴィスの言葉に、セシリアは身を固くする。
「お前がいくら身の潔白を叫ぼうと、もう最高裁判の判決は下っちまったんだ。これで首尾よく本国に帰還したって、待ってんのは前科者の肩書きだけだ」
ぐっと唇を噛み締めるセシリア。それまで、軍人としての職務に没頭し、またカルヴィスの明るく快活な態度を前にして、悩みを脇に置いていたのに。
「軍には……戻れないの?」
「籍があるだのないだのって問題ならまだいいけどよ、最悪……消されるだろうな」
「どうして!」
色めき立つセシリア。
「第二騎士団所属の中将ともなれば、除隊したところで責任問題云々よりも、お前の持っている機密の漏洩が重要になるだろうな」
胸倉を掴まんばかりの勢いで立ち上がったセシリアは、力なく椅子に戻る。
どこで間違えたのだろうか。今までの自分の経歴に、何か致命的な傷があったのだろうか。
唐突に閉ざされた未来。
これが、不慮の事故による死であったならば、まだ諦めがつくことだろう。
昨日と変わらぬ今日であったはずなのに。
カルヴィスの言葉には、相変わらず隙がない。隙がないからこそ、反論ができない。言い返せない。指を組んででもいなければ、不安と絶望のあまりに手が小刻みに震えてくるのが自分でも止められない。
怖い。悔しい。気を張ろうとすれば、それだけ心が空回りする。
何処にも寄りかかれない。頼りに出来るものが何一つなく、ただ双眸から涙が零れた。
「こういうのはよ、多分、どうしようもないことなんだ……お前がミスをしたとか、そういうことなんじゃないんだ」
ショックのあまり、硬直した表情のまま涙を流すセシリアに、カルヴィスは低く、真実を告げる。
「だからよ、俺たちは生きる道を見つけるんだ」
「生きる、道……」
そんなもの、あるわけがない。戻れば命を狙われ、今のままでも犯罪者としての烙印を押される。これが、過去の失策の隠蔽のためだけの人身御供だというならば、それはあまりに無体な仕打ちであった。
「そうだ。お前は、このまま……<Taureau d'or>の軍部に消されたいのか」
セシリアは組んだ指に力を込めた。
「あなたのことは……信じても、いいの……?」
「それはお前の選択だ。ただよ、俺はお前に道を示してやれるし、少なくとも味方のつもりだけどな」
乾いた笑いを零してみせ、カルヴィスはぼりぼりと頭を掻いた。
「まぁ、こんなこと言っちゃ口説いてるみてえだけどよ……信じろ。損はさせねえ」