第十八章第一節<Interception>
店を出たカルヴィスは、ふと足を止めて後ろを振り向いた。人ごみを掻きわけるようにして酒場を出てくるセシリアを見つめながら、カルヴィスは喉元にまで競り上がってくる疑問を口にした。
「お前、さっきの男と知り合い、なのか?」
セシリアの足が止まった。
店の中に入りきれずにビールの瓶を片手に談笑していた男たちの傍ら、石段を降りる手前のところでセシリアが立ち止まる。やや俯くような角度で顔を伏せたまま、セシリアは何かを呟くように唇を動かした。
「さっき、あんなに慌ててたからな、もしかしたらって思ったんだけどよ」
「……過去です」
拾い上げられた単語は、しかしカルヴィスにとって応答として受け止められるものではなかった。
「過去?」
「知り合いだとしたら、どうなのですか」
「いや、そういう真面目な気分の話じゃねえんだけどよ」
頭を掻きながら、その次の単語を口にしようとして、やめる。
「……まあいいや、気を悪くしたんなら謝るよ。悪かったな」
手を振り、往来の人の流れに躰を滑り込ませようとした、そのときであった。
二人の軍服の懐から、ほぼ同時に着信音が鳴り響いた。軍用に支給されている携帯通信機器だ。
応答の声を発する二人の耳に、同じ声が聞こえてきた。
単一の回線から複数の端末に着信させる、多方向通信であった。
「セシリア中将、カルヴィス中将。緊急の通信が入りました、至急船までお戻りください」
「何事ですか」
緊迫した口調からも分かるように、二人を呼ぶということはそれなりに重大な何かが起きているのだろう。
「はい、艦の結界システムに、突然確認されていなかった識別信号が……」
「待て、そこまでだ」
足早に道を歩きながら、カルヴィスは報告を途中で遮った。
「その識別信号は、龍か」
「はい」
「わかった、もういい」
「……はい?」
明らかに困惑する相手に、カルヴィスは手短に伝えた。
「どこで傍受されてるかも分からん。詳細はあとで聞く、いいな?」
「了解です、カルヴィス中将」
「今から二十分で戻ります、よろしく」
相手の返答を待つ時間も惜しいという風に、セシリアは通信を切った。
通話を終え、早足で人の流れの間隙を擦り抜ける二人は、しばし沈黙を守ったのち、やはりこみ上げてくる不安感には打ち勝てず、口を開いた。
「龍が……この近辺に来てるってこたぁ……」
「よほどのことが無い限り、この領域には軍の派遣はありませんが」
「だから、よほどのことがあったんだよ」
ばりばりと頭を掻きながら、カルヴィスは毒づいた。
「問題は、そのよほどのこと、ってのが何なのかだ……クソ、余計な仕事増やしやがって……」
自分たちがここにいる理由として、一つの項目が挙げられる。
それは、セシリアの処罰として、治安維持を目的とした部隊を中央から離すこと。それにより、自分たちは<Tiphreth>から<Iesod>まで移動せざるを得なかったのだ。
その間、中央で何が行われているのか、その詳細はうかがい知れぬ。だが追加任務として下された、高級官僚の拿捕という任務を考えれば、当面の間自分たちに戻ってきて欲しくない状態があるのだと考えて然るべきであろう。
では、その状態とは何か。
セシリア、カルヴィス両中将の地位を考えると、決して二人の持つ影響力を恐れてのことではあるまい。そもそも、中央が忌避するだけの影響力を持つ将校だとするならば、これほどまでに滑稽な茶番の生贄として選ばれなかったはずだからだ。
であるからして、自分たちが中央から遠ざけられた理由として、上層部の意向に忠実な手駒だけを揃えたかった、と考えるのが妥当であろう。
仮説の上に仮説を重ねていくやり方では所詮は砂上の楼閣となろうが、それでもただ黙って手をこまねいているよりはいい。
「カルヴィス、奴等は……」
黙ってはいたが、同じくセシリアも一人で熟考を重ねていたようだ。
「問題は、奴等がいつからこの領域にいたのか、ってことだな」
反応が発見されたタイミングが、そのまま<Dragon d'argent>の<Iesod>到達時刻だと考えるのは早急であった。
幾つかの制限項目を遵守すれば、こちらの探査結界から識別信号を発見されずに済む方法などいくらでもある。逆にそうした方法を利用して、こちらの読みを外しにかかる戦術をとってきているのかもしれない。
「開発放棄はしているけれど、この領域の監視放棄はしていない筈です、よってこの領域に<Dragon d'argent>の施設があるという可能性は低いでしょう」
「なるほど」
早足で歩きつつも、カルヴィスの息が切れる様子はない。
自堕落ななりをしてはいても、やはり軍人としての鍛錬は欠かしてはいない、ということなのだろう。
確かに、施設全体を恒久的に覆うだけの結界を維持するとなれば、それだけの術者を配備するのみならず、能力開発や人件費の問題などで経費を圧迫することになるのは間違いない。そして、これまでこの領域で施設らしき建造物が発見されたという報告は聞いていない。
「なら、答えは簡単だ」
にやりと微笑んだカルヴィスは、セシリアを見下ろす。
「ここに奴等が狙う何かが、最近になって入ってきたってことさ」
「どうしてそう断言できますか」
セシリアの問いに、カルヴィスは一度視線を前に戻した。往来の真ん中で杖をついて進む老人を回りこむように避け、話を続ける。
「俺の推理ではこうだ。奴等は何かを追ってこの領域に来ていた、その目的を達成したか、ある程度までの目処はついた。そこで意図的に結界を解除して、自分たちの存在を俺たちに知らしめることにした……つまり、奴等は俺たちの存在にもとうに気づいてたってわけさ」
無言で先を促すセシリア。
「理由は、奴等が識別信号を傍受させるには、俺たちがいなくちゃ意味がないってことさ……俺たちがまだ見つけてねえ地下組織に傍受させたところで、反政府組織の人間の行動なんてたかが知れている。だから、俺たちがいることを知ってて、わざと見つけられるように仕組んだのさ」
カルヴィスの説明を熱心に聞いていたセシリアは、やや考えを巡らせながら歩を進め。
「それで、龍が狙っているものって、一体何?」
「それを調べに、船に戻るんじゃねえか」
さらりと言ってのけるカルヴィス。つまり、セシリアが本当に知りたいことは何一つ、分からずじまいだったのだ。
「さ、急ぐぜ?」
歩く速度を上げるカルヴィスを人ごみの中で見失わないよう、セシリアもまた人ごみを掻き分け、辺境都市の大門へと向かっていった。