第十七章第三節<Premonition>
薄汚れた布袋を載せた台車を、メイフィルは汗まみれになって引いていた。
近くの都市から仕入れてきた食糧を積載したジープから積荷を降ろす男たちの掛け声が背中から聞こえてくる。その様子を眺めながら、特にやることもないと頷いて手伝いを申し出たことに、メイフィルは内心少しばかり後悔をしはじめていた。
遠目で見ている限りでは、さも軽そうな動きで肩に担ぎながら船へと積み込んでいるように見えたそれらは、メイフィルの腕力ではとてもではないが持ち上げることは愚か引き摺るにも難儀するくらいの重さを持つ荷であった。
渡された荷袋は比較的軽いものであったとはいえ、そのまま地面に落としてしまい、赤い顔をしてうんうん唸っているメイフィルであったが、ここで諦めるのは彼女のプライドが許さなかった。
端から見ればどう見ても無理な手伝いだったが、メイフィルは何処からか錆びかけた台車を持って来て、その上にかろうじて載せた荷袋を懸命に運んでいた。
だが、皮肉なことにメイフィルの台車が船へと到着する頃には、その他の男たちの手によってあらかたの荷は積み込まれてしまっていた。
シャツに大きな汗の染みをつくったまま、メイフィルは感覚のない指を握ったり開いたりしながら船にもたれていた。加減をせずに力をこめていたために、掌は真っ赤になっている部分と真っ白な部分とがくっきり残ってしまっている。だんだんとひりつく痛みを感じてくる掌をじっと見つめるメイフィルの耳に、近づいてくる足音が聞こえた。
「お疲れさま」
顔を上げると、フィオラが白いタオルを差し出しながら微笑んでいる。
「ありがとうございます」
確かに汗まみれの顔のままでいるというのもみっともない。手の甲や腕で顔の汗を何度も拭うために、頬に泥がこびりついてしまっているところもある。
受け取ったタオルは、石鹸のいい香りがした。火照ってべたつく顔や首周りを一通り拭い終えると、それだけで随分と気分も落ち着いた。
「夕方には出発するんですよね」
「そうよ、貴女のほうは?」
タオルを首にかけ、肩の凝りをほぐすように首を回す。
「たぶん夜までにはラーシェンも帰ってくると思いますし……それから決めます」
「そうね」
フィオラもまた機体にもたれながら、空を振り仰ぐ。上空は気流が激しいのか、雲が渦を巻きながらかなり速い速度で西の空へと流されていく。
「ヴェイリーズから聞いたわよ、ご両親を探してるんですって?」
「……はい」
胸のうちの息を大きく吐き出し、メイフィルは一つ大きな伸びをした。
「行商人だったんです、うちの両親……だから、結構いろんな土地を転々としてたみたいで」
「そっか」
フィオラは何処となく寂しげな表情で頷き。
「頑張るのよ、しっかり生きてればそのうち会えるわ……」
「フィオラさんたちとも、ですよね?」
見上げてくるメイフィルに、フィオラは苦笑した。
「あら、こんな根無し草の生活に憧れてるの?」
冗談っぽく笑って見せると、メイフィルの瞳の光も少し和らいだ。
「メイが考えてるほど、楽しい生活じゃないわよ。私だって人並みの幸せは欲しいけれど、こういう身分じゃあそれも叶わないしね」
含みのある言い方を聞いているメイフィルの胸中に、一つの疑問がゆっくりと浮かんできた。
フィオラは、どうして地下組織に加わっているのか。
ヴェイリーズが強い反政府思想を持っているのは知っている。熱く語るヴェイリーズの言葉には、彼自身の持つ滾るような熱意と怒りを感じることが出来た。
しかし、フィオラがどうして力を貸しているのか。
だがそれを聞こうとしたとき、船から下りてきた一人の若者がフィオラに声を掛けてきた。
「あの、ヴェイリーズさんからの連絡、何かありましたか?」
「まだよ」
答えてから、フィオラ自身で何かを思い出したように眉をしかめる。
「今、何時?」
「四時を少し回ったところです」
フィオラの危惧はどうやら懸念では終わりそうにないようであった。
「どうしたの?」
「連れがいたでしょう、あの若い男。あいつが昼過ぎに見回りに出かけたんだけど、まだ何の連絡もないっていうのよ」
メイフィルはえもいわれぬ不安感を感じ、空を見やる。
先刻と同様の、まるで墨汁を流水に垂らしたような雲が彼方へと流れていく。
あの雲はヴェイリーズのことを知っているのだろうか。
否、もし空を舞う鳥がいるとしたら、その鳥はヴェイリーズの姿を今も見ているのだろうか。
「あのっ」
メイフィルは顔を引っ込めそうになる男を呼び止めた。
「ヴェイリーズさん、何かの乗り物に乗って出かけたんですか?」
「そうだよ、あいつの専用機があってさ、それで……」
「もしそうなら、それの識別信号を使って端末で追跡してみたらどうでしょう……?」
指摘され、男の表情が明るくなった。
「その手があったか……さすが嬢ちゃん!」
首を引っ込める男を見て、フィオラはメイフィルの肩を押し遣るように叩いた。
「ほら、あなたも行きなさい。それこそあなたの専門分野、なんでしょ?」
メイフィルが操縦室のドアを潜ってみると、既に中では数名の操縦士たちが端末に向き合っている。
「どうだ」
「だめだ、識別信号の反応はねえよ」
「じゃあどういうことだよ、反応がねえってのはおかしいじゃねえか」
口々に不安を打ち消そうと言い合いをする男たちの後ろで、メイフィルは意を決して声を掛けた。
「……あの!」
思いのほかに強く大きく響いたその声に、男たちが一斉に振り向く。
だがその視線に、拒絶の感情はない。
「どうした、嬢ちゃん」
「識別信号で反応がないなら、エネルギートレースでどうでしょう」
聞き慣れない言葉に首を傾げる男たちの間に割って入り、キーボードに両手を伸ばす。リズミカルにいくつものプログラムを起動させながら、メイフィルは呟くように説明した。
「航路が複雑な場所では使えませんが……つまりは飛行機体の推進エネルギーの追跡方法です……この数値が、ここを出発したときの機体の起動を現しますから……」
メイフィルの言葉どおり、ヴェイリーズが出発したと同時刻に観測された高いエネルギー数値がごく近くで観測されている。
その後、時系列を追っていくと、大体の方角と速度を割り出すことが出来る。
「識別信号はこれでは区別できないので、全てがヴェイリーズさんの機体だとすることは難しいのですが」
制止した画面の中の一行を、メイフィルは指差した。
「このエネルギー反応を境に、周囲数十キロ圏内の反応は消えています。この地点で、何かに巻き込まれた可能性がとても強いんじゃ、ないでしょうか」
自分の導き出した結論のあまりの不吉さに声を震わせながら、メイフィルは男たちと視線を交わした。