第十七章第二節<Assassin>
操縦桿を握りつつ、ヴェイリーズは足下から突き上げるような震動を感じながら周囲に視線を走らせていた。
夜明け近くにフィオラが見たという光について気になっていたヴェイリーズは、独断でこうして哨戒を行っていた。
武装と装甲を犠牲にした代わりにぎりぎりまで軽量化にこだわったこの機体は、その分低燃費で驚くほどの高機動性を誇るヴェイリーズの自慢であった。
全身を機械油だらけにしながらチューンナップに明け暮れたことによって、ヴェイリーズは機械、電気系統の技術を肌で覚えることができたのだった。だからこそ、これはヴェイリーズの操作を忠実に読み取ることができる上に、機体の癖もまた完璧に把握することができていた。
ヴェイリーズは低空飛行を続けながら、フィオラが目撃した方角の調査を肉眼によって続けていた。
だが今のところ、それらしき痕跡は一つも見つかってはいない。
荒れ果てた、生き物のいない死滅した大地。耕そうにも数十年数百年と風と嵐と集中豪雨によって土壌と名のつくものはあらかた削られ、岩盤が見渡す限り続く土地。激しい気温差は水分を瞬時に奪い去るため、地表において生命を繋いでいくのに必要なものが何一つない荒野。
さすがに落胆の色は隠せなかったが、それでもヴェイリーズはこの調査で何かを見つけられるとは思っていなかった。
何せ人工物相手である。
一つのところで停滞して作業をしているならともかく、上空の一地点で見た光を半日以上経った現在でもなお追跡できると思うほど、ヴェイリーズは楽観主義ではなかった。
今朝一番に調査をしていれば、とヴェイリーズは胸のうちで舌を打った。
メイフィルと出会ったときにしていた調整の仕事は、しかし日があるうちでしかできない仕事であったはずだ。そして、出発の時間まであと二時間。残り少ない時間の中、ヴェイリーズは焦りを隠せない。
あと一時間。いや、一時間半で切り上げる。
そう自分に納得させ、操縦桿をぐっと横に倒す。機体は軋み一つ上げぬままに大きく傾斜し、そのまま弧を描いて集落へと戻る航路に入っていく。
そのとき、操縦席を包む透明なドームをびりびりと震わせるほどに大きな電子音が鼓膜を貫いた。
顔をしかめつつも緊迫した表情でディスプレイに映し出される文字に目を向けるヴェイリーズ。レーダーはヴェイリーズの機体周辺に存在する識別信号を受信し、その目標が接近中であることを伝えていた。即座に警戒音を切り、システムを索敵に切り替える。
こうした場合、そして特に視界が悪い場合は目視だけに頼っていることは非常に危険であり、また無謀であるとも言えた。
接近中の機体は計三機。いずれも後方、もしくは斜め後方より追いすがるようにして近づいてきている。
だがその識別信号パターンを解析した結果に、ヴェイリーズは驚きを隠せないまま言葉を零す。
「<Dragon d'argent>だって……!?」
無論、この辺境の地に<Dragon d'argent>がいること自体が驚きであった。
付近にある辺境都市の港に<Taureau d'or>の船舶が停船しているという情報は事前に掴んでいた。それを追って来たのだとしたら、この場所はほどなく戦火に巻き込まれる可能性が強い。
だが、ひとまずは自分が<Taureau d'or>の人間ではないことを証明しなくては。
そこまで考えて、ヴェイリーズは一つの事実に突き当たった。
こうした民間の機体にすら搭載している識別信号解析装置は、当然ながら<Dragon d'argent>にもあるはずである。だとしたら、<Taureau d'or>の識別信号を持たない自分がどうして、追われることになるのか。
それについてヴェイリーズはすぐさま一つの仮説を導いた。
フィオラが見たと言う光は、本来<Taureau d'or>を追ってきた<Dragon d'argent>が巧みに隠蔽している駐留地であったのだ。それを知らずに、警戒宙域にまで自分が入り込んでしまったのだとしたら、納得がいく。
これ以上厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだとばかり、ヴェイリーズは発煙弾を発射した。
空中で点火し、白い煙を盛大に噴き上げるそれは、戦意がないことを示す信号の役割を果たしていた。
通常であれば、これによって身の危険を避け、出来る限り穏便な対処法を取るというやり方がセオリーであった。
例外とする根拠はどこにもない。ヴェイリーズ自身、それによって問題を解決させようとしていたのだが。
次なる警戒音は、機体がロックオンされたことを示すものであった。
「ちくしょうッ……どうなってやがる!?」
攻撃の意図がないと証明したにもかかわらず、撃墜に踏み切るということは、よほどの事態であった。
だが同時に、このまま甘んじて攻撃を受けて墜落される気は毛頭ない。時を置かずして鳴り響く攻撃発射と同時に操縦桿をへし折らんばかりの勢いで横に倒す。
発射されたミサイルは二発、ほぼ間違いなく追尾機能を持つものだろう。単純な回避行動で避けきれることが不可能であることはヴェイリーズもよく知っている。
翼に空気抵抗がかかり、軋みつつ急激な方向転換を続ける機体と同じ軌道を、ミサイルが正確になぞってくる。
このままでは追い詰められる、と読んだヴェイリーズは速度を一瞬落とし、その瞬間に後方に結界展開用の特殊弾を散布。これによって荘厳行者の浄三業にも匹敵する浄化を特定の空間に施すことが可能となる。
影響範囲内に突入したミサイルのうち一発は見事に追尾する際に必要なヴェイリーズの「業」を浄化されて失速。
だがもう一発のミサイルは範囲境界線ぎりぎりを突き抜けていまだこちらに迫ってくる。
こうした遮蔽物のない空間において、追尾式のミサイルから逃れるには卓越した操縦技術が必要となる。
頬を伝う汗を拭う間もなく、ヴェイリーズが最悪の事態を思い描いた、そのとき。
新たに追跡中の二機から放たれた装甲弾が翼を貫通した。強い衝撃が操縦席を襲い、ヴェイリーズは即頭部を強く打った。
だが眩暈を感じるよりも早く、エンジン部分にも被弾したためか黒い煙が後方から吹き上がっているのがここからでも見える。
機動力が落ちている今、あのミサイルの直撃を受ければ命はない。迷う暇はなかった。ヴェイリーズは座席下にある緊急脱出装置のボタンを押し込み、次の瞬間、操縦席は機体から切り離され、中空へと射出された。
パラシュートによって着陸したのは、やはり地平線の彼方まで続く荒野の只中であった。
しかしその選択が正しかったことを示す黒煙は、いまだに大きなクレーターの中央から噴き上がっている。脱出後から十二秒後、機体はミサイルの直撃を受けて空中で爆発を起こし、無数の破片となって四散したのであった。
もしあの中に乗っていれば、如何にヴェイリーズがChevalierであろうとも生き残ることは不可能であった。
いまだ痛む頭に手をやってみると、指先にぬるりとした感触があった。
見れば右手の指先はべっとりと血で濡れている。被弾した際に頭を打ったときの傷であろうか。シャツの袖を破き、とりあえず額に止血帯として布を巻き、さてこれからどうしようかと思索を始めようとしたときであった。
ヴェイリーズの感覚が、微細な足音を捉えた。
何者かがこちらに向かってやってくる足音だ。
身を隠す岩場のようなものは何もない。近づいてくる者が見えないのは、辺りに立ち込める砂嵐のせいだ。遥か上空に立ち上る黒煙は見えても、肝心な相手の姿が見えぬという状況は、まさに皮肉と言ってもよかった。
包囲されている様子はない。だが視界が確保できぬままに下手に動き、相手の警戒を煽っては何もならぬ。
意を決し、ヴェイリーズは拳を軽く握ったままその場で姿が見えるようになるのを待つ。
足音はおぼろげな人影となり、次第に輪郭が分かるようになる。
近づいてくるのは、パイロットスーツに身を包んだ男たちであった。砂嵐から顔を守るヘルメットをつけているために、表情をうかがい知ることは出来ない。
だが相手はヴェイリーズの姿をしっかりと発見しており、数メートルの間合いを取って足を止めた。
「君たちは誰だい?」
ヴェイリーズの問いかけに、男の一人がヘルメットを外す。
下から出てきたのは、鷹のような鋭い瞳を持つ男の顔であった。ヘルメットを脇に抱えたまま、ヴェイリーズをひたと見据える。
「お前は我等の警戒宙域を侵犯した。よって捕虜となってもらう」
「ちょっと待ってくれ、僕は君たちに狙われるようなものは何も……」
きり、と何かが軋む音がした。
ヘルメットを脱いだ男の両脇にいるスーツ姿の男たちは、見れば腰に細い女性の腰ほどはありそうな、無骨な装備品を携行していた。
音はどうやらそれから発せられたものであるらしかった。
砂地をブーツで踏みしめる音をさせながら、二人の男がヴェイリーズへと近寄る。何をするつもりかは分からぬが、二人から発せられている気配は紛れもなく殺気であった。捕虜、とあの男は口にしたが、どうやら人道的な扱いを期待するほうが間違いなようだ。
「抵抗するようなら命の保証はできん、繰り返す、お前は我等の……」
「もしかして、僕を……殺すつもりかい?」
ヴェイリーズは直前まで撓めていた殺気を解放。
それは凄まじい奔流となって二人を押し包む。
Chevalierの発する殺気はいとも容易く常人の神経を支配し、困惑させ、麻痺させる。これで二人の戦意を喪失させることを狙ったヴェイリーズだったが、この異様な状況は彼の判断力を大きく狂わせていた。
二人はどちらも、厳しい訓練を受けた戦闘要員だった。
ヴェイリーズから射出された衝撃のような殺気を受け、動きを止める間もなく腰に吊った装備品へと手をやる。
何かの攻撃が来る、と感じたヴェイリーズは咄嗟に腕の筋肉を硬化させ、肘を内側に向けて防禦の姿勢を取った。
手首をひねることで静脈をガードしたその瞬間、ヴェイリーズの腕に凄まじい衝撃が伝わる。
肉体戦闘では決して引けをとらぬヴェイリーズの表情が、苦痛に激しく歪む。
いつの間に手にしていたのか、二人の手には抜き身の刀が握られていた。それらはしっかりと刃をヴェイリーズに向け、斬撃を放っていたのだ。
だが刃は肉を断つことなく、ヴェイリーズの腕の皮膚一枚を裂いただけでしっかりと防禦されていた。
「なんと……?!」
狼狽の表情を見せる、その一瞬をヴェイリーズは見逃さなかった。
流水のような動きで一歩を踏み出したヴェイリーズは、そのまま二人の男の腕の腱、頚動脈、脊椎を同時に指突で破壊。
だがその攻撃も、先刻の刀を受け止めた衝撃で痛めた腕では六発が限界であった。
二人の剱士の命を断った瞬間、ヴェイリーズの背後に回りこんでいた者が同じ斬撃を叩き込む。
だが今回は刀を返したことによる峰打ちであった。
「ぐ……ッ……」
急速に薄れ行く意識の中、ヴェイリーズは最後にポケットにしまい込んだままのクッキーのことを思い出していた。