間章ⅩⅥ<魔の中枢>
かつてモルガン、ヒュー、バルドヴィーノが通された謁見の広間を進む人影があった。
時刻はとうに夜半を過ぎており、広間は無論のこと廊下にさえも人の気配や物音などは一切ない。ただ、絶え間なく揺らぎ続ける絹布の迷宮を、音もなく歩を進める男がいた。
一分の乱れもなくタイを締めた初老の紳士、アルベルト・ガードナー。
時折床を突くステッキの音だけが、刻々と姿を変える迷宮の中に響き渡る。
三人が膝を折り、頭を垂れた地点を過ぎてもなお、足音は続く。もうすぐ目の前に、壇上へと続く階段は近づいている。アルベルトはふと顔を上げて壇上を見やり、さらに一歩を踏み出したときであった。
空気を孕んだ絹布の狭間から、幽鬼のように生み出された影の寵児が姿を現した。
どの人影もが目深にフードを被り、まるで僧院の修行僧のように顔を隠している。一つだけ大きく違う点といえば、人影の手には自動小銃が握られていることであった。セミオートで大量の弾丸を解き放つそれは、アルベルトの周囲を取り囲むようにして突きつけられていた。
「それ以上、近づくことは許さん」
安全装置は解除されている。さらに、単に武器を突きつけて包囲をしているのではないことまでも。
もし、目標を挟んで直線状に相対したならば、弾丸を発射すれば相打ちになることは自明の理であろう。
それを避けるため、位置を動かずに銃を撃つこと、そして軸をずらして包囲することを瞬時にやってのけた彼等は、そうした荒事には慣れているであろうということは容易に想像できた。
「おや、私のことを、ご存知頂けていませんでしたかな?」
「それとこれとは話が別だ」
別の男がぐいと銃口を突きつける。
「尊主様のおわします玉座に無断で足を踏み入れるなどの行為、如何に貴殿であろうとも許すことはできん」
「おやおや、これは奇なることをおっしゃられる」
計五つの銃を突きつけられてなお、アルベルトの声には緊張による乱れはなかった。
「こちらが玉座とは……私はてっきり、宝物庫か何かかと思っておりましたがな」
「黙れ!!」
男たちの怒声に感じられる緊張は、今にも切れんばかりになっていた。
このまま引き下がったとしても、男たちはただでは帰すまい。
そもそも、アルベルトには引き下がるという選択肢を考慮には入れてすらいなかったのだが。
こつ、とステッキで床を打ち、アルベルトは改めて背筋を伸ばした。
「撃てますかな、私を」
答えは言葉ではなく、銃声によってもたらされた。
引き金が絞られた途端に、銃口から無数の弾丸が直線軌道をもってアルベルトへと襲い掛かる。秒速250mの狂気がアルベルトに向かって放たれたその瞬間、誰もが長衣に降り注ぐアルベルトの鮮血を予想した。
苦悶の声を上げるよりも早く、そして筋肉が緊張するよりも速やかに、弾丸はアルベルトを打ち抜くであろう。全身に与えられる凄まじい着弾の衝撃はアルベルトの骨格すら砕き、立ったまま肉の塊へと変貌させられていくであろう。
だが。
彼等の耳に届いたのは、奇妙な摩擦音。
やや俯いたまま立ち竦むアルベルトから聞こえてくるその音は、一体何を意味しているものか。止むことなく何かが擦り付けられ続けている音に重なるようにして、声がした。
「首尾はどうでしょう……撃てましたか?」
アルベルトの声であった。
一斉に狼狽の色を見せる男たち。
無論、この至近距離から密集して銃撃を放ち、生き残れた者など普通に考えているはずもない。驚きに表情を引き攣らせるのも、無理はなかったが。
「あなたたちは、本当に、L.E.G.I.O.N.の名を持つ者ですか」
アルベルトの声には深い落胆と苛立ちが含まれている。
この程度のことで驚いているようでは、酒場のごろつきと大差はない。銃火器からの絶対防禦が不可能であると思えるのは、銃火器を単なる物理攻撃の道具としか見ていない所為であった。
もう一つの、すなわち呪術的側面から銃火器のシステムを把握していれば、そこに自ずと抜け道は存在する。
つまり、攻撃する側が発射する銃弾は、攻撃する側の意志、それも強い攻撃的呪詛が込められた媒体となる。さらに、それが高速で打ち出されるということは、呪詛と物理衝撃の双方の属性が同一の弾丸に込められ、総合して破壊をもたらす。
銃火器の威力が強いのは、属性が二つあるということだ。
仮に弾丸を避けるだけの機動力があるとしても、呪詛に絡め取られてしまえば回避は失敗し、結果として弾丸の命中精度は上がることになる。また、魔術障壁によって呪詛を打ち消したとしても、術者の肉体に及ぼされる物理衝撃は微塵も緩和されぬ。
だが、もし防禦側に、呪詛を大きく上回るだけの魔力があったとしたら、どうだろうか。それも、物理世界にまで干渉しうる、例えてみれば剱撃などから身を護る障壁が構成されるだけの呪力があったとしたら。
摩擦音の正体は、アルベルトの礼服の表面で回転する銃弾によるものだった。
着弾は成された。だが、強力な魔力によって護られたアルベルトの肉体を、弾丸は打ち抜くことは出来ぬ。
「もう夜も遅い……あなたたちもおやすみなさい」
声に言霊が上乗せされ、呪詛返しが発動する。
呪詛を源とした運動エネルギーが弾丸に付与され、弾丸は発射時と全く同じ軌道を描いて動き出す。
違うのは、弾丸は銃口に収まるのではなく、発射した男たちの眉間と左胸を正確に貫いていたことだった。
次々に倒れる男たちに一瞥もくれずに階段を上がるアルベルトは、壇上にかけられた最後の絹糸を乱暴に手で払った。
その奥にあるものは、男たちの言葉にあるような玉座ではなかった。
アルベルトの口髭が動き、顔に笑みが湛えられる。
「L.E.G.I.O.N.には、その名に相応しい力を持っていただきましょう……そのための我等、十二の神将なのですから……」
透明な水晶のケースに安置されていたのは、一枚の光学ディスクと、そして一振りの美しい宝石のような剱だけであった。