第十四章第二節<Choir of Sagittarius>
「あぁん?」
ひどく不機嫌な顔をして、居酒屋の店主はぎろりとこちらを睨みつけてきた。鼻の頭や頬は紅潮し、明らかに酔っている店主に対して、眉一つ動かさずに、セシリアはもう一度、明瞭な発言で質問した。
「この男に見覚えはないか、ご主人?」
だが、今度もまた、セシリアの言葉にかぶさるようにして、カウンターから男が注文の声を上げた。
客とセシリア、両者との距離を比べれば明らかにセシリアに寄っていたにもかかわらず、店主はわざわざ男の元まで歩み寄り、棚から酒瓶を出してカウンターに置く。その対応に、セシリアの横にいた若い士官が頭に血を上らせた。
「貴様……ッ」
「やめなさい」
右手を伸ばし、士官の胸の前で制止させたセシリアは、深く息を吸い込むと、もう一度店主のところへと近づいた。
店主は接客をしているため、自然と客との距離も縮まるようになる。ショットグラスを摘んでいた客は、充血した目で胡散臭げにセシリアを見上げる。その視線の気づきながらも無視し、口を開く。
「ご主人、こちらの店で見たことがある、という情報があったので聞いているのです。この写真の男を……」
「お嬢さん、あんたは軍人だな」
「質問に答えろ!!」
耐え切れなくなった士官が、店主に怒声をたたきつける。しっかりと気合の込められた一喝であったが、当の店主は涼しい顔だ。街にうろつくごろつき相手になら効いたのかも知れないが、年の功がものを言った。
「言っとくがな、坊主」
先刻、セシリアに向けた視線をそのまま、店主は士官に向けた。
「俺たちは軍隊ってのが大嫌いなんだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い……誰がてめえら軍人に協力すると思ってやがる?」
「……私たちの言葉遣いに、気に障るところがあったのなら、謝罪します」
「そういうことを言ってるんじゃねえ」
かぶりを振りつつ、店主はグラスを一つ手に取る。
「<Tiphreth>くんだりじゃあ、てめえら見ただけで震え上がって何でも言うこと聞くような奴等が多いんだろうけどよ?」
グラスに酒を注ぎ、一気にあおる。喉を焼く強い刺激に顔をしかめ、店主はゆっくりと息を吐いた。
「ここいらじゃあ、俺たちは持ちつ持たれつの世界なんだ……その男が何者かも知らねえけどよ、この店に来たことがあるってんなら、そいつは俺の立派な客だ。俺は客を売るような真似はしねえ」
いつしか、店内は静まり返っていた。
セシリアに向けて切られた啖呵に、客の一人が甲高い口笛を吹く。
それを皮切りに、にわかに店内に活気が戻ってくる。だがそれは、セシリアたちには歓迎すべき雰囲気ではなかった。途端に騒がしくなる店内にかき消されるような声で、店主は続けた。
「だからよ、お嬢さん、俺はたとえ知ってたって、あんたらには何も言わねえよ」
これまで、こうした対応をされたことがなかったのだろう。
完全に当惑した士官の肩を叩くと、今度はセシリアが溜息をつく。
「わかりました……お時間を取らせましたね」
「おうよ」
くるりと踵を返し、セシリアは出口へと向かう。あれだけの侮蔑をこめた拒絶をされ、なお怒気の片鱗も見せずに立ち去るセシリアの背中から感じられる気品に、客は誰一人、野次を飛ばすことは出来なかった。
店をあとにし、往来に戻ってきたセシリアに、店内ではずっと耐えていた士官が飛びついてきたのは、当然の成り行きだった。
「どうして、どうしてあんな男に言わせておくんですか!?」
声が震えている。恐らく、自分の判断基準としては我慢できる限界を超えていたのだろう。
それとも、自分が持っていた軍人としての誇りを踏み躙られたのだろうか。だが、あの男の言葉は乱暴ではあったが、さほど間違っているとはセシリアには思えなかった。
「いいのよ」
「お言葉ですが、セシリア中将殿!」
「……ここでその呼び名はやめなさい」
「お言葉ですが、自分には理解できません!」
「いいのよ、ここでは私たちが……」
「セシリア中将殿!」
聞き分けのない子どものように繰り返す士官に、セシリアの忍耐が限界に達する。
「やめなさいって言ってるでしょう!」
乾いた音が響く。
頬を張られた士官は、顔を押さえたまま、セシリアの顔を見つめていた。
感情を必要以上に出してはならない。
それは君にとって得になることではないぞ。
所詮は女、と足下を見られることになる。
かつてのセシリアの上官の言葉が、胸中に沸き起こる。
おかしい。どうかしている。
この程度のことが、流せない私ではなかったのに。
何かを持て余している。理解できない感情が、まだどこかで渦を巻いている。
そうだ、あの写真だ。私のどこかで、あの少年のことを、ずっと考えている。
<射手座宙域の聖歌隊>事件。
それは、<Taureau d'or>のみならず、ほとんどの者の記憶に残る、そして好ましからざる刻印であった。
時は八年前へと遡る。当時、L.E.G.I.O.N.によるものと思われていた被害が乱発した時期、<Taureau d'or>の軍部は一つの惑星にL.E.G.I.O.N.の組織が潜伏している、という情報を掴んでいた。
衛星軌道上からの撮影、諜報員の派遣、占者の千里眼、幻視によってもその惑星にL.E.G.I.O.N..の勢力がいることは事実であった。
だが、場所の特定までは不可能。巧妙に隠された潜伏先は、<Taureau d'or>に存在の一端をも掴ませるような隙を見せなかった。
これ以上の詳細な情報を得るには、多少強引な手法を採るしかない。しかし、派手に動けばこちらの存在を知られてしまう上に、逃げられる可能性も出てくる。
そして、<Taureau d'or>軍部は、一つの決断を下したのだ。
衛星軌道上にある輸送船を一機、自らの攻撃で撃墜。それをL.E.G.I.O.N.によるものとして発表し、惑星に総攻撃を仕掛けたのであった。
文字通りの、それは総攻撃であった。
惑星全て、いや地殻表面のみならず地下層350メートルまでを完全に焦土と化す攻撃。さらに付け加えるなら、逃げる隙を与えない電撃作戦によって行う。
それだけの基準を達成できる兵器に、選択肢など有ろうはずもなかった。
開発途中のM.Y.T.H.の使用許可を、当時の軍部最高司令官は下した。
攻撃属性は、基督教系列の召喚式。
異界の扉を開き、出現したのは、紅蓮の炎と鮮烈な光を宿した巨大な有翼車輪。天使位階でも上位に位置する、第三位階の座天使であった。
大規模な召喚儀式と同等の干渉によって生み出された天使たちは、惑星に向けて容赦のない攻撃を開始する。その結果は、666秒後には天使から放たれたエネルギーが惑星の地表の75%を融解させるほどに激烈であったと記録されている。
これにより、L.E.G.I.O.N.の組織は壊滅的な打撃を蒙ったかに見えた。
しかし、その後も時をおかずしてL.E.G.I.O.N.と思われる犯行は続く。
そして軍部が最も恐れていた顛末が、この後には準備されていたのだ。この事件を奇跡的に生き残った者の中に、輸送船を撃墜したと思しき人間を目撃したとの情報を持つ者がいたのだ。
完全に虚を突かれた軍部がその事実を知る頃には、既に星団世界のマスコミはこぞってそのニュースに喰らいついた。この事件で家族を失った者たちは<Taureau d'or>に事実の公表と誠意を求めたが、軍部は責任を一人の人間に押し付けることで沈黙を続けただけであった。
これにより、第五騎士団<星彩青玉>元帥は軍部を去り、現在の大将位の人間が後継者としてその地位を継ぐこととなる。
「……セシリア様……?」
士官の声が、遠く聞こえてくる。
はっと我に返るセシリアの耳に、同時に雑踏の気配が飛び込んでくる。考え事に没頭してしまっていたセシリアは、それまでの追憶を振り払うように頭を振った。
「なんでもないわ……一度船に戻りましょう」
士官のそれ以上の追及を避けるため、セシリアは早足で歩を進め始めた。