間章ⅩⅢ<刺客>
<Chesed>警戒区域を航行している呪的戦略艦<ハトホル>。
船体に取り付けられた巨大な反射板が特徴的な艦であった。搭載されている魔術的兵器は標準的なものであったが、その真骨頂は領域支配と対抗呪術にあった。戦闘宙域をほぼカバーできるだけの範囲における因果律を支配し、特定の流派の魔術兵器を無効化する付加魔術を得意とする艦であった。
その能力は、戦闘時においては脅威となる。搭載できるだけの装備のある艦が少ないということだけが救いであるが、それでも一つの艦の及ぼす効果としてはトップクラスに入る。
そして<ハトホル>の持つもう一つの能力が、対抗呪術。
ひとたび行使された魔術的兵器の効果は、既に通常の戦略兵器の概念では推し量れない領域にある。
単純に効果範囲を離脱すればいいと考えられるが、使用回数が制限されている魔術的兵器の威力は、使い道によっては戦況を覆すほどの威力を秘めたものなのだ。広域を射程範囲に持つ魔術的兵器の効果範囲からの離脱は、事前に察知していなければ事実上不可能である。
そうした、驚異的な威力を持ち、また行使する側にあってはその一度の好機に勝敗を掛けている魔術的兵器の効果を、大きな反射鏡によって打ち返すというものであった。
対抗呪術の恐怖はそこにあった。己の放つ力が大きければ大きいほど、それから身を護る術は少なくなっていく。そしてまた、防禦手段が講じられている一撃は、相手にとっても致命的なものではない場合が多い。
即ち、<ハトホル>が戦略的に配置されていれば、その部隊は存在自体が脅威となることは間違いがなかった。
そして、それ故、大敗を喫した<Dragon d'argent>のそれ以上の抵抗を防止する目的で、<Taureau d'or>は一隻の呪的戦略艦を派遣していたのだ。
だが、今、<ハトホル>は、たった一人の男によって、壊滅の危機に瀕していた。
艦内の通路を慌しく、武装したクルーが走り抜けていく。
手にした銃火器の威力を最大限に使用すれば、航行中の艦に致命的な損害を与えてしまうことから、自分たちは満足な抵抗手段を持ってはいない。
そうならないために至急された実剱は、この状況では棒切れも同然であった。その理由は、赤く点滅する廊下の彼方の暗がりから、こちらに悠然と歩み寄ってくる男を見れば、一目瞭然であった。
腰まで届く長髪。そして、身を包む深緑の長衣。およそ艦内にいる人間の服装としては不釣合いなその男の手には、抜き身の剱が握られていた。一般的な長剱よりも細く、そして鋭く、かすかな反りのある剱。
男はさもつまらないとでもいう風に眉を寄せ、通路いっぱいにひしめき合いながらも、じりじりと後退していく乗組員を一瞥する。
「貴様等に用はない……艦長を出せ」
「そ、そんな用件が聞けるわけがないだろう!!」
震える声で、一人が声を張り上げる。その動揺を情けないと笑う者は、そこにはいなかった。
何故なら、彼を除く者は皆、男の持つ異様な気配に立ちすくんでいたのだから。
「貴様、ど、どうやってここに……」
その問いは、口にはしないまでも、誰しもが抱いているものであった。
何故なら、<ハトホル>は<Dragon d'argent>の動向を警戒し、広域に探査用の方陣を展開していたのだから。
その宙域に抵触する艦船を<ハトホル>が見逃すはずはなかった。
ならば、何故。
「重ねて忠告しよう、我が名はバスティアン・フォーゲラー」
バスティアンは一歩を踏み出す。
その動きに反応し、銃火器が向けられた。そう、実剱が届く間合いに踏み込むだけの余裕が、彼等にはなかったのだ。
「我は<秘儀の王冠>を所望せり……汝らの艦長に、鍵の所在を問う」
びくり、と緊張が走る。
まさか、まさかこの男が。緊張の糸を張り詰めさせたまま、精神が激しく揺さぶられる。
そして、また一歩。
「う、うあぁあああっ!」
意味を成さない声を上げ、一人がトリガーを引き絞った。自動小銃から繰り出される弾丸が直線軌道で襲い来る。
その行動が、全体の秩序を掻き乱した。まるでトリガーを引けば、眼前の男の幻が消え去るとでも言わんばかりに、次々に弾丸が射出される。
「……愚かな」
バスティアンはとん、と床を蹴ると、奇妙な曲線軌道で男たちに肉薄する。
ひ、と誰かが引き攣った悲鳴を上げた声が聞こえる。
そして。
気圧式のドアが開き、ブリッジへ続く空間が開放される。
その音に、艦長をはじめとした操縦士らが一斉に振り向く。ドアの向こうには、壁面を天井に至るまで血で染め上げ、そして己は一滴の返り血も浴びずに立つ、悪夢の姿があった。