第十三章第二節<Hermitage in bamboo>
蒼い空を覆い尽くさんばかりに茂る竹林。互いに重なり合い、そしてまるで衛兵が突き出す鋒のように、中空にて交錯する深緑の刃。
そのうちの一振りが、おりしも吹き抜けていった薫風にあおられ、ついと宙を舞った。くるくると回転しながら虚空に投じられた緑の剱は、軽くしなりながら右へ左へと行過ぎる。
まるで目に見えぬ踊り手によって操られているようなその舞いは、しかし唐突に中断された。竹林の傍らに伸びる道を進んできた黒塗りの車のフロントガラスに張り付き、そして無常にもワイパーによってかなぐり捨てられた。
走ってきた車は二台。そのどちらもが、ほどなく竹林の中に見えてくる檜皮葺の兜門の横で停車する。
下りてきたのは、黒いスーツに白いカッターシャツを着込んだ無個性な男たち。誰もが同じ服装と髪型、そして目元を黒眼鏡で隠し、己の容姿を極端に隠蔽した男たち。彼等一人一人の相違は身長くらいのものだったが、身長だけで人間の区別をすることなど不可能だ。
濡れた香りを放つ黒土を革靴で踏みつけながら、彼等は竹林の兜門を潜り、先へと急ぐ。
雨が降った記録はない。しかし、茂みの緑もまた露を結んでいるということは、恐らくここの主が打ち水をしたのだろう。
石畳を進んでいくと、その先に大きな間口の玄関が見えてくる。
とはいえ、ここの作りが一般の住居や邸宅と大きく違っている事は、一目で知れよう。
黒の竹簀子、白い障子、そして程よい影を作る庇。そのどれもが、今では何処にも見られぬ様相と雰囲気を醸し出していると言ってもよかった。
男の一人が足を止め、スーツの上着のポケットから携帯式の通信機器を取り出し、回線を開く。
「庵に到着した、これより接触を図る」
手短な言葉で用件だけを伝え、回線を閉じると、男たちは誰ともなく視線を交わし、そして頷く。そして、道を外れ、脇へと回り込んだ男たちは、ふと動きを止めた。
奥へと続く襖は開け放たれ、そして茶室に静かに坐す人影が見えたからであった。
朱鷺色の打掛姿の人影は、女性であった。漆黒の髪を後ろで一纏めにして結い、茶室にてただ何をするでもなく、静かに坐している。
一度は躊躇った男たちだが、己の任務をすぐに思い出し、そして気を取り直し、口を開く。
「どなたですか」
だが、先手を制したのは女のほうであった。
ついとこちらを向き、張りのある声で放たれる誰何の声は、男たちの意気を制するには充分であった。
「……我等は<Dragon d'argent>八咒鏡師団である」
「ほう……?」
振り向いた女は、しかし奇妙なことに目を閉ざしたままであった。
「軍の人間が、どうしてまた?」
「貴女を<天剱>アンジェリーク・カスガとお見受けするが」
「如何にも」
首肯する女。だが瞳は閉ざしたままだ。
「L.E.G.I.O.N.の軍事介入が本格化の兆候を見せている。師団長クレーメンス・ライマンの嘆願書を持参した」
くすり、とアンジェリークは笑みを漏らした。
「そのような嘆願書、目の見えぬ私には何の力もありませんよ」
手元に置かれた茶器に手を伸ばし、緑茶を啜る。その動きからは、アンジェリークが盲目であるということは想像もできぬ。それほどに無駄がなく、自然な、流麗な所作であったのだ。
しかしたとえアンジェリークが盲目でなかったとしても、その瞳は閉ざされたままなのだ。視覚を持つ者にはない、他の鋭敏な感覚によって、世界を捉えているのだろう。
「して、要件は?」
理解していつつ、改めて問う。
「我等にご同行願いたい」
「お断りします」
アンジェリークの返答は早かった。
「師団長の嘆願とあってもか」
「たとえ評議院長が直々に足を運んだとしても、私の返答に変わりはありません」
つまりは、自分たちの地位を判断して、足下を見ているのではないということ。
アンジェリークは口元に称えた微笑を崩さずに囁いた。
「あなたたちは知らずとも無理はありませんが……ライマン殿は私が断る理由をご存知です。戻ってお伝えなさい。私はもう、軍の為に剱を振るうことはありません、と」
「しかし、それでは……」
狼狽する男たち。
無理もない。こちらはL.E.G.I.O.N.と思しき勢力の介在によって、将を二人失い、そして多大なる損害を蒙ったのだから。
もし今後、妨害や戦闘が本格化したとして、まともに遣り合える相手ではないことは明白であった。だからこそ、手元に揃えておきたい手札は強くなくてはならぬ。
それくらいのことは、いちいち知らされずとも、充分に理解できている。
「案ずるには及びません。今の<Dragon d'argent>には、L.E.G.I.O.N.に対抗するに足るだけの力は充分に持っております」
アンジェリークは優しく諭すようにそう伝えると、はじめて顔を男たちから逸らした。こうまで断定的に、そして揺らぎのない意志を持って断られては、男たちにはどうすることもできない。
これが一般の人間であれば、新たな選択肢として、強引に拉致するというものも考えられるかもしれないが、相手が悪すぎる。何せ、相手は星団世界でも有数の<天剱>と呼ばれる存在だ。その力を目の当たりにしたことなど一度もないが、だからといって噂が全て世迷言であるとも言い切れぬ。
沈黙を宿した逡巡ののち、男たちは庵を後にした。