第十三章第一節<Three sacreds>
フェビアン中将、グレゴリー少将戦死の報は、<Dragon d'argent>首都「天磐戸」を動揺に追い込んでいた。
「この度の<Taureau d'or>との戦闘行為は、如何なる判断において成されたものなのか」
凛と響く声が会議室に響き渡る。
「両将校が亡き今、総指揮権限をお持ちの貴官に問いたいと思うのだが?」
発言者である国土管理大臣の追及の視線は、ただ一人の男に向けられていた。
天叢雲剱師団長、ジークルド・ツヴァイク。
枯草色をした軍服に身を包んだ四十を前にした男は、勇壮な顔立ちをしていた。漆黒の瞳を抱く眼差しからは強い意志が感じられる。一分の乱れも無く締められたタイや、ぴんと伸ばされた背筋などからは、己を律する厳しさが伺える。
軍部の上層に己を置きながら、一切の腐敗の気配を感じさせない男であった。
机の上で指を組みつつ、じっと大臣の視線を受け止めていたジークルドは、ややあってから口を開く。
「国土管理大臣殿は、いまだ戦況報告の書類をご覧になられてはおられないようだな」
大臣ほどの人間が、事前に提出されている関連書類を見ていないと言うことなどは通常、考えられぬ。それを承知の上で、ジークルドはこれで十回を超える同じ質問への返礼とし、ジークルドは続けた。
「今回の我等の行動は戦略行動ではなかった。その大前提の下で、判断をしていただきたい」
<Taureau d'or>所属船舶からの攻撃を受けて撃破された戦艦の報告を、<Dragon d'argent>とて鵜呑みにしていたわけではなかった。
しかし、記録には紛れもない事実として残されている。
疑問を解決できぬまま、<Taureau d'or>への通信を放ち、そしてまた時間の猶予を明記する。
だがその猶予は自らの判断決定のためのものであり、何等報復行動を想定したものではなかった。
無論、<Taureau d'or>からの攻撃などにおいてもまた、最低限の警戒態勢しか取っていなかったのだ。
予想を違わず、<Taureau d'or>から向けられたものは哨戒機であった。
その行動に胸を撫で下ろしつつ、<Dragon d'argent>は交渉行動へと移ろうとしていたのだ。
「ともあれ、最初に攻撃を放ったのは、<Taureau d'or>でも、ましてや我々でもないということを、大臣はご存知か」
ジークルドの発言の内容は、既に幾度と無く確認されてきたことでありながら、やはり会議室の空気を不穏な旋律によって揺さぶった。
「何だと?」
その中で一人、大臣だけが不審な表情でいぶかしんでいる。どうやらこの男は、本当に書類を見ていないらしい。
これまでの、分かりきった答えを繰り返させて陰湿な攻撃をしてくる官僚どもにも辟易していたジークルドであったが、この男は別の意味で無能であるようだ。
「戦闘宙域に、全く第三者の転移行動が行われたことが確認されているのだよ」
ジークルドは居並ぶ官僚たちに顔を向ける。
「しかしそれは無人の哨戒機だったのだろう?」
頭髪のほとんどを失った、顔を脂で光らせた官僚の一人が口を挟む。
「それならば自軍の哨戒機を破壊し、それを口実にして……」
ジークルドはこめかみに疼くような頭痛を感じ、顔をしかめさせる。
これだ。自分の立場からしか物事を把握できない、もしくは自分が安全な位置にいながら状況に関わろうとする態度。誰も彼も同じような、矮小な保身をのみ考える、愚かな人間たちに、ジークルドは手元にあるファイルから一枚の写真を抜き取り、それを投げた。
机の上をくるくると回転しながら向かってくる一枚の写真を受け取った大臣は、その不明瞭な映像に一度眼鏡を外し、目を凝らす。
「これは……何かね?」
「監視衛星からの定期撮影の一枚だ」
漆黒の宇宙空間の中に、ぼんやりとした白い影が映っている。横に長く、左右に張り出したものと中央にくねるものが確認できる。その奇妙な影の正面には、紛れもない哨戒機が見えるのだ。
「この、影は……」
「分からないか? それがまさに、哨戒機を破壊した張本人なのだ……そのような形状の機体を<Taureau d'or>が開発しているとでもお思いか?」
哨戒機を破壊されて狼狽したのは、<Dragon d'argent>であった。何しろ、こちらは戦闘する意志が全くないにもかかわらず、第三者によって唐突に宣戦布告行為とも等しい行動をとられてしまったのだから。
哨戒機をこちらの宙域で破壊されたという事実は、<Taureau d'or>に対する先制攻撃を意味する。
すなわち、<Dragon d'argent>は何者かの手によって、選択肢を奪われてしまったのであった。当然ながら、哨戒機を破壊された<Taureau d'or>は軍勢を転送してくるだろう。猶予を突きつけたことと哨戒機を破壊したことを結びつけて考えれば、言い逃れができない立場に追いやられたのはこちらの方であった。
それから数分後、テス回廊から大質量の転送が連続する波長を確認した<Dragon d'argent>は、絶望の満たされた深淵に突き落とされることになる。
完全に戦闘を目的として転送されてくる戦艦群を前にして、彼等に出来る事は唯一つ。
それが正しいのか間違っていたのか、そんなことは問題ではなかった。軍として、<Dragon d'argent>としての行動ではなく、人間が持つ生存本能による反応。
即ち、実体化地点への考えうる限りの総攻撃であった。
しかしそれも、各艦船が装備している対光学兵器結界に阻まれ、満足な成果を上げることはできなかった。
そしてついに、<Chesed>宙域に姿をあらわした<Taureau d'or>騎士団。
その剱を向ける先には、容赦と慈悲の心を向けようはずもなかった。
「理解していただけたか……? 今回の戦闘行動は、哨戒機を破壊した第三の勢力によって、意図的に引き起こされたものであるということだ」
第三の勢力。
敢えて直接的な表現を避けたその言葉に、それまで黙していたもう一人の男が腕を組んだまま、瞼を開けた。
「L.E.G.I.O.N.……だな?」
男の目は、しかし左側しか開かなかった。何故なら、軍人らしからぬ乱れた前髪の奥の右の眼窩は、引き攣れたような無残な傷跡によって、塞がれてしまっていたからであった。まるで影のように、ひっそりとした雰囲気を宿していたその男は、珍しい白銀の髪の向こうから剃刀のような視線を放ったまま、呟く。
八咒鏡師団長、クレーメンス・ライマンであった。
「きっ……君、その名を軽々しく口にしては……」
「そろそろいい加減に認めろ」
ジークルドとは対照的な、乱暴な口調でクレーメンスは躰を起こした。だらしなく緩められたネクタイは胸元に垂れ、開かれた襟の奥には浮き出た鎖骨と白い肌が見える。
「L.E.G.I.O.N.は存在する、そして俺たちは奴等の尻尾も掴んじゃいねえ……あいつらは惨敗した俺たちを見て、せせら笑っているのさ」
「ライマン大将ッ!」
たまりかねた官僚の一人が、怒声を張り上げる。
「これ以上、軍法会議を愚弄するというのなら……」
「なんだ……貴様」
ゆらりとクレーメンスの気配が変調する。
「貴様等が首都でのらりくらりしている間、こっちは躰を張っている……それに文句を言われる筋合いはない」
がたり、と大きな物音がした。クレーメンスの視線を受けていた官僚の一人が、拳を震わせて立ち上がったのである。
それを腕を組んだまま見上げているクレーメンスの唇が、小さく動いたときであった。
「やめろ。準戦闘行為は有事を除いて禁止行動のはずだぞ」
制止に入ったのはジークルドであった。
その言葉と共に、クレーメンスの唇の動きが止まる。そのまま、両者が睨みあう時間が過ぎていき。
先に視線を外し、場の緊張を解いたのはクレーメンスであった。
「ジークルド、これは俺の勘だがな……<天剱>の出番かもしれん」
いがみあう官僚たちを尻目に、クレーメンスは席を立つ。
「こっちで動いてみる……詳細は追って連絡しよう」
大臣の制止の声にも耳を貸さず、クレーメンスはそのまま会議室を後にした。