第十二章第二節<Key of solomon>
あの悪夢の、光の暴虐の牢獄から離脱したヴィーゼル中将の下へと馳せ参じた艦船は総勢八十強。艦隊としては、充分すぎる戦力だ。
まだ三十代になったばかりの若手の将軍として知られているヴィーゼルは、素早く手持ちの艦それぞれの装備、能力を計算しつつ迎撃態勢に移行。
比重としては呪的戦略艦の装備がやや主を占めている構成になっている。
無論、戦艦もないわけではない。が、正面きって砲撃の打ち合いをして勝てる手札ではなかった。
「呪的戦略艦は後方支援……戦艦<アリアンロッド>を中心にして陣を組め!」
後方から追いすがってくる<Dragon d'argent>勢に対抗した布陣を組み、そして先頭集団は一気に迂回して合流する。
カイツェル中将との事前の打ち合わせ通りだ。一箇所に固まっていた軍勢は、二手に分かれて双頭の龍のように首をもたげてくる。そして胴体に当たる部分は、急激な移動に対応できず、船首をただ旋回させて対応しようとしているだけだ。移動を伴わない回転など、攻撃する側にしてみれば格好の標的以外の何者でもない。
「射撃用意……撃てッ」
ヴィーゼルの号令と共に、旋回中の戦艦から光の砲撃が横腹に突き刺さる。
対峙する相手は、均衡制御装置と戦いながらの急速旋回を行っている最中なのだ。反撃はおろか、満足な回避行動すら取れずに外壁を食い破られ、さらに内部に砲撃を喰らい、崩れていく。
しかし、その光景をいつまでも眺めているわけにはいかなかった。何故ならヴィーゼル中将隊の第一目標は、敵の撃破ではないのだから。
戦闘速度をやや落とした足取りで宇宙空間を駆け抜け、置き土産のように敵の外端に位置する艦船を屠っていく。撃てば必ず命中するというその状況下において、後方では逆に熾烈な戦いが繰り広げられていた。
戦艦<アリアンロッド>を中心に円形方陣を組んだ呪的戦略艦。
それぞれの有する対砲撃用の結界を多重に敷き詰め、そして内側に<アリアンロッド>を隠したまま、じりじりと後退を続ける。
向かってくる<Dragon d'argent>の戦艦からは容赦のない光学兵器が次々と射撃されてくるが、その全てが呪的戦略艦の生み出した巨大な結界によってその軌道を変化させられ、宇宙空間に雲散霧消していく。
絶対の防禦とエネルギーの消耗を憂えたのか、相手が砲撃の手を中断する。エネルギーは無尽蔵ではない。この状況下で容易に補給が得られようはずもなく、また射撃用のエネルギーのほとんどを疲弊させてしまったならば、あとは身を護る術もなく、戦場となったこの空間を逃げ回るしかないのだから。
だがしかし、それこそがヴィーゼル隊の待ち望んでいたものであった。ゆっくりと散開し、呪的戦略艦の内部より姿を現した戦艦<アリアンロッド>。ほぼ無傷ともいえるそのブリッジでは、それまでの防禦の時間を利用して、追撃してくる戦艦の配置図を全て計算していたのだ。
「三人の巫女に護られし月世界へ汝らを誘わん……主砲斉射!」
艦長の号令と共に、<アリアンロッド>の主砲が火を噴いた。
アリアンロッドとはケルト神話の月の女神。白銀の車輪という意味を持つ名の通り、戦艦の主砲は巨大な車輪を模した枠に取り付けられた四つの主砲群である。その一撃は、まさに<Dragon d'argent>の艦隊の旗艦もろとも、数隻の戦艦を戦闘不能に陥らせるだけの威力を秘めていた。
護衛として砲撃軌道上に身を晒していた艦ごと吹き飛ばすその破壊力に、追撃の手は休まるかと思えた。事実、この一撃で相手に与えたかったのは、物理的被害などではなく、士気を挫かせるという精神的効果を狙ったものであったからだ。
<アリアンロッド>の主砲が、再度充填準備に入ったとき、ブリッジの操縦士らは我が目を疑った。追撃隊の減退を埋めるべく、さらなる増援が獲物を追う肉食獣のように、自分たちへとさらに追いすがってきたからであった。
「く……戦略艦、結界構築!」
「だめです、艦船距離が離れすぎていて、強度が保持できません!」
操縦士がコンピュータから弾き出した結界強度は、標準時の35%。これでは敵の砲撃を防ぐことなどできはしない。
そのときであった。緊急回線が、呪的戦略艦<ヴェルダンディ>からの通信を告げる。
「どうした」
「我等に秘策がございますが、如何致しましょう」
<ヴェルダンディ>の艦長からの柔らかな、それでいて不気味なほどに冷ややかな声がブリッジに響く。
「時間がない、三分で展開せよ」
「了解いたしました」
通信を終えた<ヴェルダンディ>艦長は、薄暗いブリッジの中央に鎮座する、顔無き鋼鉄の乙女に向き直る。
「神託は?」
「出ました、モニター出ます」
操縦士の言葉の直後、漆黒のモニターに一つの文章が打ち出されていく。
>operating system Oracle-Bible ver.3.02
>extraction from bible Psalm 91-13
>You will tread upon the lion and the cobra ; you will trample the great lion and the serpent.
「聖書詩篇か……該当護符検索、各艦へ通信、共鳴発動準備!」
通信から20秒後、<アリアンロッド>を取り囲む呪的戦略艦から同じ波長の光が放射される。それらは艦同士を結ぶ円を描き出し、今まさに砲撃せんと肉薄する<Dragon d'argent>の艦隊の正面に張り巡らされる。結界とは異質な魔力がスクリーン状に引き伸ばされる。
<アリアンロッド>艦長にしてみても、三分で対応しろ、とは言ってみたものの、その時間に根拠があるわけではない。次第に艦影が大きくなる状況において、心臓が大きく脈を乱す。
そしてついに、<Dragon d'argent>追撃隊が牙を剥くその瞬間。
艦体自体を震動させるほどの魔力が、五つの呪的戦略艦より放出。それらがスクリーン上に投射されると同時に、紋章を描き出す。
中央に巨大な一匹の蠍が配置され、その周囲には六芒星を頂点としてヘブライ文字が綴られている。
<アリアンロッド>を狙った致死の砲撃は、その悉くが紋章に接触。そして次の瞬間には、まるで何事もなかったかのように砲撃の光は紋章に吸い込まれ、残滓すら残さずに消失した。
「これは……!?」
<アリアンロッド>艦長が思わず、シートから腰を浮かせる。あれだけのエネルギーを、一片たりとも弾き返すことなく、そして完璧に無効化するとは。
結界による絶対防禦も凄まじいものがあったが、呪的戦略艦の秘めたる力がこれほどとは。
「驚くのはまだ早いですわ、艦長」
通信回線の向こうで、<ヴェルダンディ>艦長が微笑む。
「霊描したものは火星護符の一つ、霊的守護を担うもの……これを持つ者に仇成す者の末路を、とくとご覧あれ」
破壊の奔流を全て飲み込んだ蠍の紋章が、一際大きく輝きを増す。その正面において、攻撃を完全に消し去られた艦隊は呆気に取られているのか、再攻撃をするでもなく、ただ移動を続けるのみ。
当然だ。弾き返すでもなく、軌道を逸らされるのでもなく、こうまで完璧に相殺し、消滅させることは、そう簡単なことではない。
「紋様逆転……思い知らせてやりなさい」
ヘブライ文字が反転されると同時に、蠍の紋様が目を射るほどに光を宿す。
ここに至り、相手もまたこちらの手札を感じ取ったようであった。急速に隊列を崩し、右往左往する艦隊に向け、消失したはずの、そして同じだけの破壊力を持つ砲撃が、紋章から放射。
混乱の渦の只中に突き刺さる光の槍の直撃を受け、第二追撃隊もまた次々に破壊され、中空に四散していく。
「……やってくれるな……?」
<アリアンロッド><ヴェルダンディ>による波状反撃の手際のよさに、ヴィーゼルもまた先陣に置いて舌を巻いていた。先刻の二回の反撃で、こちらを追尾する艦隊はほぼ壊滅状態に追い込まれていると言ってもいい。
目標合流地点まで、残り45秒。旋回と砲撃の手を休めることなく、ヴィーゼルは混迷の戦場を、ただひたすらに駆ける。