第十一章第三節<Macro transfer>
哨戒機の反応マーカーが消えた瞬間、<トリグラフ>のブリッジは騒然となった。
撃墜。その紛れもない現実は、操縦士等の眼前で消失したマーカーによって証明されていた。信号断絶によるネガティブコンタクトが、撃墜であるという現実を認識するまで、カイツェルは数秒間を要した。
まさか、伏兵による撃墜などという結果を、誰が予測しえたであろうか。
「……カイツェル中将!?」
「わかっている!!」
席を立ち、カイツェルはモニターに向き直った。この行動によって、<Dragon d'argent>の意向は明らかになった。提示された猶予時間が数時間残されてはいるが、既にそのようなものは何の意味もない。
「全艦出撃準備!! <Dragon d'argent>伏兵によって交渉の哨戒機は撃墜された、繰り返す、全艦出撃準備!!」
カイツェルの全艦放送によって、転送港はにわかに慌しくなってきた。
既に港外壁部では次々に艦がテス回廊へと転移を繰り返し、ひっきりなしに転送光が明滅している。物理現象としての光ではなく、臨死体験時に被験者が遭遇する別次世界転送への光と同じ波長を持つものだ。
既にヴィーゼル中将の艦は回廊へと転移を終えている。先に回廊へと向かい、後続の艦に指示を出して隊列を整えている任務に就いているからだ。当初の半数ほどに艦数を減らした港の光景を見つめながら、カイツェルはなにやらぶつぶつと口髭を揺らしながらブリッジの自分の席に腰を下ろしたまま、落ち着かない素振りを示していた。
口髭を撫で、膝の上で指を組み、そうかと思うと躰を起こして何かを見つめている。その様子を見かねた部下の一人が立ち上がり、そして湯気の立つカップを手に持って戻ってくる。
「……失礼します、中将」
「何かね」
眉間に皺を寄せたままのカイツェルは、鼻腔をくすぐる香気の湯気に呆気に取られたような表情をする。
「どうぞ。これからさらに激務になります故……今は落ち着いてくださいますよう」
部下からの箴言であったが、それを怒声で撥ね退けるほど、カイツェルは度量の狭い男ではなかった。
「……すまん、心配をかけたな」
「とんでもございません」
部下からカップを受け取り、珈琲を口にする。一口飲み、ゆっくりと呼気を吐く中将に、部下は頼りなげな声で質問する。
「……戦争、になるんでしょうか」
「わからんな」
カップをアームレストのホルダーに置き、腕を組む中将。
「だが、作戦本部に無理を言っておいてよかった」
「……? どうしてですか?」
「あの哨戒機は、当初は直接交渉のために、何人か乗り込んでいく計画だったんだ」
「……なるほど」
部下もまた、撃墜の瞬間を擬似的にではあるが確認している。操縦士として、哨戒機に乗り込んでいたかもしれないと思うと、悪寒がする。
「だがまあ、横っ面を張られても黙っているほど、お人よしではないだろう?」
にやりと笑うカイツェルに、部下も釣られて微笑んだ。
「そうですね……我等の力、見せ付けてやりましょう」
「<トリグラフ>転送準備完了しました、これより港制御に入ります」
操縦士のアナウンスと共に、艦が大きく揺れる。管制自動操縦に切り替わることを示す震動に、操縦士たちの束の間の休息が訪れる。
一般的に港から回廊へと向かう際には、それぞれの艦船システムからの象徴展開は必要ない。転送門を開くことから操縦までを一括して行うシステムのため、港側のコンピュータで全ての管理を行っているためだ。
テス回廊の象徴は「剛毅」。花の冠を着けた乙女が、獅子の顎を優しく戒める図案がモニターに映し出され、眼前に転送門が迫る。
「転送態勢に移行します、総員……対衝撃準備」
それぞれがシートへと躰を安定させ、ベルトで腰と胸を固定する。
「カウントダウン開始します……10……9……8……」
管制官の声に重なるようにして、スピーカーから男の声が聞こえる。
「カイツェル中将、ならびにヴィーゼル中将、ご武運をお祈り申し上げます」
「……3……2……1……加速」
ぐん、と躰がシートに押し付けられ、<トリグラフ>が港の外孔に向かって加速を開始。その向こうに広がる宇宙空間の漆黒が迫ってくるが、自分たちはその空間に足を踏み入れることはない。切っ先が港の外壁に覆われた筒状の内部から突出した瞬間、モニターは出し抜けにブラックアウト。
圧倒的な光量を忠実に再現してしまえば、乗組員らの網膜を瞬時に焼き尽くすほどの光になるためだ。一瞬で非常照明と電子機器の発する光だけの薄闇になったブリッジに、カイツェルの声が響く。
「速度維持、減速するな! そのまま回廊を抜けろ……瞑想観測師たちに伝令しろ」
「了解!」
種々の指示が交錯する中、モニターに光が快復する。テス回廊に無事実体化を終えたのだ。
見れば、自分たちの周囲には整然と並んだ艦船がまるで衛兵のように控えている。回線が使用可能になったのを確かめると、カイツェルはヴィーゼル中将へのホットラインを開く。
「ヴィーゼル、付いて来い! もう一刻の猶予もならんッ!!」
「いいねぇ、その号令……!!」
ヴィーゼルの声と共に、待機していたのであろう操縦士らの歓声がスピーカーから沸き起こる。
士気は充分だ。こういうときは、下手に慎重にならないほうがいい。それはカイツェル自身の経験則だった。
「瞑想観測師より入電、現在当該区域において空間震は見られず、<Dragon d'argent>の艦船150余全て戦闘配備です!!」
ぐん、と周囲の艦船の中を駆け抜けた<トリグラフ>に追従する形で、無数の艦船が徐々に戦闘速度に達しながら回廊内を駆け抜ける。
現在、回廊内にいる艦船は自分たちだけだ。であるならば、可能な限りの速度でテス回廊を抜け、奴等に一矢報いねば、腹の虫が治まらない。
恐るべき速度で疾走する艦船の前面に、緑色の半球体状の光が生じる。
こちらの実体化のタイミングを読まれているとすれば、相手がすることはただ一つ。実体化直後の総攻撃である。光学的、実弾的、呪術的攻撃の全てにおいて汎用的に利用できるエネルギーフィールド。
それを展開しつつ、可能な限り迅速に実体化ポイントから離脱し、態勢を整え、反撃に移る。
言うのは簡単だ。だが初回の総攻撃を喰らっただけで、未熟な操縦士は一瞬にして恐慌状態に陥る。だが、やらねばならんのだ。
「……中将、回廊抜けます、残り7秒!!」