間章Ⅹ<亡霊>
戦艦<后土娘々>に警報が鳴り響いたのは、まさに青天の霹靂であった。
それまで、探査装置にも霊波測定器にも何も反応を示さなかった空域に、突如としてレーダーが感知したのだ。
にわかに騒然となる操縦室。軍服の左胸に、銀色の龍が円を描き、五つの宝珠が五芒星を中心に描く紋章をあしらった男が席から腰を浮かせる。
<Dragon d'argent>少将ジュール・クロッタンは動揺を隠し切れず、操縦士に乱暴な声をぶつける。
「何をしている!! さっさと報告しないか!!」
「も、申し訳ありませんっ……前方1500キロの位置に空間歪曲発生、転移予兆です!」
「質量甚大、計測不可能値を示しています!!」
ジュールは汗ばんだ顔をモニターに向け、眼前の宇宙を凝視する。
無論、肉眼で分かるほどの変化はない。だが、操縦士の報告をただ何もしないで待っているよりはよかった。
「波動計測、どうなってる!!」
「……はい、もう少しお待ちを……いえ、出ました!」
全員がその数秒を、沈黙をもって言葉を待ち望んだ。
「該当船舶無し、属性ニュートラルです!!」
宇宙空間を航行する船舶は、それぞれ固有の波動を周囲に常時発信することが義務付けられている。
それはつまり、不特定多数の相手に対しての存在証明であり、船舶の自動航行システムはこの波動を自動受信し、それぞれの航行ルートを随時計算している。
地上とは異なり、移動速度と距離とが比例して増大している宇宙空間では、こうした大型船舶は既に目視による手動航行はよほどのことが無い限り、自殺行為であった。相手は何も船舶だけではなく、複雑に入り組んだ重力場や高濃度呪詛地域、因果律改竄危険区域などがあり、一触即発を招く領域が広がる辺境では危険は常に隣り合わせなのであった。
しかし、今回の波動計測では、測定値は得られなかった。通常、属性ニュートラルを示すものは隕石群、巨大岩石、滞空彗星と言った自然物が主であるのだが、今回は違う。
どこの世界に、転移をする隕石がいるというのだ。登録船舶でも、自然地形でもないとすれば。
「クロッタン少将、ご指示を!」
「警告信号を5秒おきに発信しろ。砲撃準備、主砲に魔力装填を開始、<Taureau d'or>第七艦隊の二の舞はごめんだ」
操縦士が、緊張に上ずった声で反芻したとき。
「クロッタン少将、通信テクスト受信しました」
「出せ」
「……モニター、出ます」
宇宙空間と重なるようにして、白い画面に黒い文字の無機質な文面が表示される。
<我 大いなる背徳の軍勢なり 我 秘儀の王冠を所望せり 其は古の王の威厳と叡智を掲げ、光り輝く王冠なり>
「莫迦な……」
この文面は、まるで。
「少将……」
色をなした操縦士たちが困惑と恐怖の表情を向ける。まるで、これでは、L.E.G.I.O.N.そのものではないか。
「本国にテクストを送信しろ。主砲焦点準備」
少将の声は震えている。
「転移点、波動増幅!!実体化来ます!!」
正面のモニターにも、既に変調は見えていた。
宇宙の彼方に明滅する光。その中心に、我等が進路を塞ぐ相手がいるのだ。
「……警告信号の返答は無いな?」
「ありません、現在12回目の警告信号を発信……」
「止めろ」
少将は手を振り、信号を停止させる。
「もうあちらには充分に届いているはずだ。それでも警告に返答が無いなら……」
「少将、実体化70%完了……お、お待ちください、波動計測アクティブ!!」
言葉を失うジュール。
波動計測は、転移に影響を受けるほど脆弱なシステムではない。同一の観測対象の波動が変化することなど、有り得ない。
だが次の操縦士の言葉が、ジュールの判断を狂わせた。
「波動識別、所属艦隊<Taureau d'or>縞瑪瑙第七艦隊……少将、これは……!?」
きぃいいええぇえッ。
無音な筈の宇宙空間を通して、そのとき、全員が不気味な声を聞いた。
「少将、転移実体、波動識別を確認しましたが……有り得ません、不可能だッ……」
操縦士の喘ぎに似た悲鳴と同時に。
モニターには、宇宙空間で力強く羽ばたく翼龍と、その牙の奥から漏れる破滅の光が映し出されていた。