第十章第一節<Index of life>
「どうもありがとうございました」
頭を下げると、メイフィルは壁に凭れるようにして座っている初老の男から離れる。
見渡すと、よくあの船にこれだけ乗っていたものだと思い知らされるほどの難民が、大きな屋内に所狭しと並んでいる。老人や怪我人、病人には優先して寝台があてがわれているが、そもそもそうした設備の絶対数が乏しいため、充分に行き渡っているとは言いがたい。
ネットワークの中から情報を拾い出すことに失敗したメイフィルは、次の情報源を難民たちへと求めた。彼等なら、ネットワークに記載されるよりも遥かに数多くの、そして裏の情報を知っているのではないかと思ったからであった。
しかし、その目論見は今のところ、空回りを続けている。
確かに彼等はネットワークとは異なる情報を数多く握っている。だが、それは彼等の生活に密接した情報であることがほとんどであった。いわば、彼等は安定した日々の生活を求めて、新天地を探す人々であるのだ。自分たちに何の関わり合いも無い星域の爆発事故のことなど、彼等には何の関係も無い。毎日を暮らしていくことだけで精一杯な彼等には、必要の無い情報を抱えていられる余裕はどこにもないのだった。
しかしそれでも、メイフィルは人々に尋ね続けていた。
理由は二つ。
一つは、自分の専門分野ともいえるネットワーク技術で、<Taureau d'or>の警備監視システムに敗けたということ。
そしてもう一つは、ラーシェンの力になりたい、という一心からであった。
何か一つでも、そして間接的にでも、<Taureau d'or>第七艦隊消失の手がかりになる情報を求め、メイフィルは額の汗を拭いながら、話が出来そうな相手を探して躰を起こした。
暗い寝室で、寝台に一人横たわっているラーシェンは、傍らの酒瓶に手を伸ばす。既に酒精は躰の隅々にまで行き渡り、神経をほどよく麻痺させていた。目測を誤り、指の先で瓶を弾いてしまう結果となり、小さな卓上から落ちた瓶はカーペットの上を転がる。
擦り切れたカーペットの上を転がる瓶を、躰を起こして見下ろすラーシェン。いつしか中身はすっかり飲み干されてしまっており、注ぎ口から零れだす液体はない。
ため息をつきながら再び寝台に横たわるラーシェンは、正面の壁の時計を見た。メイフィルが部屋を出て行ってから、二時間が経過している。何に苛立っているのかさえわからぬまま、ラーシェンはぶつぶつと呟くとごろりと躰の向きを変えた。
これで幾度目だろうか。眠ろうとしても眠れない。酒に頼っても結果は同じ。だが、眠らなければ次々に浮かんでくる妄想に、頭がどうかしてしまう。
「彼等は自分たちだけの力ではどうすることもできない、だから僕たちの力こそが必要なんだ、そうだろ?」
ヴェイリーズの言葉が蘇ってくる。自分たちの力だけではどうすることもできない。
それは誰しもが同じだ。この世界を憎み、この時代を憂える俺は、たった一人で何をしようというのだ。
「大きな流れの変革は、一人の人間の生涯ではなしえないもの。我等が目指しているのは、まさに幾世代にもわたる変革です」
フィオラはそう語った。幾世代にもわたる変革。
確かに、時代を変えるだけの力はあるだろう。しかし、己が死去したのちも、受け継いだ仲間たちがしっかりと支えてくれるという保証はどこにある。自分たちがいくら汗を流しても、それを後代で台無しにされてしまった事例など、それこそ星の数だけある。
俺は。
俺は、一体、何をしようとしているのだ。
ヴェイリーズに食い下がった俺は、あのとき、俺自身への歯がゆい気持ちをただぶつけていただけなのではなかったか。何をすべきか、その道の果てにあるものが見えていないのは、俺なのではなかったか。
「くそ……」
悪態を吐き捨てると、いくらかだけ、気持ちが楽になる気がした。
「くそったれなのは、俺なのかよ……」
逃げている。いろいろの言い訳を並べて、俺は逃げているだけだ。自分たちの力ではどうすることもできないと言いつつ、何もやろうとしない。受け継いでくれる保証が無いからといって、最初の一歩すら踏み出さない。
これではまるで臆病者だ。失敗を恐れ、己で自らを縛り付ける、愚鈍な輩だ。
視界が涙で歪む。
泣いているのか、俺は。自分が無力であるのを思い知らされ、餓鬼のように泣いているのか。
その事実を認めたくなくて、瞼を閉じる。すると余計に目尻に粒を結んだ涙が伝い、耳を濡らす。ぎり、と歯が軋るほどに食い縛り、ラーシェンは寝台の横へと手を伸ばした。
「<雷仙>……教えてくれ、お前の、前の主は……どんな人間だったんだ……」
自分のような人間が、どうして太刀を。俺のSchwert・Meisterとしての能力は、まだまだだというのに。
ただ運がよかったからか。これまで生き残ってこられたのも、太刀を手に入れられたのも、全て。ただ、運がよかっただけだというのだろうか。
否定はできない。思い返せば、己の力で何か大きな難局を乗り切ったのだという、生の証となる経験を思い出すことができない。
全ての根底が、ゆっくりと崩れていく感触。いっそ、このまま寝台の下に口を空けた奈落に身を投ずることができたら、どんなに楽か。
この世界には、死が満ちているというのに。自分がどうして生き延びているのか、自分が何かをすべきだという実感さえなく、ただ漫然と過ぎ行くだけの日々。
「ちくしょう……」
語尾は掠れ、消える。
いつしか、ラーシェンの胸は規則正しい上下を繰り返すようになっていた。