第四十七章第一節<War in the War>
ふと気づくと、五人は蒼い光に満たされた蓮華座のある広間にいた。
今まで自分たちが見ていた光景は、写本の有する記憶だったということか。あまりに鮮烈であり、また生々しい戦乱と混乱、狂乱と破滅の記憶は、彼女たちの感覚を、現実と過去の狭間に放り込んでいた。
異界の記憶、古の世界。それはこの世界のみならず、数多の世界が存在することを証明するものであった。
だが、現実を突きつけられたとはいえ、にわかに信じられるものではない。
今まで、自分がその存在を疑うべくも無く、そしてたった一つの世界しか認識できなかった者には、信じ難い話ではあった。
しかも、それが、写本の幽閉先であるなどという話なら、なおさらであった。
眼前の蓮華座で、緩慢なリズムで上下運動と明滅を繰り返す光は、次の瞬間、弾けた。
空中に四散する光は、細かい粒子となって舞い、そして互いに引き合って文字を形作る。見たこともないような文字は組み合わさって文字列となり、そして次第に本のページを形成した。無数のページは空中を螺旋を描くように踊り狂う。
「我は、ラウローシャスの意に賛同の声を上げる者なり」
何処からとも無く、男とも女ともつかぬ声が聞こえてくる。ページは五人を取り巻くように渦を巻き、そして周囲の光景は次第にかき消されていく。
圧倒的な量の霊力が回転しながらも、リルヴェラルザやニーナ、フィオラは身構えてはいない。写本の力には、殺意や敵意といったものは全く感じられなかったからだ。仮に、写本がこちらに対してそうした感情を持っていたとしても、やはり彼女等は戦闘態勢を取らなかっただろう。
何故なら、これだけの霊力を有するものが攻撃を仕掛けてきたとしたら、それは恐らく戦いですらないからだ。
繰り広げられるのは、一方的な虐殺。凄まじい力量差から生み出されるのは、絶望的な殺戮でしかない。
「数多の世界、数多の戦乱」
写本が語りはじめると同時に、五人はそれぞれに閃く頁の合間に映し出される映像を見ていた。
様々な時代において、様々な人々が映し出されている。だが、彼等の相貌は一様にして重く、険しく、鋭い。何故なら、それらは全て、写本が刻んできた戦乱の歴史なのだから。
「我の同胞は、人の欲望に狂乱と破壊の魔力を一滴、注ぎ込むことで……世界を崩壊させてきた」
次に映し出されたのは、若き王。
軍事大国を担うその王は、国宝を奪い逃走した王妃を追撃せんとして冒険者を募ったと言う。
王妃の逃げた先は、王城直下に広がる大迷宮。その最奥を目指し、若き国王は力を求めるがあまり、魔の眷属に命を奪われ、そして宮廷魔術師の叛乱により王国は滅亡した。
「当初の狙いは、邪神の使役魔族として創造された、四人の王の力を借り……世界を消失させることで、次元の壁それ自体を破壊しようとしていた」
カルファイン、アムレイズ、アーヴァイン、エルクス・ザム、セルクレイア。五人の冒険者たちが酒を酌み交わす映像を最後に、ぶつりと記憶は途絶える。
「それで……滅びた世界はあるの……?」
「否」
写本が次に映したのは、別の世界のようであった。天を衝くほどに巨大な建造物が並ぶ世界は、先刻の映像よりはずっと今の世界に近いようであった。そこでは、科学技術がありながら言語によって武具を生み出す者たちの争いがあった。
「その程度では、世界を形成する力を崩壊に導くことは不可能であった……それよりも、やはり世界の内包する守護者の力を甘く見ていたのだろう」
「守護者?」
緑色の髪をした、異世界からの来訪者。大聖堂での決戦は、年若き男女と、異形の魔族とが激突を繰り返していた。
西園寺瑞葉。渡河慧。
二人を中心にして回り始めた歯車は、しかし破滅に至ることはなかった。
「守護者とは、それぞれの世界において力ある者たちの名」
映像が変わる。次の光景は至極奇妙なものであった。
龍が空を飛び、その下を人型の機械が隊列を組んで歩行する。まるで異なった文化が融合し、独自の進化を遂げたかのように。その世界において写本の魔の贄として選ばれたのは、とある皇帝。
「己の運命を知らぬままに、守るべき者のために戦いし者たちは、我等が思っていたよりもずっと強く、そして逞しかったのだ」
竜の末裔、人の手によって生み出された少年、そして七聖具。
大陸を埋め尽くすほどの戦禍は、やがて狂える魔術師の手に堕ちていく。
「守護者……」
ニーナの唇から、写本から聞こえた言葉が繰り返された。この戦もまた写本が引き起こしたものなれば、自分たちがこの世界の守護者であるというのか。L.E.G.I.O.N.の喚んだ破滅は、写本がもたらしたものだと。
「戦乱は、しかしさらに続いた」
光龍神の堕天奈落によって勃発した、神大戦。人と魔族との戦いは、異界にまで到達していた。
ユ・リクルの変生した姿は邪神となり、そして多くの魔の眷属を引き連れての大戦は、しかし写本の本格的な活動のない時代のものであった。
その大戦を幕開けとして、写本は活動の方向性を転換。一転して、自らを束ねるだけの才覚のある者に寄生する手段を取った。
<輝ける御遣い>は生まれながらにして類稀なる霊力を持つ少女、神楽愛美へ。
<息衝く城>は、帝都の中枢、平将門の首を封印する呪縛として。
そして写本を束ねる存在となったシャトー・ムートン・ロートシルトは、写本の持つ魔力の強大さに、己一人で封じ込めておくことの限界を悟った。
シャトーは一冊の写本<紫の園>を敢えて分離させ、配下の魔族に託してフラムスティード卿を堕落させ、写本の贄として使役した。
より強く世界に介入をはじめた写本の存在は、既に誰もが無視できるものではなくなっていた。同時に、その凄まじいほどの魔力は容易には抗えぬものとして、人々はそれを恐れた。写本という存在自体が、全ての世界において、癌のように忌み嫌われた。
「我等が同胞の目的は、ただ一つ」
その声は、まるで咎人に下される刑罰を読み上げるように、冷たく響いた。
「全ての章篇を束ね、そして神都セプラツィカードの守護封印を解くこと」
「それで……どうするの」
震える声で、フィオラが重ねて問う。
写本の存在はあまりに異質で、そしてあまりに強大だ。ともすれば世界の因果律自体を狂わせ、破滅へと追いやるだけの力を充分に持っている。
今はまだ、世界の均衡がぎりぎりのところで耐え切っているが故に、大きな変革は訪れてはいない。だが近い将来、これよりも写本の力が増したときのことは、想像がつかぬ。
「己を封じたラウローシャスを殺し、そして神都を飲み込むこと」
きん、という澄んだ音が響いた。
いつしか写本は一点に収斂し、一冊の古びた書物となっていた。擦り切れた表紙は鉄の格子封印で閉ざされ、錆び掛けた錠をかけられている。恐らく手に取れば、ずっしりとした重量感を伝えてくるであろう、その姿。
そう、まさに眼前の写本こそが、最後の望みなのだ。
この章篇、<隻眼の龍>が屈するようなことがあれば、そのときには間違いなく破滅がもたらされる。
だが、一体どうすればいい。この章を除く全ての写本による災禍を、どのように耐え抜けばいいというのだ。
「よくやったね」
その声に、弾かれるようにして五人は振り向いた。
今しがた入ってきた大きな扉は、今や開き破られていた。そして、光を受けて立つ十二の人影。
L.E.G.I.O.N.は、ついに写本の間へと到達したのだった。