間章ⅩⅩⅩⅩⅤ<剱聖乱舞>
闇の中、一人立ち竦む女がいた。
緋色の着流しを纏い、乳房を露にしたままの半裸の格好で、片手に携えているのは太刀<碧蛟>。構えるでもなく、また太刀の能力を解き放つでもなく。達人の域に達した武芸における無行の構えでもなく、女はただ、呆けているようであった。
その女に対峙しているのは、正宗師団長アンジェリーク・カスガ。
そして遊女のような風体をしているのは、王家S.A.I.N.T.ソランジュ・ユーゴー。
凄腕のSchwert・Meisterの二人であったが、お互いが剱を交えているのではなかった。
アンジェリークは、傍観者であった。
闇の虚空に、過ぎる白い影が垣間見えた。
目を凝らしても、闇に潜む者は見えることはないだろう。常人の動体視力では到底捉えきれぬ速度で疾走しているのは、二人のSchwert・Meister。
<白仙>の名で知られる、流水月天と桜幻春暁。
二人が相手にしているのは、ソランジュただ一人。
しかし、手練れの二人ですら、攻撃の糸口を見つけられないでいた。
理論ではなく、感覚。
ソランジュの姿に、攻撃を仕掛ける隙は毛ほどもない。しかし、ソランジュの構えは、これまで二人が相対してきたどんな相手にも、似ていない。それなのに、攻撃に移ることができない。
なぜだ。
自問を繰り返しながら、二人は宙を蹴る。
闇を駆け、白き旋風となり、そして霞の如くに刃を閃かせる。
「あはぁ」
首を鳴らしながら、ソランジュは溜息をついた。
「あんたたち、退屈なのよぉ……これだから男は……」
ぐっと太刀を握る。
それだけで、ソランジュの周囲に蒼い光が一瞬、煌く。
水流が渦を巻くような、清涼な音が響く。まるで幻の蛇がソランジュを中心に渦を巻くように天に昇ったような軌跡を残し、消え去った。
その不可解な現象は、しかし空間に満ちていた二人の殺気を、完璧なまでに打ち消していた。
否、相殺したのではなかった。
続いて、床石を打つ水音。
水滴に打たれ、白かったソランジュの髪がみるみる紅蓮に染め上げられていく。
赤い雨。
紅い雫。
頬を濡らす、ぬるりとした感触に、アンジェリークはそれがただの雨ではないことを知った。
そもそもここは屋内だ。
これだけの雨が唐突に降るはずがない。
「貴様……殺したな」
「ふふぅん」
ひゅんひゅんと何処かで空を切る音がする。
頭上に手を掲げるソランジュ。その掌に、寸分の狂いもなく落下してきた太刀が納まる。
所有者とは違う者が手にした場合、太刀はその者の精神を食らう。
当然、ソランジュに対しても、その攻撃はなされた。
しかし、相手はS.A.I.N.T.の一角たるSchwert・Meister。
既に一振りの太刀を支配するその技量を前に、太刀の攻撃は呆気なく四散。瞬時に二つの太刀の所有者となったソランジュは、刃を濡らす鮮血を舌で舐め取った。
「さあ、じゃあ次はあんたの番だねぇ」
一歩を踏み出すソランジュ。
いまだ納刀したままの態勢で、アンジェリークは眼力だけをソランジュに叩きつけた。
常人であれば全身の運動神経が一時的に麻痺するほどの、狂乱系呪術効果にも匹敵するほどの圧をかけたそれを、ソランジュは浴びつつも微笑むだけの余裕を残し。
「やれるものなら、やってみるがいい」
かつて正宗師団長をその技をして務めたアンジェリークは、S.A.I.N.T.のSchwert・Meisterに対し、不敵に微笑み、そして柄に手をやった。