間章ⅩⅩⅩⅩⅡ<囮>
ヒュー・サマセット。
リュシアン・ヴァディム。
マランジェ・カミュ。
三人の魔を帯びた人影が集うその広間に訪問者を迎え入れた大扉が、重々しく閉まる。
爪先で床を蹴る、それだけの所作でバルドヴィーノの躰は空中高くに舞い上がり、そして三人の列に連なる。舞踏会場を見下ろせるような、幅の広いテラスに居並ぶ四人を、同じく駆け込んできた四人が見上げる。
だがその視線の色は、恐ろしく対照的だ。
弱者を睥睨し、だが同時に苛立ちを隠せぬ四人のL.E.G.I.O.N.。
圧倒的な戦力差を見せ付けられ、怯懾に身を固くする四人の闖入者。
同じ四人とはいえ、セシリアとジェルバールは剱を握ることすらおぼつかない。バルドヴィーノにすら巧みに翻弄されていたラーシェンとフェイズが、四倍の相手にどう立ち向かえるか。
常識から考えれば、それは戦いですらなかった。恐らく繰り広げられるのは、一方的に展開される虐殺絵図。
「ようこそ、至高天の城へ」
欄干に手をつき、紺碧の翼を持つマランジェが美しい響きを持つ声で呼びかけてくる。
その声の韻律は胸中で奇妙な共鳴を起こし、そして精神を揺さぶる。言霊を操る呪法師としての、マランジェの能力の一つであった。通常言語に高密度の言霊をこめ、こうして話すだけで、精神の弱い者ならば支配、もしくは発狂に陥らせることすらできる。
「拳闘士の歓迎の舞は、楽しんでもらえたかな?」
「もう少し色気が欲しいところだが」
マランジェの周囲の闇が渦を巻いた。
それはまさに、フェイズの乾坤一擲たる決死の一撃。闇への支配の呪力喚起から形状錬成、そして攻撃にいたるまでの全ての過程がほぼ一瞬で成され、放たれた。
マランジェを包むように発生した無数の棘が、容赦のない速度と密度で繰り出される。フェイズの感覚では、その間合いでの回避は不可能。それはまるで、無数の銃口を突きつけられた捕虜の姿にも似ていた。
微笑んだままのマランジェが、攻撃予兆に反応するよりも早くに槍衾になる幻影すら垣間見えたその瞬間。腹の底に響くような衝撃音とともに、全ての闇槍はヒューの断罪の鎌によって切り裂かれ、四散していた。鎌の閃きすらも見えず、そして中空に溶けていく闇を前にしても、ヒューが動いた様子すら見えなかった。
これが、L.E.G.I.O.N.の実力か。
「お前たちの目的はなんだ」
非戦闘員でありながら、強靭な精神力でマランジェの言霊に耐え抜いたジェルバールが問う。
「S.A.I.N.T.の攻撃を無効化するだけの腕があるなら、俺たちを殺すことは簡単なはずだ」
ジェルバールの指摘を受け、マランジェは唇だけで笑って見せる。
「なるほど、さすがに頭は切れるようだね」
腰から刀身が波打つ形状の短剱を引き抜き、弄ぶように指先で回転させつつ、マランジェは語る。
「じゃあ教えてあげるよ……ここに来るまでの間、幾度攻撃を受けたんだい?」
どくん。躰の中心で、何かが脈打った。
「……どういう意味だ?」
「彼にはただ一人を狙うように言っておいたんだ……その通りだっただろう? その一人……ラーシェン・スライアーは、幾度攻撃を受けたのか、聞いているのさ」
「莫迦を言うな、あいつは一度も……」
ラーシェンの回避は完璧だった。バルドヴィーノの拳、指突、蹴撃は一撃も命中していないはずだった。
「そうだね」
その瞳の色は、明らかなる侮蔑。理解の遅い生徒を見下す教師のような、憐憫の情すらない感情。
「だけど、拳を受け流し、蹴りを躱すだけでも有効だっただろう? 何故なら……」
ラーシェンの全身から冷たい汗が噴出す。
呼吸が出来ない。腹から胸へこみ上げる、熱い塊。
そのとき初めて、ジェルバールはL.E.G.I.O.N.の意図を悟った。
攻撃を躱し切れたのではない。わざと、攻撃を当てなかったのだ。
「彼の体内の怨念核は、それだけで呪詛を蓄積するんだから、ねぇ?」
その言葉と共に、マランジェは短剱を投じた。
銃弾よりも速く空を裂くそれは、膝をついたラーシェンの顔面を襲う。
セシリアが悲鳴を上げるよりも早く、短剱は柄までを、ラーシェンの左眼に埋めていた。