間章ⅩⅩⅩⅩⅠ<緋の聖者>
扉が音もなく開く。
廊下と広間、二つの空間を満たす空気が交じり合うよりも早く、隙を感じさせない足運びで白い長衣が翻る。白仙の流水月天と桜幻春暁は、既に腰の柄に手をかけた状態のまま僅かな扉の間隙から躰を滑り込ませていたのだ。
視界の中に動くものがあれば、それは即座に二人の間合いへと捕捉されていることになる。
だが、室内からは剣戟の音は聞こえぬ。ならば、広間は無人であったのか。
それも否。
もしそうならば、二人の白仙が表情を引き締めたまま、互いに抜刀の間合いを測りつつ摺り足で移動するわけがない。
とすれば、残る答えは一つ。白仙ですら、所在が捕捉できぬ相手が待ち受けている、ということ。
頬に汗を滲ませたまま、呼気すら押し殺す流水月天が気息を長く細く、吐く。
その傍らに、静かに追いつくのは桜色の着流しを纏う元正宗師団長、アンジェリーク・カスガ。
「……いるね」
「お気をつけください、師団長」
言葉と共に、流水月天の右腕が動いた。雷速の動きで抜刀するその鮮やかな光を放つ刀身に凄まじい衝撃が走る。
力が加えられたのは、刀身の半ばほどであった。その瞬間に手首を返し、衝撃を受け流すだけの超反応がなければ、先刻の一撃で刀は使い物にならなくなっていただろう。
しかし、驚くべきは流水月天の技量だけではなかった。もし刀身の半ばに達するまでに間合いを詰めていたのだとしたら、当然ながら視界に届くはずである。
如何に気配を断っているとしても、こちらに揃っているのは凄腕のSchwert・Meisterが三名。
そのいずれの知覚にも捉えられることなく、攻撃だけをしてのけるなどという芸当が出来る者がいるとは。
しかも相手は、流水月天に抜刀をさせたのであった。同じ攻撃であっても、それが回避が可能であれば刀で受ける必要はない。つまり、回避が間に合わず、刀で受けなければ致命傷を負うだけの攻撃であったということ。
それは同時に、流水月天にとっての最大級の屈辱であった。
血が滲むまでに奥歯を噛み締め、闇を見据える鬼のような形相。
その先で、刹那白という色彩が舞った。続いて、ゆったりとした間隔で打ち鳴らされる音。
それが掌を互いに打ち合わせている、すなわち拍手であると気づくまでに数瞬を要する。
三人はほぼ同時に攻撃態勢を整え、同時に前方に物質化せんと思われるだけの殺気を放つ。颶風となって駆け抜けるそれを正面から受けながら、なおも悠然と歩を進めてくる姿に、三人は息を呑んだ。
白い髪で顔の左半分を隠したままの、淫靡な笑みを浮かべている女がそこにはいた。
紅の着物の前をはだけ、豊満な乳房を惜しげもなく曝け出し、遊女のように振り乱した髪を咥えつつ、薬物に溺れた患者のような虚ろな視線を投げかけてくる。
「……貴様」
「あらぁ、あたしをご存知なのねぇ」
気だるげな口調で微笑み、そして腰に吊った刀を鳴らす。
黒塗りの漆の鞘に、霞を纏う蛇の箔が押されていることを、彼等は見逃さなかった。吐き気がする、とでも言いたげな表情で、アンジェリークは女を睨みつける。
「お前みたいな人間が、S.A.I.N.T.に就けるとはね」
「同じS.A.I.N.T.でもSchwert・Meisterは一人……だから他の候補生はみぃんな始末してやったのよぉ」
長い舌を出し、それがまるで女に寄生している蠕動虫であるかのように蠢かす。
女の名は、S.A.I.N.T.唯一のSchwert・Meister、ソランジュ・ユーゴー。テレンスからラーシェンの太刀<雷仙>を奪還したのも、彼女の手によるものであった。
「男は殺してから刻んでねぇ、女は刻んでから殺してねぇ、みぃんないなくなったのさぁ……あんたの悲鳴も聞かせておくれ?」