第三十九章第二節<Ruthless Profile>
「お前がここに来るのは、運命……だったのかもしれんな」
その言葉がどのような意味を持つものであるのか。メイフィルはそのことをすぐには理解できなかった。怪訝そうな顔をするメイフィルに微笑むセクト。
「俺を覚えているか、娘」
メイフィルはセクトの言葉の意味がわからなかった。<天鳥船神>で出会った敵将が、私のことを知っているはずがない。事実、メイフィルはこの男の名前すら知らないのだ。
黙ったまま見据えるメイフィルに向けて、セクトの口から信じられない名が飛び出してきた。
「ヴィクター・エルツェット……お前がよく知っている名前、だな」
よく知っている、などと言う言葉では言い表せないものであった。
それは、メイフィルの父親の名。ずっと捜し求めていた、恋い焦がれていた、父親の名。
だがメイフィルは、それを自分以外の人間の声で聞くことができた嬉しさを脇へと押し遣った。それよりも、今は大きな問題が待ち構えていた。
どうしてその名を、この男が知っているのか。
想像通りの反応を見せたメイフィルに、セクトは唇の端を吊り上げる。
それから視線を腰に吊ったArracher un sabreに落とすと、右手を伸ばして繭のような曲線を描く装甲板を取り外した。内部に納められた機部が露になるが、セクトはその装甲を床を滑らせてメイフィルへと投じてみる。
「……何のつもり」
「裏を見てみな」
メイフィルはセクトから目を離さずに身を屈め、足下で裏返って揺れている装甲板を引き寄せる。軽々と扱っていた動きとは裏腹に、メイフィルはそれを持ち上げることすらかなわぬ。警戒心を解かぬメイフィルに、セクトは両手を挙げて見せた。
「心配するな、お前如きの相手に隙をついて斬ったりはせん」
その言葉になおも懐疑の眼差しを向けていたメイフィルだったが、ややあってから装甲板の裏面に視線を落とす。だが、そこには冷たい金属の輝きがあるだけだ。
「左のほうだ……反り返った裏を見ろ」
言葉で示されたところは、ちょうど角度的に死角になっているところであった。
指で触れると、そこには確かに文字のような凹凸が刻まれている。
装甲を動かし、顔をさらに傾けてみると、そこには署名があった。
恐らくそれは製品管理番号に型番なのだろう。アルファベットに数字の混じった文字の羅列に並ぶように、そこにも父の名はあった。
ヴィクター・エルツェット。
「そこに書いてあるのは、この武器の製作者の名前だ……それで分かっただろう」
「この武器を……父が創ったっていうの」
「ああ」
唇を歪め、セクトは天井を見上げる。
「その武器、この要塞、そして<Dragon d'argent>の艦船管理システムの全てをな」
父は優れたシステム技師の知識と技術を持っていた。
商隊として辺境を巡りつつ、使いこまれた旧式の器具しかない辺境の護衛武器、結界機などの点検なども合わせて行っていた。
親とはぐれたのは、<Tiphreth>の辺境だった。覚えているのは、妖魔に襲撃を受け、何かの爆発に吹き飛ばされたこと。気がつけば、粗末だが清潔なベッドに寝かされていた。えらく無愛想な中年の男が、無言で差し出したホットミルクを、泣きながら飲んだ。
「それは確かか?」
「……えっ」
セクトの言葉に、メイフィルは弾かれるようにして顔を上げる。
「襲ってきた妖魔を、お前は見たのか?」
「……見たわ」
「ほう、ではどんな妖魔だ」
「それは……」
どうして、思い出せないの。あのとき、私は。
私は。
「思い出せるわけがない。あのとき隊列を襲ったのは妖魔などではない」
まさか。どくん、と心臓が不整脈を打つ。耳鳴りがして、汗が噴出す。挫いた脚の痛みなど、どこかへ消えていた。
「民間にいる、凄腕の情報端末管理技師ヴィクターを拉致したのは、この俺だ」
妖魔などいなかったのだ。あの襲撃は、同じ人間の手によって引き起こされたのか。
「……どうして」
「ヴィクターの持つ技術が、どうしても必要だったからだ」
沸き起こってくる喜悦に耐え切れず、セクトは肩を震わせて笑う。
「素人の兵士を一騎当千の猛者に変えるArracher un sabre。七十二基の砲門を持つ要塞<天鳥船神>。どちらも、ヴィクターがいなければ到底実現不可能だった」
ヴィクターはセクトによって拉致され、そして<Dragon d'argent>の数々の機密研究にその技術を捧げることになった。そして当時一介の正宗師団員だったセクトは、軍部官僚とそりのあわないアンジェリークを密告によって追放し、その貢献を買われて師団長のポストに就くことができたのだった。
そうだったんだ。
だからあのとき、地下施設にヴェイリーズを助けに行ったとき、パパの名前でシステム上位凍結プログラムが動いたんだ。
その疑念は、第三騎士団への<Dragon d'argent>の呪的戦略艦のコンピュータの遠隔操作で呪殺を行使したときに、確信へと変わっていた。<Dragon d'argent>のシステムに共通する上位コマンドとして、何故か父親の名が登録されていることに。
全くの偶然なのか、それとも<Dragon d'argent>に行けば父親に会えるのか。どちらの可能性も捨てきれず、メイフィルはここまで辿り着いたのだ。
「パパは、どこ?」
「ヴィクターは<Dragon d'argent>の機密情報の八割に抵触する立場にいた」
唇を歪め。
「そんな人間を、軍が生かしておくと思うのか」
全身の血液が、沸騰するのをメイフィルは感じた。
灼熱の奔流が脳に殺到するのを、意志の力で沈静させる。唇の震えも、指先の麻痺も、嘘のように鎮まっていた。
「お前の父親はずっとお前の写真を大切に持っていたぞ……どこの小娘かも分からんと思っていたが、まあ……泥棒鼠の正体がわかっただけ、よしとするか」
静謐、という名が相応しいまでの静寂が、メイフィルの胸中に満ちていた。
ヴェイリーズを廃人にした<Taureau d'or>。父親を拉致し殺害した<Dragon d'argent>。争いあう二つの国は、メイフィルの大切な人間を二人も傷つけ、殺したのだ。戦争、という免罪符で片付く問題などではない。これが平時であったなら、このような残酷なことは起きなかったというのか。
否。断じて否。彼等は保身のため、簡単に人を消すことを躊躇いはしないのだ。
「そうね」
指先がキーボードの上で踊る。死神と手を取り合って踊る、血宴の輪舞曲。
打ち込んだ指令は、要塞の自己消失プログラム。システムの直結した施設、情報、データ全てを奪取から防禦する、破壊と言う名の最終防衛機構であった。
視界が赤く染まる。部屋の電灯が、警戒態勢へと移行したことを示していた。
同時刻。
天叢雲剱師団長ジークルドは一人、旗艦の武器庫へと足を運んでいた。
息が白く濁るほどに寒いその部屋の中央で、水晶ケースに納められたままケーブルに接続されているそれの前まで歩み寄る。
白銀の輝きを持つ、巨大なミサイル。指を伸ばしてケースに触れると、それは恐ろしく冷たかった。
「……一兵たりとも、ここは通さぬ」
最早戦略レベルでの防衛は不可能であった。現在は結界は消失し、生存部隊が決死の反撃に回っているが、一端傾いた戦局を覆すのは容易ではない。
だとすれば、残された手段は一つだけだった。
「儀式典礼インストールを、百二十秒後に開始せよ」
ジークルドは背後の闇に佇む部下にそう命じると、最後の一瞥をミサイルの光沢に向けた。
そこには紛れもなく深紅のペイントで、M.Y.T.H.の名が綴られていた。