第三十八章第二節<Over the Dream>
強化水晶の窓の外を一瞬、星々の煌きが通り過ぎた。まるでそれは、妖精によって放たれた光の弓矢のようであった。
メイフィルがその刹那の光景を視界の端に感じ、振り向いたとき。一転して、巡洋艦は舳先を無数の光点が弾け咲く戦場の遥か彼方へと向け、加速を開始していたのであった。
七隻からなるその部隊は、ひっそりと隕石の陰に隠れるようにして戦場を大きく離脱する軌道から一転、遮蔽物のない直線軌道上に要塞を捉えた瞬間、爆発的な加速をかけた。船体が加速による負荷に悲鳴をあげ、ブリッジが激震に襲われる中、メイフィルは一番大きなモニターの据えられた席に座り、画面に食い入るように見つめていた。
表示されているのは、該当宙域の艦船分布図。
騎士団同士の戦闘はいまだ続いてはいるが、データ数値に目を通した瞬間にメイフィルの横顔は緊張と焦燥に凍りついた。
戦闘開始時には十数倍はあった戦力差が、今では約七倍差にまで縮められている。
それの意味するところはただ一つであった。
戦力差比倍率は相対的な数値で決定される。こちらの損害があったとしても、それに応じた損害を与え続けていれば、比率は上がることはあれど下がることは決してない。
時間にして凡そ九十分。これだけの短時間で飛躍的に倍率が低くなったのは、恐ろしい効率でこちらの艦隊が撃墜されていることを意味していた。
セヴラン、バルダザール、そして顔も知らぬ数々の騎士団員たち。彼等の命が風前の灯であり、またその生存の希望が自分の双肩にかかっているのだと言う現実に、メイフィルは鈍痛を感じるほどに身を固くする。
「要塞<天鳥船神>まであと十三分、搭載兵装<布都剱>いまだ反応しません!」
現在、出撃している第二騎士団が分離して迎撃する動きは今のところ存在しない。この速度と距離ならば、たとえ追いすがられたことがあったとしても、逃げ切れるだけの自信はあった。
メイフィルはその報告に、眼前にあるコンピュータから魔力探知プログラムを起動させ、<天鳥船神>周辺の宙域をスキャン。
反応があったのは、<ユグドラシル>を構成する三つの結界群の残滓魔力のみであり、<天鳥船神>を専属守護する結界の存在はない。
そこまでは、メイフィルの読みは当たっていた。北辰妙見大菩薩神咒経ほどの大型の結界アプリケーションプログラムを起動させ、かつ効率的に維持するには、要塞に搭載されたコンピュータの演算処理能力を大幅に占拠してしまう。それにより、中級以上の戦略呪術兵器ならびに儀式兵器の併用は不可能である、というのがメイフィルの計算であった。
突入軌道に目立った障害はない。
到達までの残存時間が七分を切る。いいタイミングで虚を突けたのか、突入作戦が予想以上の成果を上げるかと思われたときであった。
「兵器群<布都剱>反応、迎撃システム起動します!」
布都剱を制御する攻撃プログラム<熊襲平定>に火が灯る。骨格だけを残した翼のような一対の兵器が、無数の砲口をこちらへと向けて射撃体勢に入る。
攻撃照準を定められるよりも早く、巡洋艦は散開。減速なしの方向転換に船体が大きく軋む。
操縦士らへの気遣いよりも回避を最優先した動きに、煩雑に積まれたままの荷物が崩れて盛大な抗議の声を上げる。
だが操縦士の腕が確かなことは、一瞬後にそれまでいた場所を凄まじい光量の光学兵器が擦過していったことによって証明された。戦艦よりも大きく劣る防禦力では、あのような攻撃なら触れた瞬間に瞬時に撃墜されてしまうことは容易に想像ができた。
かすった程度であったとしても、航行不能は免れまい。
だが「布都剱」の恐ろしいところは、その攻撃力の異常なまでの高さだけではなかった。それを自ら物語るように、ブリッジに警告が連続して鳴り響いた。一機につき三十六、左右合計七十二の砲門は、それぞれに最大収斂率による攻撃が可能なのである。それはあたかも、神代の時代、神武天皇が荒ぶる力で大和を討伐した苛烈さを体現するがごとくであった。
一度の回避では避けきれぬだけの攻撃が降り注ぎ、艦体は連続した方向転換によって凄まじい遠心力に振り回される。
一つ一つの攻撃は確かに直線であり、避けることは容易である。しかしそれらが組み合わされたとき、こちらは次々と行動の余地を奪われていくことになる。
相手もまた初撃で仕留められるとは思ってはおらぬ。弾道を予測し、そして砲撃の僅かな間隙を看破して回避を行わなければ、艦隊から切り離されるように誘導された挙句、数基の砲門による集中砲火で成す術もなく撃墜されてしまうだろう。
何の制限もなく解放された、七十二の多層砲門による連続攻撃は、戦艦クラスでは絶対に回避しきれないだけの弾幕を展開することができた。そして近づけばそれだけ射撃間隔が狭まることになり、回避は加速度的に難易度を高めていく。
安全予測軌道を計算するメイフィルと操縦士の横顔が瞬時、鮮烈な光に照らされる。
「……第五番艦、撃墜!」
「散開しつつ軌道を離脱、再編してから……」
「駄目だよ、お嬢ちゃん」
額に脂汗を滲ませながら、隣の操縦士は首を横に振った。
「第一、第四番艦、ランデヴー態勢に移行せよ」
「なんで!?」
メイフィルは甲高い声を上げた。
この状況で密集陣形を取るなんて、自殺行為以外に考えられない。密集すればそれだけ行動可能域が制限されることになり、結果として回避不可能に追い込まれることにも繋がる。そのような選択を選んだ操縦士の正気を疑う眼差しを向けるメイフィルだったが、隣の男の目は狂気を孕んでなどいなかった。
「それが、一番いい選択肢だからさ」
「どうして……」
問いかけると同時に二つの艦が寄り添うように軌道を修正、雨霰のように降り注ぐ光の只中へと突き進んでいく。その軌道は、自ら砲撃の中に突き進むルートであった。
「避けてッ!!」
悲鳴と共に、正面に回りこんでいた第一番艦が爆発。誘爆を避けるかと思われた残りの二つの艦は、あろうことか爆発の光の中心を貫くにさらに加速。
「……分かっただろう?」
はっと身を固くするメイフィルに、操縦士は頷いて見せた。
「あの攻撃を躱し切って、かつ無事に突入できるなんて、誰も思っちゃいないのさ……他の艦の役目はただ一つ」
指示を出していないにもかかわらず、第一番艦がいた場所に他の艦が寄り添うように滑り込んでくる。
「……メイフィルのいるこの艦の、被弾確率を避けるためなんだよ」
「距離六百、残り一分切ります!」
「そんな」
メイフィルはモニターに映る光点を、濡れた瞳で見下ろす。自分には、それだけのことをしてもらうだけの価値はない、そうメイフィルは考えていた。
「何としても、メイフィルの突入を邪魔させるな」
隣の操縦士は、聞こえないふりをして各艦に通信。ユベール中尉の乗る第三番艦までもが、護衛のために軌道を寄せてくる。
「お嬢ちゃん、あんたは、あそこに突入して結界を消してくれる最後の希望だ」
第二番艦の爆光が周辺を薙ぎ払う。
「この艦には、白兵戦部隊の人間が何人か乗ってる、だから……突入後はそいつらと一緒に、目的地を目指すんだ」
二十歳にも満たぬ少女に課せられたのは、あまりに重く残酷な使命。そしてそれは、メイフィルが望んで手にしたものではなかった。運命に嘲笑われるが如くに、いつしか取り込まれた戦の渦の只中で手にしたのは、彼女だけの力で背負うにはあまりに巨きい。
しかし、共に歩める者は皆無であった。
さらに間合いを詰める過程で第四、第六番艦が撃墜。懐に飛び込むことができたのは、メイフィルの乗る第三番艦と、ユベールの乗る第七番艦。
目の前に大きく飛び込んでくる特殊鏡加工の外壁。一点の曇りもないそれを前にし、第七番艦が加速。
舳先が接触と同時に、鏡は無数の煌きとなって中空に四散。それによって生じた無数の亀裂に、第三番艦が激突する。
横腹に二つの艦の特攻を受け、<天鳥船神>の防禦は、破られることとなった。