間章ⅩⅩⅩⅦ<秘儀>
北辰妙見大菩薩神咒経。その守護結界アプリケーションは、通常の呪的戦略艦では制御しきれないほどの容量を必要とする大規模な戦略的呪術兵器であった。
北斗七星の神格を擬人化して祀り上げたその経文には、怨敵調伏と戦勝祈願を願う内容が綴られている。それにより、加護を受けた者はまず絶対的な防禦力を得ることになるのであった。
単なる物理的、霊的耐久性の上昇ではなく、一切の攻撃の命中精度を限りなく零に近づけるという恐るべき効果。しかも、属性が神力によるものであるため、被害を成さんとする事象すべてに対し、攻撃効率を低下させるという副効果をも併せ持つ結界なのであった。
それだけの強力な力を生み出す反面、あまりに膨大なプログラムは単独の呪的戦略艦での制御は不可能であった。
何故ならば、まず起動する以前の段階として、このアプリケーションをインストールできるだけの容量を持った呪的戦略艦が極少数であるということであった。さらには、起動に必要なだけの演算能力を持つ艦が存在しないため、これを動かすには複数の呪的戦略艦を霊的接続した上で行わなければならない。
機動力が勝敗を分ける戦場において、しかも防禦力の低い呪的戦略艦が、一箇所に数隻も固まっているということが、いかに不自然なことであるかは想像に難くない。
以上のような理由により、一端は開発されたこの超絶的な防禦能力を付与する北辰妙見大菩薩神咒経であったが、それが実戦配備されることがあろうとは。
「報告します!」
絶叫にも似たメイフィルの声が、聖教典の高出力通信端末から各艦隊へと飛来する。
幾重にも施された通信は、まるで古代世界の式神をも上回る速度で宙空を駆けた。
「<Taureau d'or>第二騎士団の防禦呪術が判明、詠唱者は<天鳥船神>端末、術式<北辰妙見大菩薩神咒経>!」
セヴラン、バルダザールのみならず、その名を知る操縦士たちの顔が硬直する。
もしそれが本当なら、あの要塞を撃破しない限り、こちらの攻撃が命中することはない。たとえ広範囲をカバーする呪術兵器を使ったとしても、喚起される呪力は大幅に減耗されたものになるだろう。
メイフィルの報告は続く。
「術式展開用のコンピュータのオペレーティングシステムは玄宮北極祭ver3.15、遠隔ハッキングは不可能です!」
そこまで言葉を投げかけ、そしてシートから立ち上がったメイフィルは、凛とした意志を秘めた瞳で、後ろを振り返った。
その視線の先には、艦隊再編のために一時帰還していた八尺瓊勾玉師団長、マティルデ・ミーゼズが闇の中、黙したまま立っていた。
「……マティルデさん、あたしを……<天鳥船神>に届けてください」
靴底で床を打ちながら歩み寄ってきたマティルデの表情は、しかし幾許かの緊張を含んでいた。
メイフィルの言葉を聞いた、通信先の者たちも皆、その瞬間には我が耳を疑ったことだろう。
何の訓練も受けていない、そして特殊能力もない、技師としての技術しかない少女が、敵陣の中枢に行くだと。自殺と同義であるという意味しか持たないその言葉を口にしたメイフィルは、しかし狂ってなどいなかった。
指を固く握り締め、先刻まで操っていたキーボードを優しく指で撫で、そしてもう一度繰り返した。
「覚悟はできています……私だけ、ここで……何も出来ないのは、嫌なんです……」