第三十六章第二節<Generals on the Board>
「キース艦からの連絡断絶、当該宙域に残存信号ありません」
無情な操縦士の報告が、ジークルドの胸に突き刺さる。
呪式戦略艦<セト>の所属は、<Taureau d'or>第二艦隊。
テレンス・アダムズ元帥の非情な性格はセヴランやバルダザールから聞くまでもなく知ってはいたが、艦船の所属までは看破できなかった。不甲斐ない己を叱咤してもどうにもならぬ現実を突きつけられ、ジークルドは肘掛に拳を打ちつけた。
だがそんな師団長の苦悩を嘲笑うかのように、通信士からの報告が入電する。
「ジークルド様、先刻の一撃で生じた隙間に、<Taureau d'or>第二騎士団が進軍を開始してきます」
「くッ……」
一人の人間が指揮管理できる範疇を超えた事態の急変に、ジークルドは激しい頭痛を訴える額を掌で打ち、歯を食いしばる。
俺は、天叢雲剱師団を率いる人間ではないか。この程度の乱戦ごときで混乱しているようでは、部下に合わせる顔がない。
鎮痛剤を服用すれば頭痛は収まるが、その分思考が鈍る虞がある。ジークルドは手元のコンソールで周辺宙域の構成図を呼び出し、事態の把握を開始した。
<セト>による神力解放の攻撃は、味方の第一騎士団もろとも当該宙域を完全に無に帰していた。
直線軌道にあり、部下の撤退を支援しようと留まっていたキース少将の艦もまた、完璧に影響範囲内にあったため、現在その部分に存在する艦船信号はない。
不吉な黒い空隙の周辺で、ゆっくりと傷を癒さんとうねる隕石帯が動いてはいるが、殺到する第二騎士団の艦船の動きに比べ、あまりに遅い。この自然の砦が破られれば、その内側にあるのは無防備な聖教典と、その他の軍勢。
総力戦になった場合、こちらに勝ち目はない。
幾重にも取り巻くように、そしてそれぞれが異なる周期で回転する隕石帯があるにはあるが、先刻の攻撃がこうした障害物を破棄できると踏んだ相手に、そのような篭城は通用しない。
唯一の手は、生じた隙間に艦船を押し戻すだけの部隊を集結させることであった。
しかし、この場所から目的の宙域に行くには、少なくとも二十分以上はかかる。到達する頃には、第二騎士団の先行部隊はとうに隕石帯の内側へと入り込んでいる後であろう。
打つ手は、何か打つ手はないか。
焦りは苛立ちを生み、そして気持ちだけが空回りする。長考している間にも、第二騎士団を示す光点は刻一刻と迫ってきている。
握り締めた指の爪が掌に食い込む。鈍い痛みは、思考をより袋小路に追い込み、そして。
唐突に、第二騎士団に一番近い光点が赤く明滅した。
それはつまり、友軍からの遠距離通信を受信したことを意味する。回線を開くと、スピーカーから力強い声が響いてくる。
「ジークルド、お前は後方で部隊再編でもしていろッ!」
声の主は<Taureau d'or>第五騎士団<星彩青玉>大将、セヴランだった。
「第二騎士団は俺が叩く、身内の不手際はこっちで始末する!」
統率された動きで、それまで散らばっていた艦隊が見る間に集結していく。その速度は、明らかに第二騎士団の到達よりも早い。
これならば、第二騎士団の侵入を防ぐこともできるかもしれない。
「……済まない」
「キースのことは気にするな……それよりも生きている者たちのことを考えろ!」
通信は一方的に切断された。
そうだ。ジークルドはゆっくりと息を吐き、そして背もたれに身を預けた。
この戦いは、一人の戦いではないのだ。背中を預ける頼もしい男がいることに、ジークルドは心地よい安堵感を覚えていた。
「各艦隊に伝えてくれ。緊急会議を開く……」
中将クラスの人間を招集すべく、ジークルドは幾重にもセキュリティガードされた機密回線による映像会議の開催を決定した。
「先行部隊、弾幕を張れッ……七十五秒後に到達完了率は80%の計算だ、何としても時間を稼げ!」
セヴランの指揮に従い、蝟集した戦艦から威嚇射撃が一斉に放出される。
収斂率の低い、すなわち牽制用の光学兵器が闇を貫き、じりじりと迫ってくる第二騎士団へと接触。破壊力は無きに等しいために相手もまた散開をすることはなかったが、いつでも攻撃が可能であるのだというこちらのカードを提示することで少しでも進軍速度を遅らせる必要があった。
相手は、非道と冷血さで知られるテレンス元帥の指揮する第二騎士団。
決して与しやすい相手ではないが、それだけにセヴランの士気は高まっていた。
第二騎士団の脅威はそれだけではない。七つの騎士団のうち、第二騎士団が保有する艦船数が最も多いのだ。それもまた、こうして考えれば、テレンスの権謀術数によるものだったのかもしれぬ。
現段階で実質的な総合指揮権はテレンスにある。つまり、テレンスは<Taureau d'or>の残存騎士団すべてを統括する騎士団長としての地位を獲得しているのだ。
否、彼にとっては残存、という言葉は当てはまらぬのであろう。何故なら叛旗を翻したのは我々であり、テレンスは軍律に背いた脱走兵を粛清しているという立場なのだから。
崩壊した隕石帯に集結した第五騎士団艦隊は、決してこちらから前に進むということはしなかった。
緩慢な回転と同調させた並行移動を行いながら、威嚇射撃を繰り返し、第二騎士団の侵入を阻むのが目的であったからだ。
現状維持を指揮するセヴランの下へ、艦間通信が入ったのはそのときであった。
完全にシャットアウトされ、声紋判定と言霊認識による受信限定機構に護られた回線であるため、一般のスピーカからその内容が聞こえることはない。接触伝達による情報漏洩を恐れたため、極力音声震動を廃した仕組みの伝達手段であり、それを受けたセヴランは幾度か頷いただけで回線を切った。
だがその横顔に、悲痛な色はなかった。防戦一方に追い込まれ、そして現状維持も困難である状況において、彼は確かに微笑んでいた。
先刻の回線からの情報が如何なるものであったのか。
セヴランはそれを口にすることもないままに、デジタル時計を目にする。
「……残り、十七分か……なるほど、さすがは師団長……」
進路を塞ぐように立ちはだかる第五騎士団の識別信号を受信したテレンスは、薄い唇をさらに歪め、鼻から嘲笑のような呼気を吐いた。
「本当に、毎度の如くに私の妨害をするね、あの男は……」
唇の周囲の筋肉を歪め笑って見せるが、その双眸に宿る光だけは抜き身のナイフのように剣呑な気配を抱いていた。
「突撃艦隊に伝えなさい、各艦最大戦力での攻撃を命じるとね」
「……は、しかし、それでは……!!」
さすがに戸惑いを隠せない操縦士は、各艦への通信を躊躇い、こちらへと振り返る。
その横顔には、激しく渦巻く不信感と恐怖が綯い交ぜになった感情が浮き彫りになっていた。先ほどの第一騎士団と同じく、彼等もまた捨て駒として使われるのか。その命令を下したのが自分ではないとはいえ、さすがにそれを命じることに迷いがあったのだろう。
「先鋒だけで倒せる相手ならば苦労はしない……初陣の役割は、相手の手札を開かせるだけでいい」
徹底した合理主義に基づく、そして最終的な局面での勝敗を想定した、ゲーム理論としての思考。それはまさに、士官学校で行われるコンピューターシミュレート試験と同義の、冷酷な戦術家としての意見であった。
「たかだか数百の犠牲を惜しんで、眼前の勝利を棒に振るなど愚かなこと……早くしろ」
テレンスの躰から吹き上がるような威圧感に、操縦士が言葉を失って頭を振る。
その眉間に小さく孔が開き、その衝撃で操縦士は後ろの機材に激突した。懐から取り出した短銃によって、テレンスが操縦士の頭を撃ち抜いたのだ。
「兵隊の代わりなどいくらでもいる……聞こえたのなら、さっさと命令を飛ばせ」
死の恐怖に駆られた隣に座る操縦士は、飢えた者が食糧を貪るように、キーボードを叩いて回線を開いた。